木造四天王立像(東金堂)— 興福寺東金堂に立つ平安時代の国宝守護神

奈良・興福寺の東金堂(とうこんどう)に足を踏み入れると、本尊薬師如来坐像を取り囲むようにして須弥壇(しゅみだん)の四方に立つ四体の異形の守護神に出会います。それが、国宝に指定されている「木造四天王立像〈(所在東金堂)〉」です。いずれも像高は1.5メートル前後ながら、頭から足下の邪鬼(じゃき)、台座まで一本の桧材から彫り出された一木造の像で、その重量感と存在感は他に類を見ません。本記事では、この四天王像の歴史と魅力、そして東金堂を訪れる際のポイントをご紹介します。

歴史的背景

興福寺は、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の妻・鏡王女(かがみのおおきみ)が669年に京都山科に建立した山階寺(やましなでら)を起源とし、飛鳥を経て、和銅3年(710)の平城京遷都にともない現在地に移されたと伝えられます。藤原氏の氏寺(うじでら)として隆盛を誇り、奈良時代以降、日本仏教界の中心的な存在として大きな影響力を持ち続けてきました。

東金堂は神亀3年(726)、聖武(しょうむ)天皇が叔母である元正太上天皇(げんしょうだいじょうてんのう)の病気平癒を願って建立したお堂です。本尊は薬師如来坐像で、創建当初は床や須弥壇に緑釉塼(りょくゆうせん)が敷きつめられ、薬師如来が住むという東方瑠璃光浄土(とうほうるりこうじょうど)の世界を表していたといわれます。その後、火災と再建を繰り返すこと5度。現在の建物は応永22年(1415)の室町時代に、創建当初の天平様式を踏襲して再建されたもので、現在は国宝に指定されています。

須弥壇の四方に安置されている四天王像は創建当初のものではなく、平安時代の作と考えられています。興福寺の伝えるところによれば、もとは別の場所に安置されていたものが、いつしか東金堂に移されたと考えられており、その本来の安置場所は明らかになっていません。それゆえに、千年を超える時を経て静かに佇むこの四天王像には、どこか神秘的な気配が漂います。

国宝に指定された理由

東金堂の四天王立像が国宝に指定されているのには、いくつかの理由が重なっています。

第一に、その造像技法です。四体の像はいずれも、頭上から足下の邪鬼、そして台座まで含めて一本の桧材から彫り出されています。これを「一木造(いちぼくづくり)」といい、寄木造(よせぎづくり)が主流となる以前の古い技法です。一本の木から像全体を彫出するため、肉太で重量感のある独特の造形が生まれ、像内部に矧(は)ぎ目がない一体感のある量塊感を持ちます。

第二に、当初彩色がよく残っていることです。平安時代の彩色像で当初の彩色がこれほど良好に残っている例は決して多くなく、衣や甲冑(かっちゅう)に施された花文や幾何学文様の種類は豊富で、平安時代の彩色技法を知るうえでも貴重な資料となっています。

第三に、表情の豊かさです。四天王像も足下の邪鬼も、いずれも大きく見開いた眼が特徴的で、瞳の部分は木粉などを混ぜたペースト状の漆で塑形し、これに黒漆を塗ったものを嵌め込むという凝った技法が用いられています。とくに踏みつけられている邪鬼の表情はどこかひょうきんで、見る者の心を和ませます。

こうした造形的・技法的・保存上の価値が複合的に評価され、本像は東金堂内の他の名品群とともに、日本彫刻史を代表する作例として国宝に位置付けられています。

魅力・見どころ

四天王の役割と配置

四天王は、仏教の世界観で世界の中心にそびえる須弥山(しゅみせん)の中腹に住み、帝釈天(たいしゃくてん)に仕えて仏法を守護する大天王とされます。それぞれが東西南北の四方を守り、東に持国天(じこくてん)、南に増長天(ぞうちょうてん)、西に広目天(こうもくてん)、北に多聞天(たもんてん)が配されます。東金堂では持国天像と増長天像は正面を向き、広目天像と多聞天像は互いに内側を向くように安置されています。

  • 持国天(東方守護)— 像高約162.5cm
  • 増長天(南方守護)— 像高約161.0cm
  • 広目天(西方守護)— 像高約164.0cm
  • 多聞天(北方守護)— 像高約153.0cm

造形の特色

像の表面をよく観察すると、頭髪や邪鬼の身体の一部、衣の細部などに、漆を盛り上げて立体感を出す工夫が見られます。控えめながら巧みな技法によって、量塊感と細部の見どころが両立しています。四体ともしっかりと邪鬼を踏みしめ、武具を構えた姿は威厳に満ち、堂内の薬師如来をしっかりと護るかのような迫真の存在感をたたえています。

等身大よりやや小ぶりの像でありながら、肉太で重厚な造形によって実際の寸法以上の威容を感じさせる点も、この像の大きな魅力といえるでしょう。

東金堂という空間

東金堂は前面を吹き放ちとした寄棟造(よせむねづくり)で、組物には三手先斗栱(みてさきときょう)を多用するなど、室町期の再建ながら創建当初の天平様式を色濃く伝えています。堂内には本尊薬師如来坐像を中心に、日光・月光菩薩立像(重要文化財)、文殊菩薩坐像・維摩居士坐像(いずれも国宝)、そして十二神将立像(国宝)、四天王立像(国宝)が一堂に会しており、白鳳から室町まで各時代の名仏が集う、まさに「日本彫刻史の縮図」というべき圧巻の空間が広がっています。

拝観情報

東金堂は奈良市中心部の興福寺境内にあり、JR奈良駅・近鉄奈良駅のいずれからも徒歩圏内です。境内自体の散策は無料ですが、東金堂・中金堂・国宝館はそれぞれ拝観料が必要です。複数の堂を巡る場合は共通券の利用が便利でお得です。

東金堂の四天王立像は常時公開されているため、開門時間内であれば年間を通じて拝観することができます。堂内は撮影不可ですので、心静かに対面のひとときをお楽しみください。

なお、2026年現在、興福寺のシンボルである五重塔は大規模な保存修理工事中です。境内では工事車両の通行や拝観経路の変更が行われている場合がありますので、訪問前に興福寺公式ウェブサイトで最新情報をご確認ください。

周辺情報

興福寺は古都奈良を代表する観光エリアの中心に位置し、すぐ東側には奈良公園が広がります。徒歩圏内に春日大社、東大寺(大仏殿)、奈良国立博物館などの主要観光地が集まっており、いずれも仏教美術や日本の歴史を堪能できる名所ばかりです。

興福寺境内には2018年に再建された中金堂をはじめ、北円堂・南円堂(いずれも特別公開時のみ内部拝観可)、そして阿修羅像で名高い国宝館があります。これらをあわせて巡れば、半日から一日かけてもなお見応えのある贅沢な仏教美術巡りとなるでしょう。

Q&A

Q東金堂の四天王立像はいつでも拝観できますか?
Aはい。本像は常時公開されており、東金堂の開門時間内であればいつでも拝観することができます。特別公開期間に限られる仏像とは異なり、年間を通じて対面できる点も魅力です。
Q具体的にはいつ頃の作とされているのですか?
A平安時代の作と考えられており、作風から平安時代前期に位置づける見方が有力です。ただし正確な制作年は明らかではなく、また東金堂に移される以前の本来の安置場所も判明していません。
Q「一木造」とはどのような技法ですか?
A一木造とは、像の主要部分を一本の木材から彫り出す技法です。本像では頭上から足下の邪鬼、さらには台座までを一本の桧材から彫出しており、寄木造に比べて高い技術を要します。継ぎ目のない一体感のある量塊表現が大きな特徴です。
Q興福寺にはほかにも四天王像があるのですか?
Aはい。興福寺には東金堂のほかにも、中金堂・南円堂・北円堂などにそれぞれ四天王像が伝来しており、いずれも国宝に指定されています。制作時代や技法、作風が異なるため、見比べることで日本彫刻史の流れを体感できる点は、興福寺ならではの大きな魅力です。
Q堂内で写真は撮れますか?
A堂内は撮影禁止となっています。神聖な空間ですので、静かに拝観し、他の参拝者の妨げにならないようご配慮ください。

基本情報

名称 木造四天王立像〈(所在東金堂)〉
指定区分 国宝(彫刻)
員数 4躯(持国天・増長天・広目天・多聞天)
時代 平安時代
材質・技法 桧材/一木造、彩色、瞳は黒漆
像高 持国天 162.5cm/増長天 161.0cm/広目天 164.0cm/多聞天 153.0cm
所有者 法相宗大本山 興福寺
所在 奈良県奈良市登大路町 興福寺東金堂
公開情報 常時公開(東金堂内、拝観料が必要)
世界遺産 「古都奈良の文化財」の構成資産(1998年登録)

参考文献

木造四天王立像(東金堂所在) — 法相宗大本山 興福寺
https://www.kohfukuji.com/property/b-0027/
東金堂 — 法相宗大本山 興福寺
https://www.kohfukuji.com/construction/c07/
興福寺東金堂 — 奈良県観光公式サイト「あをによし なら旅ネット」
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/02tera/01north_area/kofukujitokondo/
興福寺 — 奈良市観光協会公式サイト
https://narashikanko.or.jp/spot/detail_10029.html
四天王立像(興福寺東金堂) — 奈良の仏像・お寺・御朱印帳
https://nara-tera.info/butsuzo/shitennouryuuzou_toukondou/
興福寺 — Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/興福寺

最終更新日: 2026.04.24