百貝岳の中腹に立つ花崗岩の宝塔

鳳閣寺廟塔(ほうかくじびょうとう)は、奈良県吉野郡黒滝村大字鳥住にある正平24年(1369年)造立の石造宝塔で、大正4年(1915年)3月26日に国の重要文化財に指定された。地元では理源大師廟塔とも呼ばれる。

建つのは標高860メートルの百貝岳の斜面、鳳閣寺の本堂から山頂方向へ徒歩20分ほど登った地点である。道は急で、杉に囲まれた小さな覆屋の中に塔が納まっている。総高は268.0センチと記録されている。

構成は下から台座、亀趺(きふ)、受坐、塔身、笠、相輪の六つ。このすべてが造立当初のものである。六百五十年以上を山の斜面で過ごした石造物としては、失われた部材が一つもないという事実そのものが希少といえる。

木造廟塔を石で写したという価値

造立年を確定させているのは、台座の格狭間(ごうざま)に刻まれた銘である。年号は正平24年。作者として薩摩権守行長(さつまごんのかみゆきなが)の名が記される。行長の作品として知られるものは、この廟塔のほかにない。鎌倉時代初期に来日した宋の明州出身の石工・伊行末(いぎょうまつ)の系統に連なる人物と考えられており、南北朝期の名匠に数えられる。

年号には意味がある。正平は南朝の元号で、同じ年を北朝は応安2年と呼んだ。吉野は南朝の拠点であり、この石に刻まれた暦の選択が、山中の寺がどちらに属していたかを記録している。

指定の理由は彫りの精度にある。塔身は一石の円筒形で、四隅に方形の柱形を刻み、扉を浮き彫りにし、垂木を二重に表現する。いずれも木造の廟塔にある細部を、花崗岩に写したものだ。14世紀の木製廟塔はほとんど現存しない。石の写しがかえって、写された側の建築を伝える資料になっている。文化庁が当時の廟塔建築様式を知るうえで貴重とするのは、この点である。

訪れた人の記憶に残るのは亀趺だろう。方形の台座から亀が突き出しているのだが、どこまで出ているかは資料によって説明が分かれる。黒滝村と一部の報告は頭部と前足とし、別の資料は頭・尾・四足がすべて出ているとする。いずれにせよ日本の石造物で亀趺は例が少なく、中国の墓制に源をもつ意匠である。

聖宝と修験、そして一万八千余の寄進者

鳳閣寺は真言宗鳳閣寺派の本山で、山号を百螺山、本尊を如意輪観音とする。寺伝は7世紀に役行者が勅命を受けて開いたと伝え、黒滝村は白鳳6年を672年、他の資料は678年と記す。寛平7年(895年)には聖宝が修験の道場として中興したとされる。

聖宝(832年から909年)は理源大師と諡され、修験道中興の祖として、また京都・醍醐寺の開山として知られる。この廟塔は伝承では聖宝の墓とされてきた。ただし年代が合わない。正平24年は聖宝の没後およそ460年にあたり、後世の信者による供養塔と考えるのが自然である。奈良県の歴史文化資源データベースも供養塔と説明している。なお聖宝ゆかりの遺跡は醍醐寺にもあるため、両者を混同しないよう注意したい。

造立にまつわる数字が、その信仰の広がりを示している。塔が建てられたとき、金品を寄進した僧侶の数は1万8023人に及んだ。

黒滝村には山名の由来も残る。聖宝が勅命を受け、大峯の行者を苦しめていた大蛇を退治するためこの山に登り、法螺貝を吹いたところ、百の貝を吹き鳴らすように山々に響いた。百貝の名はここから出たという。

廟塔までの道

奈良の石造文化財のなかでも到達しにくい部類に入る。その点は出発前にはっきりさせておいたほうがよい。

寺は黒滝村の中心部から北へ峠を越えた先、鳥住集落の東にある。公共交通は途中までしか届かない。近鉄吉野線の下市口駅から黒滝方面へバスが出ており、村のふれあいバスに乗り継いで鳥住へ入るが、終点からさらに1時間ほど歩くことになる。下市口からタクシーで林道まで入り、そこから歩く人も多い。車の場合は、寺の下にある鳥住春日神社と野草園のあたりに停め、急な舗装坂を10分ほど登って本堂に着く。

本堂から廟塔へは、山頂へ向かう道を20分ほど。距離の記載は約600メートルから約1キロまで幅があるが、これは起点の取り方の違いだろう。靴は選んだほうがよい。雨のあとは滑るし、途中に雨宿りできる場所はない。

境内は自由に参拝でき、拝観料も決まった時間もない。駐車場については「無」とする資料がある一方、実際には下の神社付近に停めたという報告が多く、事前に確定させにくい。廟塔は覆屋の外から見て撮影できる。境内の撮影に公表された制限はないが、社務所に人がいれば一声かけるのが礼儀である。登れない人のために、庫裏の裏に廟塔のレプリカが置かれている。

黒滝村は塔だけを見て帰るには惜しい。世界遺産に登録された大峯奥駈道は槙尾から赤滝にかけて村内を通り、明治末に建てられた旧役場庁舎は県指定文化財として民俗資料館に使われている。

Q&A

Q鳳閣寺廟塔は見学できますか。拝観料は必要ですか。
A見学できます。鳳閣寺の境内は自由に参拝でき、拝観料や決まった拝観時間はありません。廟塔は本堂から百貝岳の山頂方向へ徒歩20分ほど登った覆屋の中にあり、外から見て撮影することができます。登るのが難しい場合のために、庫裏の裏に廟塔のレプリカが置かれています。
Q鳳閣寺廟塔へのアクセス方法を教えてください。
A公共交通は途中までです。近鉄吉野線の下市口駅から黒滝方面のバスに乗り、村のふれあいバスで鳥住へ入ったあと、さらに1時間ほど歩きます。下市口からタクシーで林道まで入る方法もあります。車の場合は寺の下の鳥住春日神社付近に停め、急坂を10分ほど登って本堂へ、さらに20分登って廟塔に着きます。駐車場については資料によって記載が異なるため、余裕をもった計画を立ててください。
Q鳳閣寺廟塔は本当に理源大師聖宝の墓なのですか。
A伝承では聖宝の墓とされてきましたが、台座の刻銘が示す造立年は正平24年(1369年)で、聖宝が没した延喜9年(909年)からおよそ460年後にあたります。このため後世の信者が建てた供養塔と考えるのが一般的で、奈良県の歴史文化資源データベースもそのように説明しています。伝承と刻銘は、どちらかを退けるのではなく並べて理解するのが適切です。
Q鳳閣寺廟塔が重要文化財に指定されている理由は何ですか。
A花崗岩の塔身に、扉の浮き彫りや二重の垂木といった木造廟塔の細部を極めて精巧に写している点が評価されています。14世紀の木製廟塔はほとんど残っていないため、この石塔が写された側の建築を知る手がかりになります。加えて相輪から台座まで造立当初の姿を保っていること、造立年と作者を記した刻銘をもつことも、他に例の少ない条件です。
Q鳳閣寺廟塔は誰が、いつ造ったのですか。
A台座の格狭間に正平24年(1369年)の年号と、作者として薩摩権守行長の名が刻まれています。正平は南朝の元号で、同じ年を北朝は応安2年と呼びました。吉野が南朝の拠点であったことを反映しています。行長は鎌倉時代初期に来日した宋の石工・伊行末の系統に連なる南北朝期の名匠とされます。造立にあたっては1万8023人の僧侶が寄進したと記録されています。

基本情報

名称鳳閣寺廟塔(ほうかくじびょうとう)/通称 理源大師廟塔
所在地奈良県吉野郡黒滝村大字鳥住
指定区分重要文化財(建造物)/指定番号 00654/種別 近世以前・その他
指定年大正4年(1915年)3月26日指定
員数1基
寸法花崗岩製の石造宝塔、総高268.0センチ(国のデータベースに寸法の記載はない)
所有者鳳閣寺
公開状況境内自由、拝観料・拝観時間の設定なし。廟塔は本堂から急坂を徒歩約20分。庫裏の裏にレプリカあり

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「鳳閣寺廟塔」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2802
奈良県歴史文化資源データベース「いかす・なら」/鳳閣寺廟塔 石造宝塔
https://www.pref.nara.lg.jp/ikasu-nara/bunkashigen/main10603.html
黒滝村ホームページ「文化財」
https://www.vill.kurotaki.nara.jp/kurasi/cultural_property/
奈良まほろばソムリエの会「やまと百寺参り」第33回 鳳閣寺の理源大師廟塔
https://www.stomo.jp/yamato_otera/191128.html

最終更新日: 2026.08.24