茅原のトンド ― 役行者ゆかりの吉祥草寺で焚かれる、奈良最大の小正月の火祭り

毎年1月14日の夜、奈良県御所市茅原の吉祥草寺の境内で、高さおよそ6メートル、幅3メートル、重さ約700キロにおよぶ松明が雄雌一対、立て続けに火を放たれる。素材は青竹と藁、それに茅原という地名の由来となった茅・芒(すすき)。地元では大トンド、または左義長と呼ぶ。

この火祭りは、本堂で営まれる修正会の結願の行事として、また小正月に正月の神を送る農村行事として、二つの性格を兼ね備えている。点火されると境内一帯は白昼のように明るくなり、参道を隔てた向かい側まで熱気が届く。

奈良県内最大規模のトンド行事であり、昭和58年(1983年)3月15日付で奈良県指定無形民俗文化財に指定された。これに先立つ昭和53年(1978年)には、国によって「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されている。

役行者の生誕地・吉祥草寺と、農村行事との習合

茅原は、修験道の開祖とされる役小角(役行者)の生誕の地と伝えられる。幼少期の修行地と伝わる葛城山・金剛山は、境内のすぐ西に屏風のように立ち上がる。吉祥草寺自身も役行者の開基と伝えられ、寺伝によれば往時の伽藍は東西4キロ・南北5キロにおよび、49の堂塔を抱えるほどの規模を誇った。これが南北朝期の兵火でほぼ消失し、現在の本堂は応永年間(1394〜1428)の再建と伝わる。

トンドの起源説話は大きく二系統に分かれる。古いものは天智天皇の御代に役行者が天下泰平・五穀豊穣を祈って始めたとするもの、いま一つは、文武天皇が病を得て七日間吉祥草寺に籠もり快癒した折、感謝の大法会のなかで境内を照らす大松明が焚かれたとするものである。さらに別の伝承では、大宝元年(701)に伊豆から戻った役行者を村人が松明で迎えたのが始まりだとする。

考古学的に確認できる年代はやや新しい。平成17年(2005年)に本堂前で行われた発掘調査では、江戸時代初期の焼土層が検出され、少なくとも近世初頭にはすでにこの規模の火祭りが営まれていたことが裏づけられた。学術的な意義はむしろ、その性格にある。各地の村落で行われる正月の門松や注連縄を燃やす農村のトンドが、ここでは真言系修験寺院の修正会と一体化している。同種の習合形態として残る事例は全国でも数えるほどしかない。

雄雌一対の松明と、二つの大字が支える分業

松明は当日に運び込まれるものではなく、前日と当日の朝にかけて境内で組み上げられる。担うのは茅原と玉手、寺をはさんで隣接する二つの大字である。かつては第三の大字・東寺田も加わり、玉手が雄、東寺田が雌、茅原が松明を支える杭を立てる役、と役割が分かれていた。昭和38年(1963年)に東寺田が抜けた後、雌の松明は茅原が引き継いで作るようになった。

製作はまず、青竹37本(閏年は38本)を扇形に組んで土台を作るところから始まる。これに藁を敷き、つぎに細い柴を束ねた松明の芯をクレーンで載せて巻き締め、太い円錐形に仕上げていく。雄松明には頂上に一本の青竹を高く立て、雌松明にはこれを付けない。胴に巻く鉢巻と腰縄は、地区の人々が一斉に綱を引いて締め上げる。結び方は雄雌で異なり、世代を超えて口伝で受け継がれている。

下が広く、上に向かって細くすぼまるこの独特の形を、地元では「朝顔形」と呼ぶ。他地域のとんどには見られない、この祭りに特有のシルエットである。

当日の流れ ― 法要から点火、そして翌朝の小豆粥へ

本堂内の法要は午後3時ごろから始まり、般若心経の読経が続く。日が落ちると、玉手・茅原の両地区から行列が出発し、寺の手前で合流して手打ちを交わしてから、白と黒の装束を纏った修験者の先導で境内に入る。参道には夜店が並び、人の波が押し寄せる。

点火は午後8時ごろ。本堂の灯明から直接受け取った火が、二基の松明の根元にあてがわれる。乾いた竹と藁はわずか数秒で炎を吹き上げ、火柱は瞬く間に10メートルを超える高さに達する。読経は燃え盛る間も続けられる。家ごとに一人ずつ、火縄に火を移して持ち帰る人がおり、その火は翌朝の小豆粥を炊くのに用いられる。粥は一年の無病息災を願って食される。

巨大な松明は、おおむね30分ほどで燃え崩れる。崩れ落ちた残り火のあいだを参詣者が通り抜けるのも、この祭りの作法のひとつとされている。

周辺 ― 葛城修験の道筋と、御所まち

茅原は奈良盆地の南西の隅にあたり、葛城山系がすぐ西に迫る。一帯には葛城修験ゆかりの寺社が点在しており、葛城一言主神社、葛城山麓の転法輪寺跡、金剛山頂の転法輪寺などが車で数十分の圏内にある。鴨族の祖神を祀る高鴨神社も南へ少し下ったところに鎮座する。

吉祥草寺とJR御所駅のあいだに広がる旧城下町・御所まちは、低い庇と白壁の土蔵が連なる町並みが今も残り、令和2年(2020年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。火祭りの前のひととき、明るいうちに町を歩いておくのもよい。

当日は屋外で長時間過ごすことになり、しかも標高こそ低いが奈良市中心部より気温が数度下がる。防寒は厚めに見積もって出かけたい。

Q&A

Q茅原のトンドはいつ行われ、誰でも見学できますか。
A毎年1月14日の同日固定で行われます。本堂内の法要は15時ごろから、松明への点火は20時ごろです。見学は無料で、事前予約も不要です。最新の進行や時刻は、毎年御所市教育委員会文化財課に確認すると確実です。
Q吉祥草寺はトンド以外の日に参拝する価値がありますか。
Aあります。本堂には役行者像と母君像が祀られており、修験道の信徒が一年を通じて参拝に訪れます。11月第2日曜日には「御所まち霜月祭」が営まれ、約100人の山伏が町内を練り歩き、採燈大護摩供が焚かれます。1月の夜とは雰囲気がまったく異なりますが、同じ修験道の文脈に連なる行事です。
Qなぜ松明を二基、それも雄雌で作るのですか。
A陰陽・雌雄の対をもって五穀豊穣や年の更新を願うのは、日本各地の年中行事に広く見られる発想です。雄松明の頂きには一本の青竹を立て、雌にはこれを付けないことで両者を区別します。製作上も、玉手地区が雄、茅原地区が雌と分担しており、二つの大字が共同で行事を支える構造を象徴しています。
Qどのくらい近くで見学できますか。撮影は可能ですか。
A境内は囲いで仕切らず、係員が動線を整える方式のため、他の火祭りに比べて松明にかなり近づけます。ただし高さ6メートル超の松明から立ち上る熱は強烈で、火の粉も周囲に降ります。撮影機材を持参する場合は、火の粉対策と化繊を避けた衣服をご用意ください。残り火のあいだを歩くのは作法に沿った行為ですので、可能です。
Q他のとんど・左義長と何が違うのですか。
A大きく二点あります。一つは「朝顔形」と呼ばれる独特の松明のかたち。他地域のとんどでは見ない造形です。もう一つは、農村の正月送りのトンド行事が、真言系修験寺院の修正会と正式に結びついている点。神社や村落の素朴な火祭りとして残るものが多いなか、ここでは仏教的・修験的な宗教儀礼の枠組みが明確に保たれています。

基本情報

名称茅原のトンド(ちはらのとんど)
別称茅原の大とんど、左義長、大トンド法要
所在地奈良県御所市茅原279 吉祥草寺
指定区分奈良県指定無形民俗文化財(昭和58年〔1983年〕3月15日指定)/国選択「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」(昭和53年〔1978年〕)
開催日毎年1月14日。本堂法要は15時ごろから、点火は20時ごろ。
所有・継承者吉祥草寺/吉祥草寺左義長 大トンド保存会
参加地区茅原地区(雌の松明と支柱を担当)、玉手地区(雄の松明を担当)
松明の規模高さ約6メートル、幅約3メートル、重さ約700キロ/一基あたり(御所市公表値)。青竹37本(閏年38本)、藁、茅などで構成。
アクセスJR和歌山線 玉手駅から徒歩約15分。JR・近鉄御所駅から徒歩約25分。当日は近隣の道路に交通規制がかかる場合があり、公共交通機関の利用を推奨。
拝観料無料
問い合わせ御所市教育委員会文化財課 TEL: 0745-60-1608

参考文献

奈良県歴史文化資源データベース「いかす・なら」 茅原のトンド
https://www.pref.nara.lg.jp/ikasu-nara/bunkashigen/main00802.html
御所市 奈良県指定文化財
https://www.city.gose.nara.jp/0000001351.html
御所市観光ホームページ 吉祥草寺
https://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001394.html
奈良県立図書情報館 なら祭時記2010「茅原のトンド」
https://www.library.pref.nara.jp/nara_2010/0516.html
奈良県観光公式サイト「あをによし なら旅ネット」 茅原のトンド
https://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/02tera/02west_area/kisshosoji/event/zva5a5lt38/
御所市文化遺産活性化委員会『茅原のトンド 総合報告書』(2014年)
https://www.city.gose.nara.jp/0000001351.html

最終更新日: 2026.05.17