キトラ古墳、丘の南斜面に残された彩色石室

奈良県明日香村檜前、低い丘陵の南斜面に、外見はごく地味な円墳がひとつ築かれている。二段築成のこの墳丘は、上段が直径約九・四メートル、テラス状の下段が直径約一三・八メートル、高さは合わせて四メートルを少し超える程度にすぎない。文化庁の国指定文化財等データベースでは径約一四メートル・高さ約三メートルとも記されており、調査時期によって数値に若干の差がある。外側に装飾は何もない。だが石室内部には、唐や高句麗の墳墓に通じる四神図、獣頭人身の十二支像、そして東アジアに現存する最古の精密な天文図が、漆喰の上に描かれていた。

「キトラ」という呼び名の由来には諸説ある。石室を覗いた人々が亀と虎の絵を見て「亀虎(きとら)」と呼んだとする説、南側の小字「北浦(きたうら)」が訛ってキトラとなったとする説、阿部山集落から見て北西の方角にあたるため、北の玄武と西の白虎にちなむとする説などで、現時点で定説はない。

ファイバースコープが捉えた一枚

古墳そのものは古くから知られていたが、内部の壁画が確認されたのは昭和五十八年(一九八三年)十一月七日のことである。日本放送協会の調査チームが、南壁にあいた盗掘穴(高さ六五センチ、幅二五から四〇センチ、奥行四九センチ)からファイバースコープを差し込み、奥壁にうずくまる玄武像をとらえた。昭和四十七年に発掘された高松塚古墳に続く、日本で二例目の大陸風壁画古墳の発見であった。電磁波探査とファイバースコープを併用したこの調査は、古墳内部に自然科学的手法を本格的に用いた最初の例とされる。

平成十年(一九九八年)には上下左右に動かせるCCDカメラが使われ、東壁の青龍、西壁の白虎、そして天井の天文図が確認された。さらに平成十三年(二〇〇一年)にはデジタルカメラによる調査で南壁の朱雀と、四壁下段に並ぶ獣頭人身の十二支像も姿を現した。最初の発見から壁画の全容把握まで、約二十年の月日を要した息の長い調査であった。

四神図と獣頭人身十二支像

石室の四方の壁には、東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武と、四方を司る霊獣が一体ずつ描かれている。とりわけ朱雀像は、高松塚古墳では盗掘の際に失われたため、現存する飛鳥時代の朱雀図としては唯一の作例となる。羽を広げ、地を蹴って飛び立たんとする躍動的な姿勢で描かれており、四神図の中でも稀有な遺例である。

白虎図には独特の特徴がある。高松塚古墳をはじめ通例の白虎像が南を向くのに対し、キトラの白虎は逆に頭を北に向けている。細身で首が長く、前肢を突き出した姿勢には強い緊張感があり、耳の毛や黒目まで丁寧に描き込まれている。方位の取り方を意図的に変えたのか、あるいは原図の系統が違うのか、研究者の間で議論が続いている。

四神の下、各壁の腰部には十二の小柄な人物像が配される。体は袍を着た人間のままで、頭部だけが鼠・牛・寅・卯と十二支の動物に変わる獣頭人身像である。古代中国では十二支像を陶製の俑として副葬する習慣があったが、それを壁画化した例は東アジア全体でも限られ、キトラ古墳の十二支像は日本国内で確認できる最もまとまった作例となっている。

天井に広がる天文図

石室の天井を仰ぐと、漆喰面に円と直線の幾何学的な組み合わせが見える。内規・赤道・外規・黄道という天文学上の基本円が描き込まれ、その内側には二十八宿をはじめとする中国式の星座が、金箔の点と朱の線でつながれて配置される。北斗七星も大きく描かれ、太陽と月の円盤が東西の壁寄りに置かれる。

これは装飾的な星空ではなく、当時の中国・朝鮮半島で実際に用いられていた星図を忠実に書き写したものと考えられている。特定の観測緯度に対応した精密な作図であり、東アジアに現存する天文図としては最古かつ最も精緻なものに位置づけられている。高松塚古墳の天井にも星宿図はあるが、こちらは星座を簡略化した装飾的なもので、キトラの天文図のような座標系は備えていない。原図がどこで作られ、どの都市の緯度に基づくのかについては、現在も研究が続いている。

埋葬されたのは誰か

銘文の類は一切残っておらず、副葬品の多くは盗掘で持ち去られている。それでも漆塗木棺の破片や金銀の金具などから、相当に身分の高い人物の墓であったことは確かである。被葬者の候補としては、天武天皇の皇子である高市皇子、百済王族出身で飛鳥朝に仕えた百済王昌成、地名「阿部山」と通ずる右大臣阿部御主人などの名が挙げられている。周囲には特別史跡高松塚古墳、天武・持統天皇陵、中尾山古墳などが点在し、一帯は天武・持統朝の皇族の墓域である可能性が指摘されている。

剥ぎ取られた壁画、保管される現在

石室は二上山産の凝灰岩を切り組んだ横口式石槨で、計十八石から成る。漆喰面に描かれた壁画は、発見当初からすでに剥落の危険が指摘されていた。漆喰そのものが浮き上がり、カビによる劣化も進行していたためである。平成十五年(二〇〇三年)に文化庁が石室内本格調査を開始し、翌平成十六年八月、日本で初めての大規模な壁画剥ぎ取りが始まった。作業は壁面ごとに細心の注意を払って進められ、令和四年(二〇二二年)十一月までに全壁面の剥ぎ取りが完了している。

南壁の盗掘穴は平成二十五年(二〇一三年)、二上山産凝灰岩の切石二石で閉塞された。閉塞石には「キトラ古墳石室の盗掘口を閉塞する」と刻んだ銅板が取り付けられ、石室は再び密閉されている。墳丘も整備のうえ埋め戻されたため、現在は外観こそ見学できるが石室内部に立ち入ることはできない。剥ぎ取られた壁画は奈良文化財研究所が中心となって修復・保存を進めており、平成三十年(二〇一八年)十月三十一日に重要文化財、令和元年(二〇一九年)七月二十三日に五面すべてが国宝に指定された。

四神の館で本物の壁画を見る

古墳の北側、徒歩数分の距離に「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」がある。一階は文化庁のキトラ古墳壁画保存管理施設で、年に数回設けられる公開期間中に応募抽選で当選すれば、剥ぎ取られた本物の壁画を間近で見ることができる。地階の常設展示は年間を通して無料で開放されており、原寸大の石室レプリカや高精細映像によって、壁画と石室の全容を観覧できる構成になっている。

近鉄吉野線壺阪山駅から徒歩約十二分、近鉄飛鳥駅からは徒歩約二十二分、または明日香村のコミュニティバス「キトラ」停留所が最寄りとなる。レンタサイクルを使えば、北東に位置する高松塚古墳まで自転車で十五分ほど。同じ二上山産凝灰岩の石室をもつ二つの壁画古墳を一日で巡るのは、明日香村観光の定番コースのひとつとなっている。

Q&A

Q石室の中には入れますか。
A入れません。壁画剥ぎ取り後の平成二十五年に石室は完全に閉塞され、墳丘も埋め戻されています。四神の館の地階に原寸大の石室レプリカが常設展示されています。
Q本物の壁画はどうすれば見られますか。
A文化庁が年に数回、四神の館一階の保存管理施設で期間限定の公開を行っています。事前にインターネットまたは往復はがきで応募し、抽選で観覧者が決まります。文化庁ホームページの「キトラ古墳壁画の公開」ページから応募できます。
Q入館料はかかりますか。
A四神の館の入館は無料です。開館時間は九時三十分から十七時まで(十二月から二月は十六時三十分まで)、休館日は十二月二十九日から一月三日までです。
Q天文図はなぜそれほど重要なのですか。
A内規・赤道・外規・黄道といった座標円と、二十八宿を含む中国式星座が精密に描き込まれており、東アジアに現存する天文図としては最古かつ最も精緻なものと評価されているからです。装飾的な星空とは性格が大きく異なります。
Q高松塚古墳との違いは何ですか。
A石材は同じく二上山産凝灰岩で築造時期もほぼ同じですが、キトラ古墳は四神四体すべてに加え獣頭人身十二支像と精密な天文図を備える点で異なります。白虎の向きも逆で、屋根形の天井構造もキトラ独自です。

基本情報

名称キトラ古墳(きとらこふん)
所在地奈良県高市郡明日香村阿部山
指定区分(古墳)史跡指定:平成十二年(二〇〇〇年)七月三十一日/特別史跡指定:同年十一月二十四日
指定区分(壁画)キトラ古墳壁画五面(東西南北壁および天井):重要文化財指定 平成三十年(二〇一八年)十月三十一日/国宝指定 令和元年(二〇一九年)七月二十三日
築造時期七世紀末から八世紀初頭(終末期古墳)
規模二段築成の円墳。上段直径約九・四メートル、下段直径約一三・八メートル、高さ約四メートル超
石室二上山産凝灰岩切石組の横口式石槨。十八石で構成、内壁全面に漆喰塗装
関連施設キトラ古墳壁画体験館 四神の館(奈良県高市郡明日香村阿部山六七)
開館時間九時三十分から十七時(十二月から二月は十六時三十分まで)/休館日:十二月二十九日から一月三日
入館料四神の館の入館は無料。壁画本物の公開は事前応募・抽選制
アクセス近鉄吉野線壺阪山駅から徒歩約十二分、近鉄飛鳥駅から徒歩約二十二分、または明日香村コミュニティバス「キトラ」下車

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース キトラ古墳
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/3293
国営飛鳥歴史公園 キトラ古墳
https://www.asuka-park.jp/area/kitora/tumulus/
文化庁 国宝キトラ古墳壁画の公開
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/takamatsu_kitora/kitora_kokai/oubo/

最終更新日: 2026.05.28