玉虫厨子 ― 玉虫の羽で飾られた飛鳥のミニチュア仏堂
黒漆塗りの小さな仏堂の柱や框に、唐草を透かし彫りにした金銅の金具が打たれている。その金具の下に、かつては玉虫の羽が幾千と敷き並べられ、透かしのすき間から緑と金の光沢がのぞいていた。法隆寺が所蔵する玉虫厨子(たまむしのずし)は、この羽の装飾からその名を得た飛鳥時代の厨子である。玉虫は金属光沢をもつ甲虫で、その翅鞘(ししょう)を装飾に用いたことが名の由来になっている。
厨子とは、仏像や仏画、舎利などの礼拝対象を納めるための屋根付きの工作物をいう。玉虫厨子が他と異なるのは、その姿が単なる箱ではなく、ひとつの仏堂をそのまま高い台座に載せた形をとっている点にある。総高は文化庁の記録で233センチメートル、図録や事典類では226.6センチメートルとする例もあり、いずれにせよ高さ2メートルを超える。
構造は下から三つの部分に分かれる。低い台脚の上に、仏教の世界観でいう須弥山をかたどった須弥座(しゅみざ)が立ち、その上に厨子の本体である宮殿(くうでん)部が置かれる。宮殿は厨子の古い呼び名で、ここでは小さな仏堂の形に造られている。本体は全面が黒漆で仕上げられ、柱・桁・框といった細長い部材には金銅の透彫金具が施される。玉虫の羽が敷かれていたのは、この金具の下であった。
国宝に指定された理由
玉虫厨子は昭和26年(1951年)6月9日に現行法のもとで国宝に指定された。それ以前の明治30年(1897年)12月28日には旧制度の国宝にも列せられており、日本が早い段階で保護の対象として選び出した文化財のひとつにあたる。区分は工芸品だが、その価値はいくつもの分野にまたがる。
理由は、飛鳥時代の工人が一個の作品に込めた技術の幅にある。建築、木工、金工、漆工、絵画の各分野が高い水準で扱われ、ひとつの意匠のなかに渾然と融け合っている。文化庁はこれを、この種の総合的な工芸の遺品として最も傑出したものと位置づけている。
建築資料としての価値はとりわけ大きい。7世紀の木造建築は法隆寺の諸堂を除いてほとんど現存せず、当時の姿は発掘された遺構から推測するほかない場合が多い。宮殿部はそこで失われた特徴を保っている。屋根は段差を設けて葺く錣葺(しころぶき)で、入母屋造の原形とされる形式であり、軒の組物には雲形の肘木(雲肘木)が用いられている。屋根の両端には鳥の尾をかたどった鴟尾(しび)が立つ。現在のものは原物が亡失したのちの後補だが、玉虫厨子は鴟尾の最古の例に数えられることがある。
絵画にも独自の主張がある。須弥座に描かれた釈迦の前世の物語は、日本における説話画の最古の例と読まれている。ひとつの画面のなかに物語の複数の場面を描き込む異時同図法という手法が用いられ、見る者の視線が画面のなかで筋を追えるよう構成されている。
見どころ
まず須弥座の四面に注目したい。絵が最もよく残るのがこの部分である。彩色は色漆と、油絵の一種である密陀絵(みつだえ)を併用し、暗い地の上に朱・黄・緑の顔料を置いている。
右側面には最もよく知られた図、捨身飼虎図(しゃしんしこず)が描かれる。釈迦の前世である摩訶薩埵王子(まかさったおうじ)が、七匹の子を連れて飢えた虎に出会い、崖から身を投げて自らの身を食わせるという『金光明経』の説話である。画家は王子を一画面に三度描き、上で衣を脱ぐ姿、空を落ちる姿、下で虎たちの間に横たわる姿を示す。手前には竹林が配され、最も激しい場面はあえて半ば隠される。
左側面には、同じく捨身の物語である施身聞偈図(せしんもんげず)が描かれる。ヒマラヤで修行する雪山童子(せっせんどうじ)が、無常を説く偈の後半を聞くために、自らの身を鬼に与えることを承知するという話である。正面には舎利を前にした供養の図、背面には仏教の世界の中心とされる山を描いた須弥山世界図が置かれる。なお背面については、文化庁の記録は多宝塔とし、博物館の解説では神仙世界と読むものもあって、解釈には諸説がある。
玉虫の羽そのものは、今日では最も見えにくい要素となっている。13世紀あまりの歳月のなかでその多くが失われ、残る金具の下にわずかな痕跡をとどめるのみで、名の由来となった緑の輝きは想像で補うほかない。代わりに宮殿部の内壁を見たい。そこには金銅を打ち出した小さな仏像(押出千仏)が並べ貼られている。本尊はもとは三尊仏であったが、13世紀に盗難に遭い、現在は仮に金銅の観音像が納められている。
法隆寺の周辺
玉虫厨子は、平成10年(1998年)に法隆寺東院近くに開かれた大宝蔵院に安置されている。寺に伝わる多くの可動の名宝をひとつの施設に集めるために建てられた建物で、一度の拝観でこの厨子を他の第一級の作品とあわせて見ることができる。
すぐ近くには、日本でも指折りの仏像として名高い細身の百済観音、悪夢を吉夢に替えると伝えられる少年のような夢違観音が立つ。蓮池から立ち上がる阿弥陀三尊を背にした、橘夫人ゆかりと伝える厨子も同じ館内にある。法隆寺は奈良市の西、斑鳩(いかるが)の地にあり、境内には現存する世界最古の木造建築が建つ。玉虫厨子の小さな仏堂は、ほぼ同時代の実物大の建築とその場で見比べられる。
Q&A
- 玉虫の羽は今も見られますか。
- ごくわずかにとどまります。羽の大部分は長い年月のうちに失われ、残った金銅金具の下に少数が残るのみです。名の由来となった輝く表面は、現在では記録や復元によって知られる部分が多くなっています。
- どこで展示されていますか。
- 奈良県斑鳩町の法隆寺境内にある大宝蔵院に安置されています。平成10年(1998年)に開かれた施設で、寺の可動の宝物が集められています。
- 厨子の中には今、何が納められていますか。
- 金銅の観音像です。本尊はもと三尊仏であったと考えられていますが、13世紀に盗難に遭い、その後に観音像が仮に納められました。
- 誰が、いつ造ったのですか。
- 飛鳥時代、おおむね7世紀、その半ば頃に置かれることが多い作品です。製作者の記録はありません。絵画の様式に朝鮮半島や中国六朝時代の作品に通じる特徴がみられることから、大陸系の技術をもつ工人の関与が考えられていますが、これは記録に基づく事実ではなく一つの解釈です。
- 写真撮影はできますか。
- 法隆寺の宝物展示館内では、撮影は通常認められていません。規則は変わることがあるため、拝観当日に入口で最新の方針を確認することをおすすめします。
基本情報
| 名称 | 玉虫厨子(たまむしのずし) |
|---|---|
| 区分 | 国宝(工芸品) |
| 時代 | 飛鳥時代・7世紀 |
| 指定 | 旧国宝指定:明治30年(1897年)12月28日/国宝指定:昭和26年(1951年)6月9日(指定番号00034) |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 総高233センチメートル(文化庁の記録。図録・事典類では226.6センチメートルとする例もある) |
| 材質・技法 | 木製(主に檜、一部に樟)、黒漆塗、密陀絵・色漆による絵画、金銅金具、玉虫の羽 |
| 所有者 | 法隆寺 |
| 所在地 | 奈良県斑鳩町 |
| 公開 | 法隆寺 大宝蔵院 |
References
- 文化庁 国指定文化財等データベース(玉蟲厨子)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/321
- 法隆寺 公式サイト 大宝蔵院(百済観音堂)
- https://www.horyuji.or.jp/garan/daihozoin/
- コトバンク 玉虫厨子(世界大百科事典ほか)
- https://kotobank.jp/word/玉虫厨子-94356
- 奈良国立博物館 収蔵品 玉虫厨子(模造)
- https://www.narahaku.go.jp/collection/1439-0.html
最終更新日: 2026.06.13