大和古墳群 ― 奈良の山裾に眠る、ヤマト王権黎明期の古墳たち

奈良盆地東南部、青垣の山々が静かに続く天理市の麓に、ひときわ重要な古墳の集まりがあります。大和古墳群(おおやまとこふんぐん)は、天理市萱生町(かようちょう)から中山町、成願寺町(じょうがんじちょう)一帯に分布する24基の古墳で構成される古墳群で、そのなかでもノムギ古墳・中山大塚古墳・下池山古墳の3基が、平成26年(2014年)6月に国の史跡に指定されました(同年10月6日告示)。これらの古墳が築かれたのは、まさに「ヤマト王権」と呼ばれる古代国家が産声をあげた、3世紀後半から4世紀前半のころ。日本という国の輪郭が定まりはじめた時代の、最も古い記憶がここに眠っています。

古墳時代のはじまりに立つ場所

古墳時代の幕開けにあたる3世紀から4世紀前半、奈良盆地東南部の山麓には、日本列島でも特に古い大型古墳が次々と築かれました。天理市から桜井市にかけて、初瀬川右岸を南北に縦に並ぶ三つの古墳群――南から纒向(まきむく)古墳群、柳本古墳群、そして最も北に位置するのが、この大和古墳群です。

「大和」の名は、古墳群の西辺に鎮座する古社・大和神社(おおやまとじんじゃ)に由来します。前方後円墳・前方後方墳・円墳が混在する24基からなり、丘陵上に立地する一群を「中山支群」、扇状地に立地する一群を「萱生(かよう)支群」と呼び分けることもあります。最大規模の西殿塚古墳(墳丘長234m)をはじめ、内容の濃い古墳が連なるなかで、特筆すべきはこの古墳群の最大の特徴――前方後円墳と前方後方墳が混在しているという点です。後の時代には前方後円墳が天皇陵級の標準形となっていきますが、この古墳群が築かれた時代には、まだ複数の墳形が並存していました。畿内における出現期古墳の様相と、ヤマト政権の成立から展開を知るうえで、極めて重要な遺跡群といえます。

3基の古墳が史跡に指定された理由

大和古墳群を構成する24基のうち、特にノムギ古墳・中山大塚古墳・下池山古墳の3基が国史跡に指定されたのは、それぞれが古墳時代前期初頭の異なる側面を語る、決定的な遺構を備えているためです。墳形・規模・出土遺物の組み合わせから、ヤマト王権形成期の歩みを立体的に読み解くことができます。

ノムギ古墳 ― 前方後方墳としては最古級

ノムギ古墳は、地形に沿って東西を主軸にとる墳長約63mの前方後方墳で、幅10〜14mの周濠がめぐっています。発掘調査では、周濠から3世紀後半の壺の破片などが多量に出土。土器のなかには東海地方や山陰地方に類似のものが多く含まれ、被葬者がそれら遠方の地域とも交流をもっていたことをうかがわせます。出土土器から、大和古墳群の前方後方墳のなかで築造はもっとも遡ると考えられており、日本における初期前方後方墳の様相を知るうえで欠かせない古墳として位置づけられています。

中山大塚古墳 ― 出現期の前方後円墳

中山大塚古墳は、墳長約130mの前方後円墳で、後円部径約67m・高さ約11.3m、3段築成という堂々たる規模を誇ります。古墳時代前期初頭、すなわち箸墓古墳に次ぐ最古級の前方後円墳と推定されています。後円部の竪穴式石室は古い時代に盗掘を受けていましたが、半肉彫獣帯鏡の破片、槍先・刀剣類・鉄鏃などが出土しました。なかでも注目されるのは、吉備地方(現在の岡山県)にルーツをもつ「特殊器台」の破片や「都月型埴輪」など各種埴輪の確認です。これらは後の時代に発達する埴輪の起源を示す貴重な資料で、初期ヤマト政権が吉備をはじめとする各地と密接に結びついていたことを物語っています。古墳の所有地は大和神社の境内地内で、前方部南側には境外摂社の御旅所坐神社(大和稚宮)が祀られています。

下池山古墳 ― 絹に包まれた大型鏡が眠っていた古墳

下池山古墳は、大和古墳群のほぼ中央部に立地する墳長約120mの前方後方墳。後方部長約60m、後方部幅57m、高さ約14mと堂々たる規模で、墳丘は2段築成、葺石を伴い、周辺には周濠跡の地形が残ります。後方部に長大な竪穴式石室(全長6.8m)があり、内部にはコウヤマキを用いた割竹形木棺が遺存していました。盗掘を受けていながら、ヒスイ製勾玉、ガラス玉、碧玉製管玉、碧玉製石釧、鉄剣・鉄刀などが出土しています。

そして発掘調査でひときわ世間を驚かせたのが、石室の天井石を石で被覆し整えた段階で構築された小石室から見つかった、直径約37.6cmという大型仿製内行花文鏡(おおがたぼうせいないこうかもんきょう)です。この鏡は、縞模様に染められた絹織物の巾着袋に納められ、さらに羅(うすぎぬ)を用いた漆塗の木箱に収められていました。当時の最高水準の繊維工芸と漆芸の結晶ともいえる出土状態で、被葬者の格式の高さを物語る希有な事例として、考古学界で広く知られています。築造時期は、石室壁体の積み上げの整美さや、裏込めや暗渠排水の構造などから、4世紀前半と想定されています。

この景観が語る、日本の国家形成のはじまり

大和古墳群がほかの古墳時代前期の遺跡と決定的に違うのは、古墳間の規模にあまり差がないという点です。南にある柳本古墳群が「主墳と陪墳」という階層構造を強くもち、纒向古墳群もそのような関係で構成されているのに対し、大和古墳群は同規模の有力古墳が並ぶ、いわば「群雄並立」的な景観を残しています。これは、ヤマト王権が単一の絶対的な王のもとに集約される前段階、地域有力者たちが横並びで連合していた時代の姿を示している可能性があります。

さらに、前方後円墳と前方後方墳の併存、吉備系の特殊器台、東海・山陰系の土器、中国鏡を国産化した仿製内行花文鏡など、出土遺物の構成は驚くほど多彩です。これは初期ヤマト政権が、日本列島各地の勢力や中国大陸の文物を積極的に取り込みながら独自の権威を構築していった、その「現場」を示しています。日本という国家のかたちが定まる、ちょうど直前の風景がここにあります。

見どころ

大和古墳群の魅力は、博物館の展示ケースの中ではなく、奈良盆地ののどかな田園風景のなかに、いまも墳丘がそのまま残されているところにあります。それぞれの古墳が異なる雰囲気をたたえ、季節や時間帯によって表情を変えます。

暮らしのなかにある古墳

古墳のまわりには水田や柿畑、みかん畑が広がり、四季折々の彩りを楽しめます。秋には柿の実が橙色に染まり、墳丘の杜と鮮やかなコントラストをなします。早朝には盆地特有の朝靄が立ち込め、墳丘が幻想的に浮かび上がる風景に出会えることも。古墳がいまも生きた景観の一部として、人びとの生活と共存していることが伝わってきます。

下池山古墳からの眺め

冬場の雑草が少ない時期には、下池山古墳の墳頂に登れることがあります。後方部の頂上からは、西殿塚古墳をはじめとする大和古墳群の全景を見渡すことができ、古代の大豪族たちが眠る地を一望する圧巻の眺望が得られます。古墳の南側に広がる溜池に、墳丘のシルエットが映り込む景色も忘れがたい光景です。

出土品を間近に

下池山古墳の大型仿製内行花文鏡や、中山大塚古墳の特殊器台などの出土品は、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で展示されることがあります。古墳の現地を歩いたあとに博物館を訪れると、墳丘の奥に眠っていた具体的な遺物を目の前にできて、訪問の体験が一段と深まります。

訪問のヒント

大和古墳群は、日本最古の道として『古事記』『日本書紀』にもその名が記される「山の辺の道」のすぐ脇に位置しています。天理駅から桜井駅にかけて約16kmにわたるこのハイキングコースは、関西を代表する古道散策ルートとして、四季を通じて多くの人に親しまれています。新緑の春と紅葉の秋がもっとも快適で、夏は湿気と草木の繁茂、冬は風が冷たいものの墳丘を観察しやすいという利点があります。

古墳そのものは無料で自由に見学できますが、周囲は私有地の田畑や住宅地に接しているため、農作業の邪魔にならないよう、決められた道を歩く配慮が必要です。歩きやすい靴で、飲み物を持参して訪れるのがおすすめ。古墳群の西側に鎮座する大和神社にも、ぜひ立ち寄ってみてください。

周辺の見どころ

大和古墳群周辺は、日本古代史の宝庫です。古墳群の西側にある大和神社(おおやまとじんじゃ)は、日本最古級の神社のひとつで、戦艦「大和」の守護神としても知られます。北には国宝・七支刀を伝える石上神宮、南には伝崇神天皇陵・伝景行天皇陵を含む柳本古墳群、さらに南には邪馬台国の女王・卑弥呼の墓ではないかとも言われる箸墓古墳があります。また、近年では杣之内町に「なら歴史芸術文化村」が開館し、古墳時代の文化を学ぶ拠点として注目を集めています。

Q&A

Qこれらの古墳はいつごろ造られたのですか?
A史跡に指定された3基はいずれも古墳時代前期に築かれました。ノムギ古墳が3世紀後半、中山大塚古墳が古墳時代前期初頭(3世紀末〜4世紀初頭)、下池山古墳が4世紀前半と推定されています。日本の大型古墳築造のはじまりの時期にあたります。
Q石室のなかに入って見学できますか?
Aいいえ、石室は調査後に保存のため埋め戻されており、内部に入ることはできません。ただし、出土品については奈良県立橿原考古学研究所附属博物館や、なら歴史芸術文化村などで実物や複製を見ることができます。
Q大阪の世界遺産・百舌鳥・古市古墳群との違いは?
A百舌鳥・古市古墳群(2019年世界遺産登録)は、5世紀を中心とする巨大前方後円墳の最盛期を代表する古墳群です。一方、大和古墳群はそれより約100年早い、古墳築造の出現期にあたります。前方後円墳と前方後方墳が混在し、墳丘規模もまだ多様だった「ヤマト王権の黎明期」を示す貴重な遺跡群です。
Q3基の古墳をめぐるのにどのくらい時間がかかりますか?
A徒歩でノムギ古墳・中山大塚古墳・下池山古墳の3基をめぐると、おおむね1.5〜2時間ほどです。山の辺の道を天理駅から柳本駅まで歩きながら立ち寄る場合は、ゆったりしたペースで半日ほどみておくと余裕をもって楽しめます。
Q入場料はかかりますか?
Aいいえ、古墳群は田園地帯の中に開かれた史跡として、無料で自由に見学できます。受付や開園時間はありません。ただし周囲は農地や住宅地と接しているため、農作業の妨げにならないよう、見学路を外れない配慮をお願いします。

基本情報

名称 大和古墳群<ノムギ古墳/中山大塚古墳/下池山古墳>
指定 国指定史跡(平成26年〔2014年〕6月20日答申、10月6日告示)
所在地 奈良県天理市萱生町、中山町、成願寺町ほか
時代 古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀前半)
ノムギ古墳 前方後方墳、墳長約63m、周濠幅10〜14m
中山大塚古墳 前方後円墳、墳長約130m、後円部径約67m・高さ約11.3m、3段築成
下池山古墳 前方後方墳、墳長約120m、後方部高さ約14m、長大な竪穴式石室にコウヤマキ製木棺
主な出土品 特殊器台・都月型埴輪(中山大塚古墳)/大型仿製内行花文鏡(下池山古墳)ほか
アクセス JR万葉まほろば線「長柄駅」または「柳本駅」から徒歩30〜40分/山の辺の道沿い
料金 無料(自由見学/現地に管理施設なし)

参考文献

文化遺産オンライン:大和古墳群 ノムギ古墳 中山大塚古墳 下池山古墳
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/233068
天理市:大和古墳群が国史跡に指定されました
https://www.city.tenri.nara.jp/kakuka/kyouikuiinkai/bunkazaika/kohun/1403512561208.html
奈良県歴史文化資源データベース「いかす・なら」:大和古墳群 下池山古墳
https://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunkashigen/main10678.html
天理観光ガイド・天理市観光協会:下池山古墳
https://kanko-tenri.jp/tourist-spots/south/shimoikeyamakofun/
Wikipedia:大和古墳群
https://ja.wikipedia.org/wiki/大和古墳群
Wikipedia:中山大塚古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/中山大塚古墳
Wikipedia:下池山古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/下池山古墳

最終更新日: 2026.04.30