海を渡ってきた舎利の器
高さ一メートルに満たない金銅の宝塔の内部に、淡い黄色を帯びた厚手のガラス壺が納められている。胴の径はおよそ十一センチ、口は細く長い筒状をなす。中に収められた舎利はごく小さな粒で、国の記録は一粒ごとに黒い点があると記す。これらは仏舎利として信仰され、唐の僧・鑑真(がんじん、六八八〜七六三)が日本へ携えたものと伝わる。唐招提寺という寺そのものが、この舎利を奉安するために開かれたといってよい。
唐招提寺は、舎利を納めるガラス壺、それを包んでいた絹の網、そして全体を納める亀形の金銅製宝塔の三点を、ひとつの国宝「舎利容器」として指定されている。三者は産地も制作の時代も異なるが、千年を超えて一具として守り継がれてきた。
由来を異にする三つの器
白瑠璃舎利壺
最も内側の器が白瑠璃舎利壺である。淡黄色の透明なガラスでつくられた蕪形の壺で、胴径は約十一・二センチ、肩までの高さは四・五センチほど、総高は九センチ前後とされる。肩の張りが強く角張り、口は長い筒状をなす。ガラスは厚く、肩や底に大きめの気泡がみられる。口縁には金銅の口金がはめられ、歴代の権力者によって封印が重ねられてきた。唐招提寺は八世紀の中国・唐代の作とし、ガラス自体はペルシャ製と説明している。西方で焼かれた器が唐の港を経て海を渡ったと考えられる。
方円彩糸花網
壺を包んでいたのが方円彩糸花網で、紺・茶緑・淡茶・白茶などの絹の色糸を、中央の方形の文様から外へと編み出したレース状の網である。最も広いところでおよそ二十七・九センチを測る。技法などから唐代八世紀の作とされ、この種のものとしては現存最古と考えられている。現状では外周の一部を残すのみとなっている。
金亀舎利塔
外側を覆うのが金亀舎利塔で、総高は約九十三センチ(寺は約九十二センチとする)、金銅の打物でつくられる。台座は亀の形をとり、木の心に金銅板を被せた構造で、四肢を張り、長い首を高く伸ばし、頭上に角をつくる。甲には花菱と亀甲の文様を刻み、地に魚子を打つ。亀の背に蓮座を据え、その上に宝塔が立つ。塔身の下層は蓮華唐草の透かし彫りとし、内部に天蓋と瓔珞を吊る。屋根は本瓦葺を模し、降棟の端には鬼瓦を彫り出す。この塔身の中に、先のガラス壺が収められる。
国宝に指定された理由
舎利容器は昭和三十四年(一九五九)に重要文化財、昭和三十六年(一九六一)に国宝へと指定された。評価されるのは単独の器ではなく、その組み合わせである。大陸から舶載された八世紀のガラス壺と絹の網が、のちに日本で制作された金銅の器に納められ、三者が一具の聖宝として封印され継承されてきた。花網は同種のものとして現存最古であり、それだけでも貴重さは際立つ。三つの器は、寺の創建の由緒を実物として今に残している。
来歴の記録も豊富である。『七大寺日記』(嘉承元年・一一〇六)や『七大寺巡礼私記』(保延六年・一一四〇)といった中世の記録に唐招提寺の舎利が記され、壺には後代の権力者による封印が加えられた。指定では附(つけたり)として、後醍醐天皇および足利義満・義教の封の花押が挙げられ、寺はさらに後小松天皇の勅封を数える。封のひとつひとつが、その時代の権力者が壺を開き、礼拝し、再び閉じた瞬間の証である。
海から現れた亀の伝説
台座の亀には由来がある。鑑真の渡日は苦難の連続で、十数年のうちに渡航は度々失敗し、来日した天平勝宝五年(七五三)には両眼の光を失っていた。航海の途上で舎利が海に沈んだとき、金色の亀がこれを背に載せて浮かび上がり、難を救ったという伝説が残る。宝塔はその故事を造形に置き換え、舎利を救ったとされる亀の上に器を据えている。
金工部分の制作時期については見解が分かれる。国の文化財データベースは鎌倉時代とし、寺は十四世紀の南北朝時代とする。源頼朝が舎利殿を再興した際に塔をつくったとの古い記録もある。亀台や壺を受ける蓮華の様式が古式であることは、早い時期の制作を示唆する。ひとつに断定せず諸説を併記しておくのが、時代を異にする部材から成るこの器にはふさわしい。
拝観できる時期と周辺の見どころ
舎利容器は一年の大半、人目に触れない。安置されるのは金堂の東に建つ二層の鼓楼で、現在は仏舎利を奉安することから舎利殿とも呼ばれる。鼓楼は仁治元年(一二四〇)建立の国宝建築で、堂内は非公開である。器が外に出るのは年に一度、十月二十一日から二十三日に営まれる釈迦念仏会のときである。鎌倉時代に解脱上人貞慶が始め、八百年にわたって続くこの法要は、鼓楼の隣の礼堂で行われる。二十一日と二十二日の昼の法要のあとには金亀舎利塔が堂の縁に運ばれ、幾重もの包み布が解かれて、透かし彫りの宝塔と内部のガラス壺を間近に拝することができる。
その時期を外しても見どころは多い。天平の金堂には乾漆の大作の仏像が並び、講堂は平城宮の建物を移したものと伝わる。御影堂の鑑真和上坐像は六月初旬の数日間に開扉され、新宝蔵では彫刻や建築部材を通年で公開している。唐招提寺は近鉄西ノ京駅から徒歩約十分、世界遺産「古都奈良の文化財」を構成する一寺である。
Q&A
- 拝観のとき舎利容器は見られますか。
- 通常は見られません。鼓楼の内部に安置され堂は非公開で、公開は十月二十一日から二十三日の釈迦念仏会に限られます。二十一日と二十二日の昼の法要後には金亀舎利塔を間近に拝することができます。
- 舎利は本当に釈迦のものですか。
- 仏舎利として信仰され、鑑真が将来した三千粒と記録されます。本来の出所を確かめることはできませんが、寺で長く奉安され篤く礼拝されてきた事実は記録に残ります。
- なぜ宝塔の下に亀がいるのですか。
- 鑑真の渡海の際、海に沈んだ舎利を金色の亀が背に載せて救ったという伝説によります。舎利を救ったとされる亀の上に器を据えた造形です。
- ガラス壺はどこで作られたのですか。
- 寺は八世紀の唐代の作とし、ガラスそのものはペルシャ製と説明しています。西方で焼かれた器が長い距離を経て日本に渡ったと考えられます。
- 三つの器はどのくらいの大きさですか。
- ガラス壺は胴径が約十一・二センチ、花網は最も広いところで約二十七・九センチ、金亀舎利塔は総高が約九十三センチです。
基本情報
| 名称 | 舎利容器(しゃりうようき) |
|---|---|
| 構成 | 白瑠璃舎利壺 一口/方円彩糸花網 一枚/金亀舎利塔 一基 |
| 所在地 | 奈良県奈良市五条町13-46 唐招提寺 |
| 所有者 | 唐招提寺 |
| 指定区分 | 国宝(工芸品) 指定番号00230 |
| 指定年月日 | 重要文化財 昭和34年(1959)6月27日/国宝 昭和36年(1961)4月27日 |
| 時代 | 壺・網=中国唐代(8世紀)/舎利塔=鎌倉〜南北朝時代(13〜14世紀) |
| 寸法 | 舎利壺 胴径約11.2cm/花網 長径約27.9cm/舎利塔 総高約93.0cm |
| 公開 | 釈迦念仏会(10月21〜23日)。平時は鼓楼(舎利殿)に安置 |
| アクセス | 近鉄西ノ京駅から徒歩約10分 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 舎利容器
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/526
- 鼓楼|伽藍と名宝|唐招提寺
- https://toshodaiji.jp/about_koroh.html
- 秋の行事|年中行事|唐招提寺
- https://toshodaiji.jp/about_autumn.html
- 唐招提寺|Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/唐招提寺
最終更新日: 2026.06.13