木造聖徳太子〈山背王、殖栗王/卒末呂王恵慈法師〉坐像(聖霊院安置)
世界最古の木造建築群として知られる法隆寺。その西院伽藍の一角にひっそりと佇む聖霊院には、一年のうちわずか数時間しか扉が開かれない五躯の国宝仏像が安置されています。中央には日本古代史を代表する聖人・聖徳太子、そしてその長子・兄弟皇子・師である高句麗僧を従えた、平安時代後期の名作群です。太子信仰が高揚した時代の空気そのままに、厨子の奥で静かに坐し続けるこの像たちは、日本人の信仰の原風景とも呼ぶべき存在です。
歴史的背景
聖徳太子(574年~622年)は、推古天皇の摂政として仏教を軸とする国づくりを進めた古代日本の象徴的人物です。その一家「上宮王家」は、現在の法隆寺東院のあたりに斑鳩宮を営み、寺の歴史はまさに太子の居所と地続きにあります。太子の没後、その遺徳を慕う想いは次第に組織的な信仰へと姿を変え、平安時代後期には「太子信仰」として大きな高揚を見せました。
その信仰の核となる場として整えられたのが、聖霊院です。法隆寺の古文書『法隆寺別当次第』によれば、保安2年(1121年)、東室(僧侶の起居する長大な僧坊)の南端部分を改造して聖霊院が設けられました。これは聖徳太子の五百回忌を目前に控えた年にあたり、安置された五躯の像もちょうどこの時期に一連の造像計画として造られたと考えられています。
つまり本像群は、日本史における信仰復興の大きなうねりの中から生まれた作品であり、歴史上の実在人物がやがて菩薩にも比される存在へと昇華していく、その転換の瞬間を現代に伝える貴重な証でもあります。
国宝に指定された理由
本像群は昭和27年(1952年)11月22日に、五躯一括で国宝に指定されました。その価値は次のように整理できます。
第一に、平安時代後期の肖像彫刻として極めて完成度が高く、かつ保存状態が良いことが挙げられます。中心仏と四躯の眷属像が揃って現存し、しかも当初の建築空間の中にそのまま伝わっている例は、他にほとんど類を見ません。
第二に、造像の背景を証する具体的な資料が像内から発見されている点です。中央の聖徳太子像の内部からは、小型の銅造観音菩薩立像(木造の蓬萊山および亀座付き)と、法華経・維摩経・勝鬘経の写経三巻が納入されていました。経巻の奥には「筆師法隆寺僧隆暹敬白」と墨書されており、法隆寺僧・隆暹によって書写されたことが明記されています。これらは像本体と一体の附指定として国宝に加えられ、12世紀初頭の法隆寺の宗教活動と本像とを結びつける揺るがぬ証拠となっています。
第三に、その図像構成の独自性があります。太子を中心に据え、血縁の皇族のみならず渡来僧である師までを配した眷属構成は、仏教が日本にもたらされた当時の家族的・政治的・国際的な人間関係の網を一堂に表そうとする、他に類を見ない記念碑的な試みなのです。
魅力と見どころ
聖徳太子像——正装の摂政の姿
中央の聖徳太子像は、朱色の袍(ほう)をまとい、両手で笏(しゃく)を持って坐す正装の姿をしています。頭には中国皇帝などが戴く冕冠(べんかん)の形式をとった冠を載せ、その正面には太子が深く信仰した毘沙門天の小さな化仏が表されています。ただし、この毘沙門天像、冠上の冕板、持物の笏、左袖口の一部、裳先の一部は後補とされています。
この像がどのような場面の太子を表すのかについては、古来説が分かれてきました。鎌倉時代の『聖徳太子伝私記』は、34歳の時に勝鬘経を講じた姿だとしています。一方、袍と笏という正装の組み合わせから、むしろ摂政としての太子像と見る説もあり、いずれの見解も、太子の記憶が「聖人」と「政治家」のあいだを行き来しながら形作られてきたことを物語っています。
眷属四躯——家族・異母弟・そして師
太子を囲む四躯の像は、それぞれ手にする持物によって人物を特定できるよう工夫されています。
- 山背王(山背大兄王):太子の長子で、母は蘇我馬子の娘・蘇我刀自古郎女。如意を持ちます。太子没後は上宮王家を継ぎ将来を嘱望されましたが、政争の末に斑鳩宮で一族とともに自害するという悲劇的な最期を遂げました。
- 殖栗王(えぐりおう):太子の同母弟で、用明天皇の第五皇子。筥(はこ)を持ちます。古来有名な「聖徳太子および二王子像」に描かれる二童子の一人は、殖栗王であるとされています。
- 卒末呂王(そとまろおう):太子の異母弟で、用明天皇の第三皇子。麻呂子王、当麻皇子とも呼ばれます。大刀を持ちます。母は葛城氏の出身で、葛城氏の氏寺である當麻寺(当麻寺)を創建したと伝わります。
- 恵慈法師(えじほうし):高句麗の僧。柄香炉を手にして坐しています。推古天皇3年(595年)に渡来して太子の仏教の師となり、20年あまりを日本で過ごした後、推古天皇23年(615年)に帰国しました。太子没の翌年、同じ月日に入滅したと伝えられ、その深い師弟の絆を今に偲ばせます。
太子を除く皇族の三像は、左右に輪を結った「みずら」姿の童子として表され、表情にも愛嬌があって親しみやすく、当時の造像の自在さを感じさせます。
三厨子の構成
聖霊院の内陣には間口三間の厨子が連なり、中央の厨子に聖徳太子像を安置、向かって左(西)の厨子には奥に重要文化財の如意輪観音像、手前に山背王像(左)と殖栗王像(右)、向かって右(東)の厨子には奥に重要文化財の地蔵菩薩像、手前に卒末呂王像(左)と恵慈法師像(右)を配しています。歴史の中の太子を、菩薩という「出世間」の存在が後ろから支え、さらに現世で太子と歩みをともにした眷属たちが前列を固める——この三重構造こそが、本像群を一つの祈りの宇宙たらしめているのです。
拝観の手引き
これらの五躯は秘仏(中秘仏)として扱われており、通常は厨子の扉が固く閉ざされています。聖霊院の外陣は現在、法隆寺の御朱印授与所として使われており、多くの参拝者は厨子の奥に国宝群が安置されていることに気づかないまま通り過ぎていきます。
厨子が開かれるのは、聖徳太子の命日にあたる法要「お会式」の期間のみです。毎年3月22日から24日まで、聖霊院では13時から法要が営まれ、期間中のみ太子像と眷属像を拝することができます。また前日の3月21日夕刻18時頃からは「お逮夜法要」が執り行われ、この時にも厨子の扉が開かれて像を拝観することができます。ただし、お会式当日は厨子の前にお供物が山高く積まれるため像の全容を見ることが難しく、お逮夜は堂内が薄暗く拝観時間も短いため、それぞれの特性を踏まえて訪れる日を選ぶとよいでしょう。
法隆寺そのものは年間を通して拝観が可能で、世界最古の木造五重塔をはじめ多数の国宝を併せて見学することができます。聖霊院の建物自体も国宝に指定されており、外観はいつでも眺めることができます。
周辺の見どころ
聖霊院は法隆寺の西院伽藍に位置し、周囲には国宝級の文物が集中しています。7世紀後半に建てられた金堂と五重塔は、現存する世界最古の木造建築群として広く知られます。大宝蔵院には、百済観音像や夢違観音像をはじめとする名品が数多く展示されています。
西院伽藍から東へ歩けば、東院伽藍の夢殿へ至ります。夢殿は聖徳太子の斑鳩宮跡に建てられた八角堂で、太子等身とされる秘仏・救世観音像を安置しています。さらに斑鳩の里には、太子ゆかりの法輪寺・法起寺といった古刹もあり、周囲ののどかな田園風景の中を巡ると一日があっという間に過ぎていきます。交通はJR法隆寺駅からの路線バスが便利です。
Q&A
- 通常の参拝でこの五躯を拝観することはできますか。
- 通常は拝観できません。中秘仏として厨子の扉は閉ざされており、毎年3月21日夕方の「お逮夜法要」と、3月22日から24日までの「お会式」の期間中にのみ厨子が開かれます。拝観を希望される場合は、この日程に合わせて訪れる必要があります。
- 聖徳太子の周りに坐す四躯は、どのような人物ですか。
- 長子の山背王(山背大兄王)、同母弟の殖栗王、異母弟の卒末呂王、そして太子の仏教の師である高句麗僧・恵慈法師の四人です。太子の家族と師を一つの空間に集めた、他に例を見ない構成です。
- これらの像が造られたのはいつ頃ですか。
- 平安時代後期、保安2年(1121年)頃と考えられています。この年、東室の南端を改造して聖霊院が整えられ、聖徳太子の五百回忌を控えた太子信仰の高まりの中で、一連の造像計画として制作されたとみられています。
- 聖徳太子像は何を手にし、どのような姿で表現されていますか。
- 朱色の袍を着て、両手には笏を持ち、頭には毘沙門天の化仏を戴いた冕冠形式の冠を着けています。勝鬘経を講義する「勝鬘経講讃像」とする説と、摂政としての正装を表したとする説があり、いずれも太子の聖人性と政治的役割を浮かび上がらせています。
- 眷属像が童子の姿に造られているのはなぜですか。
- 皇族の眷属三躯は、左右に輪を作った「みずら」を結う童子姿で表されています。これは、聖徳太子とその眷属を描いた古い肖像画の伝統に倣ったもので、実年齢とは無関係に太子を大きく、従者を小さく表現する図像的な約束に沿った造形と考えられます。
基本情報
| 指定名称 | 木造聖徳太子〈山背王、殖栗王/卒末呂王恵慈法師〉坐像(聖霊院安置) |
|---|---|
| 区分 | 国宝(彫刻) |
| 員数 | 5躯 |
| 時代 | 平安時代後期(保安2年/1121年頃の制作と推定) |
| 所有者 | 法隆寺 |
| 所在地 | 奈良県生駒郡斑鳩町 法隆寺 西院伽藍 聖霊院 |
| 国宝指定日 | 昭和27年(1952年)11月22日 |
| 指定番号 | 00061-00 |
| 附指定 | 銅造観音菩薩立像(木造蓬萊山及亀座付)1躯/紙本墨書妙法蓮華経(木製経筒入)2巻/紙本墨書維摩経並勝鬘経(木製経筒入)1巻(奥に「筆師法隆寺僧隆暹敬白」の墨書あり) |
| 特別公開 | 毎年3月21日夕刻(お逮夜法要)および3月22日~24日(お会式) |
参考文献
- 文化遺産オンライン 木造聖徳太子〈山背王、殖栗王/卒末呂王恵慈法師〉坐像(聖霊院安置)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/197270
- 聖徳宗総本山 法隆寺 公式サイト「聖霊院」
- https://www.horyuji.or.jp/garan/syoryoin/
- WANDER 国宝 国宝-彫刻|聖徳太子・侍者像[法隆寺 聖霊院/奈良]
- https://wanderkokuho.com/201-00223/
- Wikipedia「法隆寺の仏像」
- https://ja.wikipedia.org/wiki/法隆寺の仏像
- 奈良県観光公式サイト あをによし なら旅ネット「法隆寺 お会式」
- https://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/02tera/02west_area/horyuji/event/9lgufi6z4o/
最終更新日: 2026.04.24