粘土に刻まれた天人の姿

飛鳥の古い里を見下ろす岡寺(龍蓋寺)に、一枚の焼き物が残されている。天人文甎(てんにんもんせん)と呼ばれる、一辺およそ三十九センチメートル、厚さ約八センチメートルの方形の甎である。岡寺の出土と伝えられ、現在は重要文化財に指定されている。

甎は「磚」とも書き、粘土を焼き固めた煉瓦状あるいはタイル状の建築材を指す。無文のものは床に敷かれることが多いが、この一枚は片面すべてが装飾にあてられている。文様面のまわりには幅約三・八センチメートルの無文の縁がめぐり、その内側に天人が一体、片膝をついた姿で表されている。両手で領巾(ひれ)と呼ばれる細長い布をかかげ、顔をやや上に向けている。

制作時期については見解が分かれる。文化庁の国指定文化財等データベースは奈良時代とし、本品を所蔵する京都国立博物館は七世紀後半、飛鳥時代の終わり頃に位置づけている。いずれにしても、日本における仏教建築の最初期に属する遺品である。

一枚の甎が重要文化財となるまで

天人文甎が国の保護を受けたのは、明治三十年(一八九七年)十二月二十八日のことである。この日付は古社寺保存法による初期の指定にあたり、日本が法律によって守ろうとした最初期の文化財の一群に本品が含まれていたことを意味する。指定番号は六十九番、種別は考古資料、員数は一枚と記録される。

価値の核心は、その類例の少なさにある。文様を施した甎は日本の出土品のなかでもきわめてまれで、近い作りのものとしては、同じく岡寺の出土と伝える鳳凰文の甎が知られる程度である。京都国立博物館は、この天人の造形に朝鮮半島・新羅(しらぎ)の影響を読み取っている。一枚の小さな焼き物が、飛鳥の寺院に流れ込んだ大陸の工芸の流れと結びついている点が注目される。

もとどこに据えられていたかという問いも残る。最も有力な見方は、本尊を安置する須弥壇(しゅみだん)の腰の部分などにはめ込まれていたとするものである。もしそうであれば、本品は七世紀の日本の堂内がどのように装飾されていたかを示す断片ということになる。仏像を載せる壇の側面が無地ではなく、天人の像で飾られていた可能性をうかがわせる。

図様を読む

レリーフに目を凝らすと、つくり手の細やかな選択が見えてくる。天人は直立も静止もしていない。やや身をかがめ、両手を上げて領巾をささげ持ち、頭を後ろへ反らせている。身にまとう天衣(てんね)は体に沿ってゆるやかに翻る。髪は上方へ逆立つものと下方へ垂れるものとが同時に表され、その差が動きを感じさせる。地に立つのではなく、空中から舞い降りようとする一瞬をとらえようとしたものと考えられる。

訪問にあたって一点、注意したいことがある。実物は岡寺から京都国立博物館へ寄託されており、常時公開されているわけではない。同館は考古の展示を入れ替えるため、見られる時期は限られる。岡寺には精巧な御分身(複製)が安置されているので、図様を本来の場にちかい形で見たい場合は岡寺へ、本物に対面したい場合は京都国立博物館の展示日程を確かめてから足を運ぶとよい。

岡寺そのものも訪ねる価値が大きい。本尊の塑造如意輪観音坐像は高さ約四・六メートルにおよび、日本最大の塑像として知られる。仁王門と書院はいずれも重要文化財である。春には境内の斜面が石楠花(しゃくなげ)と牡丹に覆われる。

岡寺と飛鳥の周辺

岡寺は正式には龍蓋寺といい、高市郡明日香村に位置する。古代日本の国家が形づくられた土地である。開基は義淵僧正と伝えられ、龍蓋寺の名は、村人を苦しめた龍を本堂前の池に封じ込め石で蓋をしたという伝説に由来する。本堂前にはその龍蓋池が今も残る。岡寺は西国三十三所観音霊場の第七番札所であり、日本で最初の厄除け霊場の一つとして信仰を集めてきた。

周囲には、徒歩や自転車でめぐれる範囲に古代の遺跡が集まっている。巨大な石室をもつ石舞台古墳、日本最初の本格寺院である飛鳥寺の旧地、彩色壁画で知られる古墳などである。岡寺へは近鉄の橿原神宮前駅または飛鳥駅から明日香周遊バスを使い、岡寺前で下車して細い坂道を上る経路が一般的で、駅前のレンタサイクルを利用する人も多い。

複製ではなく実物の甎を見たい場合は、行き先が変わる。原品が並ぶのは京都国立博物館の考古展示が組まれたときに限られるため、出発前に同館の展示予定を確認しておきたい。

Q&A

Q天人文甎の実物はどこで見られますか。
A原品は岡寺から京都国立博物館に寄託されています。常設展示ではなく、考古の展示替えに応じて公開されるため、事前に展示日程をご確認ください。岡寺には精巧な複製(御分身)が安置されています。
Q「甎」とは何ですか。
A粘土を焼き固めた煉瓦またはタイル状の建築材で、大陸から日本へ伝わった技術です。無文のものは床などに敷かれました。本品は装飾を施したもので、堂内の須弥壇の腰などにはめ込まれていたと考えられています。
Qいつ頃のものですか。
A資料により異なります。文化庁のデータベースは奈良時代とし、京都国立博物館は七世紀後半、飛鳥時代の終わり頃としています。いずれも日本の仏教寺院建立の初期にあたります。
Qどのような図様が表されていますか。
A片膝をついて両手で領巾をかかげ、顔を上に向けた天人です。天衣や髪が動きをもって表され、空から舞い降りる一瞬をとらえた姿と解されています。
Q岡寺はこの甎以外にも見どころがありますか。
Aあります。日本最大の塑像である塑造如意輪観音坐像(高さ約四・六メートル)を本尊とし、西国三十三所第七番札所です。仁王門と書院は重要文化財で、春は石楠花や牡丹で知られます。

基本情報

名称天人文甎(てんにんもんせん)/磚とも書く
指定区分重要文化財(考古資料) 指定番号六十九番 員数一枚
指定年月日明治三十年(一八九七年)十二月二十八日 古社寺保存法による
時代奈良時代(文化庁データベース)/七世紀後半・飛鳥時代末(京都国立博物館)
法量一辺約三十九センチメートル 厚さ約八センチメートル
出土奈良県高市郡明日香村岡(岡寺)出土と伝わる
所蔵岡寺 現在は京都国立博物館に寄託
公開状況原品は京都国立博物館(展示替えあり) 複製は岡寺に安置
岡寺所在地奈良県高市郡明日香村岡八〇六

参考文献

名品紹介「天人文磚」 京都国立博物館
https://www.kyohaku.go.jp/jp/collection/meihin/kouko/item10/
重要文化財 天人文甎 岡寺公式サイト
https://www.okadera3307.com/about/jihou.html
国指定文化財等データベース 文化庁
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/9679
第七番 岡寺 西国三十三所
https://saikoku33.gr.jp/place/7
岡寺 明日香村観光ポータルサイト
https://asukamura.com/sightseeing/481/

最終更新日: 2026.06.14