紙本著色天台岳中石橋図〈襖貼付六〉――南画黎明期の傑作、奈良に伝わる彭城百川の襖絵
奈良県の個人宅に大切に守り伝えられてきた一群の絵画があります。「紙本著色天台岳中石橋図〈襖貼付六〉」――和紙に色彩で中国・天台山の石橋を描き、襖六面に仕立てたこの作品は、江戸中期の絵師・彭城百川(さかき ひゃくせん、1697–1752)が宝暦元年(1751)四月、すなわち没する一年前の春に手がけた最晩年の傑作です。同じ百川の手になる七種四十一面の障壁画群「旧慈門院障壁画」の一画をなしており、全体として国の重要文化財に指定されています。
描かれているのは中国浙江省の名山・天台山にかかる天然の石橋。仏教伝説によれば、この橋を渡った先には五百羅漢が住まう浄土があるとされ、東アジアの絵画にしばしば取り上げられてきた聖なる風景です。天台宗の祖・最澄が学んだ霊地でもあるため、日本仏教にとっても格別の意味を持つ画題でした。日本南画の祖の一人として知られる百川が、この主題を襖六面という大画面にどう展開したのか――その晩年様式を伝える貴重な作例です。
歴史的背景――奈良の塔頭と一人の南画家
慈門院(じもんいん)は、江戸時代の奈良に存在した小さな塔頭寺院でした。檀家を持つ大寺ではなく、僧侶たちが学問と修行に勤しんだ静かな院家であったと考えられます。宝暦元年(1751)の春、この慈門院は当時すでに高い名声を博していた彭城百川を奈良に招き、書院を飾る一連の障壁画を発注します。
百川は尾張名古屋の薬種商「八仙堂」に生まれた町人画家でした。本姓は榊原ですが、先祖が中国江蘇省彭城(現在の徐州)の出身という伝承にちなんで自ら「彭城」を名乗ったと伝えられています。本格的に画業を始めたのは京都に出た三十一歳以降のことで、伝来した中国の画譜・典籍を通じて南宗画を独学で会得しました。寺院の障壁画を多く手がけたことから法橋に叙され、慈門院の依頼を受けた頃には絵師として円熟の境地に達していたといえます。
慈門院そのものは明治初頭の神仏分離・廃仏毀釈の混乱の中で姿を消しましたが、百川の障壁画は失われることなく後世に伝えられ、現在は個人の所有のもとで大切に守られています。「旧慈門院障壁画」という指定名称は、画題ではなくこの旧蔵地名を冠した、いわば歴史の記憶を刻んだ呼び名なのです。
重要文化財に指定された理由
百川が慈門院のために描いた障壁画は、紙本著色「天台岳中石橋図」六面、紙本墨画「芭蕉太湖石図」六面、紙本墨画「梅図」八面、紙本墨画「蘭太湖石図」四面、紙本淡彩「山水図」五面、紙本墨画「雪竹図」八面、紙本著色「草花図」四面の合計四十一面に及びます。一寺の障壁画程として実に七種にわたるこの群像は、現存する百川の作品中、最大規模かつ最もまとまった構成を保つもので、その点が指定の決定的な要因となりました。
とりわけ「天台岳中石橋図」が紙本著色――すなわち全面に彩色を施した作品である点は注目に値します。同じ慈門院の障壁画群の他の六種が水墨ないし淡彩を基調とすることを考えると、この六面が掛けられていた一室は、特に格式高い礼拝あるいは上段の空間として位置づけられていたと推測されます。描く題材の聖性と空間の格を、画材の選択そのものに反映させた意匠といえるでしょう。
画題の世界――天台山の石橋と五百羅漢
天台山は中国浙江省、寧波の南西に位置する名山で、絶壁にかかる細い天然の石橋は実在する景観です。その石橋を境に向こう側には五百人の羅漢(仏弟子の聖者)が住まう浄土があり、橋は徐々に細くなって渡りきれる者は限られる――そう信じられてきました。
天台宗の開祖・最澄が天台山国清寺で学んだことから、日本においても天台山は仏教の聖地として深い信仰を集めました。南宋時代の画僧・林庭珪と周季常が描いた「五百羅漢図」は鎌倉時代に日本にもたらされ、大徳寺などに伝わってこの画題を広めたことでも知られます。百川が選んだ「天台岳中石橋図」もこうした連綿たる東アジアの宗教絵画の伝統を踏まえたものですが、襖六面という建築空間に展開することで、室内全体を聖なる山水へと変容させる試みでもありました。観る者は襖に囲まれることで、まさに天台山中に身を置く感覚を得ることができたはずです。
魅力と見どころ
百川の絵画は、南画家としては珍しく襖や屏風といった大画面を巧みに描きこなした点に大きな特色があります。同時代の南画黎明期の絵師の多くは、掛幅や扇面など比較的小さな画面で力を発揮しましたが、百川は俳諧で培った感性と中国画譜への深い造詣を組み合わせ、大画面の構成にも対応しうる稀有な技量を備えていました。
紀州を訪れた際に祇園南海から贈られた中国画譜『芥子園画伝』は、百川にとって生涯を通じての座右の書となりました。本作にも、その学習の成果が随所にうかがえます。一方で単なる中国画の引き写しではなく、画面に流れる呼吸や墨色のリズムには、俳号「松角」「昇角」として活躍した俳人・百川ならではの軽やかな抒情がにじみます。中国の文人画では本来好まれない着色を仏教画題に積極的に用いた点も、日本人の感性が結晶した独自の表現といえるでしょう。
慈門院障壁画群を構成する他の画題――芭蕉と太湖石、梅、蘭、山水、雪竹、草花――をあわせ見ると、百川の幅広い表現領域が一つの建築空間に立ち現れる総合的な絵画プログラムであったことがわかります。「天台岳中石橋図」の彩色がもたらす濃密な聖性と、他室の水墨が湛える清冽な余情とが、互いを引き立て合う構成になっていたと考えられます。
拝観について
本作品は個人所有のため常時公開されておらず、奈良を訪れたからといって直接対面できる作品ではありません。日本南画の特別展や彭城百川を主題とした企画展が奈良国立博物館・京都国立博物館、あるいは百川ゆかりの愛知県内の館で開催される際に、まれに姿を見せることがあります。観覧を強く希望される方は、これらの主要美術館の展覧会情報をあらかじめ確認することをおすすめいたします。
幸い奈良市内には、本作品の文化的背景を体感できる場所が数多く残されています。奈良国立博物館の仏教美術コレクション、奈良公園周辺の寺社、そして慈門院と同じく興福寺に連なる門跡寺院であった大乗院の遺構などを巡ることで、本作品が描かれた江戸中期の宗教文化の空気に触れることができるでしょう。
周辺の見どころ
慈門院障壁画の文化的世界に関心を持たれた方には、奈良市内の以下のスポットをあわせてお訪ねいただくことをおすすめいたします。名勝「旧大乗院庭園」は、興福寺の門跡寺院であった大乗院の旧地に残る、室町時代の作庭家・善阿弥による池泉回遊式庭園です。慈門院のような小院家がどのような環境のもとに営まれていたかを、視覚的に偲ぶことができます。
奈良国立博物館は、なら仏像館・新館の常設展示に加え、しばしば江戸時代の文人画や寺院ゆかりの絵画を取り上げる特別展を企画しており、彭城百川や同時代の画家の作品が出展されることもあります。また、奈良県立美術館では池大雅、与謝蕪村ら、百川の影響を受けた後継世代の作品が紹介される機会もあります。世界遺産・興福寺の国宝館では、奈良の塔頭文化が花開いた寺院世界の威容を、仏像彫刻群を通じて感じ取ることができます。
Q&A
- この作品は奈良を訪れれば見ることができますか?
- 本作品は個人の所有で、常設公開されておりません。日本南画や彭城百川にまつわる特別展が、奈良国立博物館や京都国立博物館、百川ゆかりの愛知県内の館で開催される際に出展されることがあります。事前に各館の展覧会情報をご確認ください。
- 彭城百川とはどのような絵師ですか?
- 彭城百川(1697–1752)は尾張名古屋出身の絵師で、服部南郭・祇園南海・柳沢淇園と並び日本南画の祖の一人に数えられます。日本で初めて本格的に中国南宗画様式の山水を描いた画家とされ、その作風は後の池大雅・与謝蕪村らに大きな影響を与えました。
- 「天台岳中石橋図」は何を描いた絵ですか?
- 中国浙江省の名山・天台山に実在する天然の石橋を描いたものです。仏教伝承では、この石橋を渡った先には五百羅漢が住まう浄土があるとされ、天台宗の祖・最澄ゆかりの霊地として日本でも広く知られていました。
- 慈門院とはどのようなお寺だったのですか?
- 江戸時代の奈良に存在した塔頭寺院ですが、明治初頭の神仏分離・廃仏毀釈の影響により廃絶しました。当時の建物は失われましたが、彭城百川の手になる障壁画群は無事に伝えられ、「旧慈門院障壁画」として現在は重要文化財に指定されています。
- 日本美術史の中で本作品はどのような位置づけにありますか?
- 日本南画黎明期の絵師による現存最大規模の障壁画群を構成する作品の一画で、文人画系の絵師が日本独自の襖絵という建築空間にどう向き合ったかを示す稀有な作例です。日本画における南画様式の定着を考える上で、極めて重要な位置を占めています。
基本情報
| 指定名称 | 紙本著色天台岳中石橋図〈襖貼付六〉 |
|---|---|
| 指定区分 | 重要文化財(「旧慈門院障壁画」全四十一面の一部として一括指定) |
| 作者 | 彭城百川(さかき ひゃくせん、1697–1752) |
| 制作年 | 宝暦元年(1751)四月 |
| 技法・形状 | 紙本著色、襖貼付六面 |
| 旧所在 | 慈門院(奈良、現在は廃絶) |
| 現在の所在 | 奈良県(個人蔵) |
| 公開情報 | 常設公開なし。特別展への出展時に拝観の機会あり |
参考文献
- 奈良県の重要文化財一覧(Wikipedia)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/奈良県の重要文化財一覧
- 彭城百川(Wikipedia)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/彭城百川
- 彭城百川(Weblio辞書 デジタル大辞泉・美術人名辞典・ウィキペディア)
- https://www.weblio.jp/content/彭城百川
- The Rock Bridge at Mount Tiantai(米国スミソニアン国立アジア美術館)
- https://asia.si.edu/object/F1907.139
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/
- 文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
- https://bunka.nii.ac.jp/
- 大槻幹郎『文人画家の譜』ぺりかん社、2001年
- 参照(Wikipedia「彭城百川」出典より)
最終更新日: 2026.04.26