藤原氏系図(隆家流)

広げると全長10.61メートル、高さはわずか27センチ。24枚の紙を継ぎ、全巻を一人の手で書き連ねた巻物が、新潟県阿賀野市の無為信寺に収められている。南北朝時代、14世紀前半の書写と推定される藤原氏の系図である。

巻物に題名はなく、巻末は欠失している。書き起こしは人ではなく神から始まる。冒頭に置かれるのは、藤原氏の祖神とされる天児屋根命。そこから本宗の系を道隆、その子の伊周までたどり、続いて道隆の子・隆家を中祖とする庶流の系を、鎌倉時代の末まで書き継いでいる。

尊卑分脈につながる草稿

この系図の値打ちは、前半部分が何と一致するかにある。摂家相続の系は、南北朝期に編まれた大系図集『尊卑分脈』所収のものと符合する。研究者は本巻を、その摂家系図に別系統の隆家流系図を接いで、一巻の藤原氏庶流系としてまとめたものと見ている。

接ぎ目には不自然さが残る。二つの系図が出会う箇所では、名と名を結ぶ系線の流れが乱れ、筆の運びからも、清書ではなく草稿の段階で止まった一本と推定されている。その粗さこそが見どころでもある。藤原氏の系図でこれほど古い写本は数少なく、書き上げる前の下書きは、こうした記録がどう組み立てられたかをのぞかせてくれる。

文化庁は昭和44年(1969年)6月20日、本巻を古文書として重要文化財に指定した。

中祖・隆家という武人貴族

系図に庶流の中祖として記される隆家(979〜1044年)は、ただの公卿ではない。関白道隆の子に生まれながら、兄とともに政争に敗れて地方へ左遷され、都では「さがな者」、手に負えない暴れ者と評された。その後半生が、評判を塗り替える。

寛仁3年(1019年)、大宰権帥として九州の大宰府に在任していた隆家は、大陸から海を渡って襲来した女真族の賊、いわゆる刀伊の入寇に対し、現地の武士を率いて防衛を指揮し、これを撃退した。政敵であり当代随一の権力者だった藤原道長でさえ、その気概に一目置いたと伝わる。この人物を筆頭に据えた系図は、その後の歴史を血脈の連なりのなかに抱えている。

無為信寺を訪ねて

無為信寺は真宗大谷派の寺院で、阿賀野市下条町にある。JR羽越本線の水原駅から徒歩およそ8分。江戸後期にこの寺から出た学僧・香樹院釋徳龍が集めたとされる書物はおよそ2万冊にのぼり、本系図のほかにも、平安期の僧・淳祐自筆の写経二件が国の重要文化財に指定されている。

系図をはじめ所蔵品の多くは、普段は公開されていない。毎年7月、湿気や虫害から古文書を守るために行う「虫干法要」の折に、収蔵品の一部が説明とともに公開される。この法要はどなたでも参加できる。実物を目にしたい場合は、この時期に合わせ、事前に寺へ問い合わせるとよい。

Q&A

Q訪問すれば系図の実物を見られますか。
A通常は見られない。寺は系図を収蔵しており、年間を通した展示は行っていない。実物に近づける機会は、7月の「虫干法要」で収蔵品の一部が公開されるときである。訪れる前に寺へ連絡しておくとよい。
Qなぜ系図は人ではなく神から始まるのですか。
A藤原氏は祖を神話の天児屋根命に求めた。一族の系図を祖神から書き起こすのは、家の古さと格を示す当時の通例だった。
Qなぜ重要文化財に指定されたのですか。
A14世紀前半に書かれた藤原氏系図の写本として、現存するもののなかでも古い部類に入るためである。清書ではなく草稿とみられる点から、系図がどう編まれたかを知る資料としても貴重とされる。
Q隆家流とはどの系統ですか。
A関白道隆の子・隆家を祖とする藤原氏の庶流である。本巻はこの系統を、隆家から鎌倉時代の末までたどっている。
Q巻物の大きさはどれくらいですか。
A高さ27センチ、広げた長さは10.61メートル。24枚の紙を継ぎ、全巻が一人の筆で書かれている。

基本情報

名称藤原氏系図(隆家流)/ふじわらしけいず
所在地新潟県阿賀野市下条町8-21 無為信寺
指定区分重要文化財(古文書) 昭和44年(1969年)6月20日指定
員数・寸法1巻/縦27cm、長さ10.61m、紙数24紙
時代南北朝時代(14世紀前半)
所有者無為信寺
公開状況通常非公開。毎年7月の虫干法要で収蔵品の一部を公開
アクセスJR羽越本線 水原駅から徒歩約8分

参考文献

文化遺産オンライン(国立文化財機構)
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/212519
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/9272
佛性山金剛院 無爲信寺 公式サイト「所蔵品」
https://muishinji.com/collection/

最終更新日: 2026.06.19