木造四天王立像(所在南円堂)— 興福寺南円堂を守る康慶工房の国宝
奈良・興福寺の境内、八角形の壮麗な南円堂の須弥壇四隅に、堂々たる四体の守護神が立っています。国宝に指定されている木造四天王立像です。文治五年(1189)の南円堂落慶供養に際して、運慶の父であり慶派の祖とされる康慶(こうけい)の工房によって造られた、鎌倉新様式を代表する仏像彫刻の至宝です。長い年月を経て本来の堂宇に戻された四天王の姿は、毎年10月17日に行われる大般若経転読会の日にだけ拝することができます。
歴史的背景
興福寺は藤原氏の氏寺として、奈良の都とともに発展した法相宗の大本山です。広大な伽藍は度重なる火災で焼失と再建を繰り返してきましたが、なかでも治承四年(1180)の平氏による南都焼き討ちは壊滅的な被害をもたらしました。
その後の復興事業は、当代を代表する仏師・絵師・工匠を結集した一大プロジェクトとして進められます。弘仁四年(813)に藤原冬嗣が父・内麻呂の追善のために創建した南円堂もこのなかで再興され、文治五年(1189)に落慶供養が営まれました。本作の四天王立像は、この供養に合わせて康慶工房が制作したもので、本尊・不空羂索観音坐像(国宝)や法相六祖坐像(国宝)と一具をなす作例です。
ところが近代以降、この四天王像は南円堂ではなく、長らく興福寺の仮金堂(現在の仮講堂)に安置されてきました。来歴を伝える明確な史料を欠いていたために、年代も作者も不明な像とされ、興福寺の仏像群のなかでも特別に注目される存在ではない時期が長く続きました。本来の姿が回復されるまでには、20世紀末を待たねばなりませんでした。
なぜ国宝に指定されたのか
転機となったのは、1990年に美術史家・藤岡穣氏が雑誌『国華』第1137号・1138号に発表した論文「興福寺南円堂四天王像と中金堂四天王像について(上・下)」でした。藤岡氏が着目したのは、兵庫県の一乗寺に伝わる中世の仏画「南円堂曼荼羅図(不空羂索観音像)」(南北朝時代・14世紀)でした。この絹本着色の大幅は、南円堂本尊の不空羂索観音像を中央に配し、四隅に四天王像を非常に精密に描いています。
藤岡氏は、この曼荼羅図に描かれた四天王像と、当時南円堂に立っていた四天王像、そして仮金堂に安置されていた四天王像とを丹念に比較しました。その結果、肉身の彩色、各像が手にする持物、甲冑の意匠、袖の振り上げ方、足下に踏まえた邪鬼の姿勢にいたるまで、画中の像と一致するのは仮金堂の像であることが明らかになりました。これにより、仮金堂安置の像こそが文治五年に康慶工房が南円堂のために制作した本来の像である、という新しい見方が示されたのです。
慶派の祖・康慶の工房作という位置づけが定まると、その存在感はにわかに大きなものとなりました。2017年に東京国立博物館で開催された「運慶展」を機に、長らく南円堂にあった別の四天王像(こちらも国宝。現在は中金堂に安置)と入れ替わる形で、本像は8世紀ぶりに本来の南円堂へと戻されました。そして翌年の平成30年(2018)10月31日、それまでの重要文化財から国宝へと格上げ指定されました。
魅力・見どころ
四体はいずれも像高2メートル前後の堂々たる立像です。持国天像204.0cm、増長天像202.2cm、広目天像204.5cm、多聞天像198.0cm。技法はいずれも桧材を用いた寄木造、彩色仕上げで、玉眼ではなく彫眼が用いられています。太造りの体躯と力強い構えには、康慶とその後継者たちが切り拓く鎌倉新様式の息吹がはっきりと現れています。
陀羅尼集経に基づく稀少な持物
本像の大きな特色のひとつは、各像が手にする持物の組み合わせにあります。持国天は左手に刀、右手に宝珠。増長天は刀と長柄の矛。広目天は長柄の矛と索(縄)。多聞天は長柄の矛と宝塔。この組み合わせは、密教経典『陀羅尼集経』に説かれる四天王の姿と一致します。陀羅尼集経の記述に基づいて造立された四天王像は日本では極めて少なく、本作はその貴重な遺例として美術史的にも高い価値を持っています。
古様への配慮と新様の融合
力強い造形には新時代の感覚が漲る一方で、康慶工房は古い時代の像にも注意深く学んでいます。四体の頭部は兜の意匠や面相に微妙な変化をもたせ、甲冑の文様も像ごとに異なります。さらに増長天像の框(かまち、台座の枠材)には、平安時代初期の古い部材が転用されており、興福寺の長い歴史と直接結びつく稀有な部分となっています。革新と伝統への敬意が静かに均衡した、奥行きのある四天王像です。
四方を守護する天王たち
仏教世界観の中心にそびえる須弥山。その中腹に住み、仏法と仏弟子を守るのが四天王です。東を持国天、南を増長天、西を広目天、北を多聞天が守護するとされます。八角形の南円堂内では、本尊の不空羂索観音坐像を中心に、四隅にそれぞれ外側を向いて立ち、堂内に常時守護の眼を配しています。
拝観情報
南円堂は通常、堂内が一般公開されることはありません。年に一度、10月17日に営まれる大般若経転読会の法要に合わせて開扉され、法要のあとに堂内拝観が可能になります。本尊の不空羂索観音坐像、法相六祖坐像、そして四天王立像という康慶工房による国宝群を、本来の祈りの空間のなかで拝観できる、年に一度の貴重な機会です。
南円堂は西国三十三所観音霊場第九番札所であり、堂外への参拝は通年可能です。興福寺の境内は近鉄奈良駅から徒歩約5分というアクセスのよさで、奈良観光の起点としても訪れやすい立地です。
周辺の見どころ
南円堂を訪れたら、興福寺境内の他の堂宇もぜひ巡ってみてください。2018年に再建された中金堂には、長らく南円堂に安置されていたもうひと組の四天王立像(こちらも国宝。元は北円堂安置と推定されています)が遷座しています。同じ12世紀末の鎌倉時代に制作されながら、姿勢や量感の異なる二組の四天王像を見比べることは、興福寺ならではの体験です。
境内にはこのほか、阿修羅像をはじめとする寺宝を展示する国宝館、奈良で最も高い木造建築である国宝・五重塔、そして運慶晩年の傑作・無著菩薩立像と世親菩薩立像を安置する国宝・北円堂などがあります。境内を一歩出れば、奈良公園の鹿、東大寺の大仏、春日大社など、奈良を象徴する名所がいずれも徒歩圏内に広がっています。
Q&A
- この四天王立像はいつ拝観できますか?
- 毎年10月17日に営まれる大般若経転読会の日に、南円堂が開扉され、法要後に堂内を拝観できます。これが定期的な唯一の機会です。過去には特別開扉が行われたこともありますが、頻度はかなり限られています。
- どなたが造ったのでしょうか?
- 文治五年(1189)に、慶派を率いた仏師・康慶の工房により制作されました。康慶は運慶の父であり、快慶の師でもあります。実際には康慶の指揮のもと、工房に属する多くの仏師が分担して制作にあたったと考えられています。
- なぜ国宝指定が2018年と比較的最近なのですか?
- 本像は近代以降、長らく仮金堂(現仮講堂)に安置され、来歴も作者も不明な像と扱われてきました。1990年に美術史家・藤岡穣氏が、兵庫・一乗寺所蔵の中世の南円堂曼荼羅図との比較に基づく論文を発表し、本来の南円堂像であることを論証したことが大きな転換点となりました。2017年の南円堂帰座を経て、翌2018年に重要文化財から国宝へと格上げ指定されました。
- 中金堂の四天王立像とはどう違うのでしょうか?
- 興福寺には鎌倉時代の四天王像が二組あり、いずれも国宝です。本記事の南円堂の像は文治五年(1189)の康慶工房作と判明しています。一方、現在中金堂に安置されているもう一組は、元は北円堂にあったと推定される国宝で、姿勢や量感の表現が異なります。両者は2017年に長年の研究をふまえて入れ替えが行われました。
- 持物の組み合わせに特徴があると聞きました。
- 各像が手にする刀・宝珠・矛・索・宝塔という組み合わせは、密教経典『陀羅尼集経』に説かれる四天王の姿と一致します。陀羅尼集経に基づく四天王像は日本では作例がきわめて少なく、本像は学術的にも貴重な存在として位置づけられています。
基本情報
| 指定名称 | 木造四天王立像(所在南円堂)(もくぞうしてんのうりゅうぞう) |
|---|---|
| 員数 | 4躯(持国天・増長天・広目天・多聞天) |
| 時代 | 鎌倉時代・文治五年(1189) |
| 作者 | 康慶工房(慶派の祖) |
| 技法・材質 | 桧材、寄木造、彩色、彫眼 |
| 像高 | 持国天 204.0cm/増長天 202.2cm/広目天 204.5cm/多聞天 198.0cm |
| 所有者 | 興福寺 |
| 所在地 | 奈良県奈良市登大路町 興福寺 南円堂 |
| 重要文化財指定日 | 1902年(明治35年)4月17日 |
| 国宝指定日 | 2018年(平成30年)10月31日 |
| 公開日 | 毎年10月17日(大般若経転読会/南円堂開扉) |
| アクセス | 近鉄奈良駅から徒歩約5分 |
参考文献
- 木造四天王立像(所在南円堂) — 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/400121
- 木造四天王立像(南円堂所在) — 法相宗大本山 興福寺 公式サイト
- https://www.kohfukuji.com/property/b-0028/
- 国宝-彫刻|四天王立像[興福寺南円堂/奈良] — WANDER 国宝
- https://wanderkokuho.com/201-03977/
- 4-4 本来の南円堂の諸像が揃い、四天王は国宝指定へ — 仏像探訪
- https://saikoku33.gr.jp/place/9
- 興福寺 — Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/興福寺
最終更新日: 2026.04.25