粘土を型で抜いて焼いた、三尊のほとけ
湿った粘土を彫った型に押し当て、はがして焼き締める。この短い工程から生まれたのが塼仏(せんぶつ)である。甎佛とも書く板状の仏像で、日本で早い時期につくられた量産の仏のひとつに数えられる。三尊甎佛は、その仲間にあたる。中央に如来、その左右に脇侍を配し、一枚の焼き物の表面に浅い浮き彫りであらわしたものである。
この作品は明治34年(1901年)3月27日に国の指定を受けた。日本が文化財保護の仕組みを整え始めた、ごく初期の指定にあたる。国のデータベースでは奈良時代の考古資料として登録されているが、この種の板仏は7世紀後半から近畿地方に広まったものであり、それより早い時期に位置づける見方も成り立つ。
現存するのは一枚である。一枚と聞くと小ぶりに思えるが、本来の使われ方を想像すると印象が変わる。同じ板仏を数十枚、ときに数百枚も壁面に並べ、堂内をほとけで埋め尽くす。そうした荘厳の一片だったと考えられている。
指定の理由と価値
明治34年という指定の早さが、まず注目される。日本が古社寺保存法を公布したのはその4年前にすぎない。この法のもとで初期に選ばれた品々は、社寺が所有し、歴史や美術の上で価値が明らかと判断されたものだった。豪華な絵画や金銅仏が並んで指定されるなか、粘土の板仏が選ばれている。早い時期の研究者が塼仏の重要性をどう読み取っていたかがうかがえる。
その価値は、ある時代の一場面を記録している点にある。板仏の技法は唐から日本へもたらされた。型で抜かれた仏には、薄い衣やふくよかな体つきといった唐の彫刻の好みが反映されている。型を用いるため、現存する作例どうしを比べると、同じ型から抜いたものと、完成品を粘土に押し当ててうつしとった型から抜いたものとが見分けられる。初期の仏教工房のしごとを、これほど直接にたどれる素材は多くない。
残された経緯にも特異さがある。知られている塼仏の多くは、いまは失われた廃寺の跡から掘り出されたもので、堂を焼いた火にあぶられた例も少なくない。これほど早く指定され、しかも遺跡から発掘されたのではなく保管されてきた板仏は、めずらしい部類に入る。
見どころ
図像は、ゆっくり眺めるほど応えてくれる。この種の三尊像では、中尊の如来が座にすわって定印を結び、左右の脇侍菩薩が蓮華座の上に立って合掌する。中尊の頭上には天蓋が描かれ、その左右に小さな天人が舞う例も多い。一連の場面が、両手におさまるほどの板の上に凝縮されている。
浮き彫りの深さに目をとめたい。これは丸い彫刻ではなく、粘土に描かれた絵に近く、斜めの光をとらえる程度にわずかに盛り上がっている。かつて表面をおおっていた彩色や金箔のあとがかすかに残る例があり、木の下地に打ちつけた釘の穴をとどめる板もある。少しゆがんだ形や、黒く焦げた色合いにも注意したい。多くの塼仏は火を経ており、そのゆがみは作りの欠点ではなく、たどってきた歴史の一部である。
一体の大きな仏像と並べると、粘土の三尊は静かに見えるかもしれない。だが、ほとけを限りなく増やすための壁の一単位として見ると、印象は変わる。繰り返すことそのものに意味があった。
同種の塼仏を見られる場所
国のデータベースには、この板仏の現在の所有者や公開場所が記されていない。指定された考古資料の多くがそうであるように、常時公開されている可能性は低いとみておくのが妥当である。三尊の塼仏が実際にどのようなものかを知りたい場合は、同種の作例を入れ替えながら展示する博物館を訪ねるほうが確実である。
奈良国立博物館は、7世紀の飛鳥地方の寺院に関わる火頭形や方形の三尊塼仏を複数所蔵し、考古や仏教美術の展示室で公開している。東京国立博物館は、奈良県高取町の南法華寺(壺阪寺の名で親しまれる)から出土した板仏を収める。いずれの館も展示品を入れ替えるため、訪れる前に開催中の展示一覧を確認しておくとよい。
背景まで知りたければ、寺院の跡そのものを歩くのも実りがある。飛鳥の川原寺跡は、1970年代に千点を超える板仏の断片が見つかった場所で、明日香村から無理なく足をのばせる。塼仏が最初の居場所とした初期寺院が、その一帯に密に残っている。
Q&A
- 塼仏とは何ですか。
- 粘土を彫った型に押し当て、焼いてつくった仏像です。仏の姿を低い浮き彫りであらわした板状のもので、よく似た像を短期間に数多くつくれました。主に堂内を飾るためや、手元で拝む念持仏として用いられたと考えられています。
- この板仏そのものを見学できますか。
- 国のデータベースには公開先の所有者や会場が記されておらず、常設で見られるものではないとお考えください。同じ種類の三尊塼仏を実際に見たい場合は、奈良国立博物館と東京国立博物館が入れ替え展示で公開しています。
- いつ頃のものですか。
- 公式の記録では奈良時代とされます。ただし、この種の板仏は7世紀後半から近畿地方に広まっており、それより早い段階に位置づける見方も成り立ちます。資料によって扱いが分かれ、どちらの読み方にも根拠があります。
- 明治34年の指定には、どんな意味がありますか。
- 日本における文化財保護のごく初期の指定のひとつで、明治30年に公布された古社寺保存法のもとで行われました。社寺の所有品が対象でした。これほど早く選ばれたことは、粘土の板仏の価値がどれほど重く受けとめられていたかを示しています。
- 塼仏に傷んだものや焼けたものが多いのはなぜですか。
- 多くは、のちに焼失したり荒廃したりした寺院の跡から見つかったためです。長く土に埋もれ、あるいは火にさらされたことで、焦げ・ゆがみ・破損が現存する作例の多くに共通してみられます。
基本データ
| 名称 | 三尊甎佛(さんぞんせんぶつ) |
|---|---|
| 指定区分 | 重要文化財(考古資料) |
| 指定年月日 | 明治34年(1901年)3月27日/指定番号 00063 |
| 員数 | 1枚 |
| 時代 | 国のデータベースでは奈良時代。この種の板仏は7世紀後半から広まる |
| 材質 | 土製(焼き物)、低い浮き彫り |
| 所在地 | 奈良県。現在の所有者・保管施設は国のデータベースに記載なし |
| 公開状況 | 常設公開の記載なし。同種の作例は奈良国立博物館・東京国立博物館で見られる |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)三尊甎佛
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/9675
- 文化遺産オンライン 三尊像塼仏
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/541355
- e国宝(国立文化財機構)三尊像塼仏
- https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100588
- 奈良国立博物館 火頭形三尊塼仏(伝奈良県橘寺出土)
- https://www.narahaku.go.jp/collection/1153-0.html
- 文部科学省 文化財保護の歩み(第四節 文化財保護)
- https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317734.htm
最終更新日: 2026.06.14