耳取遺跡 ― 縄文三時期のムラが重なる見附の丘

新潟県見附市の市街地から南へおよそ2キロ、新潟平野の東縁に標高約76メートルの低い丘が横たわる。地元で耳取山と呼ばれるこの丘の尾根上の平坦地に、縄文時代の集落がひとつではなく三つ、別々の時期に営まれた。耳取遺跡は2015年(平成27年)10月に国の史跡に指定され、2018年(平成30年)2月の追加指定を経て、保護される範囲は39,418.68平方メートルとなっている。

この遺跡を特別なものにしているのは、その重なりである。縄文時代の中期・後期・晩期という三つの時期のムラが、同じ丘の上で確認でき、しかもそれぞれの構造がはっきりと読み取れる。北陸地方ではきわめて稀な例とされる。

明治から見守られてきた丘

耳取の丘一帯が開墾されたのは明治の初めのことで、土を掘るたびに現れる土器や石器が、やがて人々の関心を集めるようになった。明治30年代以降には著名な研究者が踏査に訪れ、この丘は見附を代表する遺跡として、新潟の考古学のなかに位置づけられていった。

本格的な発掘調査は昭和42年(1967年)に始まる。増えていた盗掘への対応という事情も背景にあった。昭和62年(1987年)には民間の開発計画との調整のため、二度目の調査が行われた。これらの調査によって、遺跡が約72,000平方メートルに及び、縄文時代草創期から弥生時代前期まで、断続的に人が戻ってきた場所であることが明らかになった。開発計画はやがて中止となり、丘は多くの同種の遺跡を消し去ってきた大規模な改変を受けることなく、現在へと引き継がれた。

平成23年から26年(2011〜2014年)にかけて、見附市教育委員会は4次にわたる詳細な発掘調査を実施した。平成28年(2016年)には、もっとも実態の分かっていなかった晩期のムラを対象とした調査も行われている。一世紀以上かけて形づくられてきた像に、調査のたびに構造と輪郭が加えられていった。

史跡に指定された理由

2015年の指定の背景には、三つの点がある。第一は、三つの大きなムラが一つの丘に重なるという稀少さ。第二は保存状態である。開発計画が中止されたことで丘は破壊を免れ、とりわけ後期のムラは広い範囲にわたって良好に残った。第三は長い調査の歴史で、これが新潟県における縄文時代研究の基準点としての価値を支えている。

なかでも後期の集落の重みは大きい。総面積はおよそ16,000平方メートルに達し、北陸地方の同時期の集落としては最大級、新潟県内では現在知られるなかで最大規模のムラである。一つの場所で、ひとつの共同体が三つの時代をまたいでどう変化したかをたどれる遺跡は、他に求めにくい証拠といえる。

三つの時代、三つのムラ

中期のムラは、およそ5000年前のもので、丘の中央部に営まれた。卵形の平面をもつ竪穴建物が十数軒、直径はおよそ3〜8メートル、南西側が開いた馬蹄形に並び、その範囲は南北約60メートル、東西約70メートルに広がる。建物のあいだにはさまざまな形の炉が設けられていた。この層からの遺物でとりわけ目を引くのは、二点のヒスイ製大珠で、大きいほうは長さ10.6センチ、新潟県内で記録されたヒスイ製大珠としては最大のものである。

後期、およそ4000年前になると、ムラは大きくなり、西側へと移った。確認された建物は66棟。卵形の竪穴建物と、柱を立てて床を支えた長方形の掘立柱建物が入りまじり、直径約18メートルの中央広場を囲む環状に配されていた。集落全体はおよそ南北200メートル、東西118メートルに及ぶ。北端と東端、そして広場の周辺からは人骨片が散乱して見つかっており、環の一部が墓域として使われていた可能性をうかがわせる。斜面の土器捨て場からは、多くの土器がまとまって出土している。

晩期のムラは、およそ2300年前、丘の東側に位置した。ここで掘り出されたのは、亀甲形と呼ばれる独特の平面をもつ掘立柱建物である。その柱穴は目を見張るもので、直径はおよそ130センチ、深さは1メートルを超え、かつては直径50センチほどの柱を据えていた。平成28年の調査ではこうした建物が55棟確認され、東側斜面に広がる同様の柱穴は、実際の数がさらに多かったことを示唆している。土器捨て場は、南東側の急な斜面に別に設けられていた。

耳取をたずねる

丘そのものは、里山の静かな森である。クリ、クルミ、数種のドングリ類が斜面に生え、人をこの地へ引き寄せたであろう食用植物が、いまも地面に実りをつける。遺跡は少しずつ公開に向けた整備が進められている段階で、いま尾根を歩けば、復元された建物よりもむしろ、森と、平野を見わたす広い眺めに出会うことになる。

土から出てきたものを見るなら、JR見附駅から徒歩15分ほどのみつけ伝承館へ向かいたい。展示の中心は耳取遺跡から出土した縄文土器と石器で、信濃川の文化圏に連なる火焔型土器も含まれ、あわせて見附の織物や川の交易に関する資料も並ぶ。入館は無料、開館は午前10時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)。月曜と年末年始は休館で、2025年からは12月から2月下旬までの冬期も休館となる。展示品の写真撮影はできない。

見附はゆっくり歩く価値のあるまちである。郊外のみつけイングリッシュガーデンは無料で入れる景観庭園で、地元でもっともよく知られた見どころであり、資料館めぐりとよく合う。信濃川と刈谷田川が縫う新潟中央部の丘陵地は、何千年も前にこの地の暮らしをかたちづくったのと同じ風景である。

Q&A

Q耳取遺跡そのものを歩けますか。
A遺跡は公開に向けた整備が少しずつ進められている森の丘です。復元建物はないため、訪れると新潟平野を見わたす里山歩きという趣になります。出土品とわかりやすい解説を見るなら、市街地のみつけ伝承館がおすすめです。
Qこの遺跡のどこが珍しいのですか。
A縄文時代の三つの時期のムラが同じ丘に重なり、それぞれの配置を今も読み取ることができます。これほどの重なりが保存され、しかも構造が把握できる例は、北陸地方ではきわめて稀とされています。
Q三つのムラはどのくらい古いのですか。
A中期のムラはおよそ5000年前、後期のムラは約4000年前、晩期のムラは約2300年前にあたります。さらに古い縄文時代草創期の活動の痕跡も見つかっています。
Qヒスイ製大珠は何に使われたのですか。
A大珠と呼ばれる大型のヒスイ製品は、日常の装身具というより、祭祀や威信にかかわる品と考えられています。耳取の10.6センチの大珠は新潟県内最大とされ、ヒスイ自体は糸魚川沿岸の産地との交流をうかがわせます。
Q資料館へはどう行けばよいですか。
Aみつけ伝承館は信越本線のJR見附駅から徒歩15分ほどです。冬期は休館となるため、出かける前に開館期間を確認しておくと安心です。

基本情報

名称耳取遺跡(みみとりいせき)
所在地新潟県見附市
指定区分国指定史跡
指定年月日2015年(平成27年)10月7日指定/2018年(平成30年)2月13日追加指定
指定面積39,418.68平方メートル
時代縄文時代(中期・後期・晩期)
種別集落跡
管理団体見附市
関連施設みつけ伝承館(見附市民俗文化資料館)入館無料、開館10:00〜17:00

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「耳取遺跡」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00003878
文化庁 文化遺産オンライン「耳取遺跡」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/293129
見附市「耳取遺跡とは」
https://www.city.mitsuke.niigata.jp/soshiki/4/1050.html
見附市「みつけ伝承館 総合案内」
https://www.city.mitsuke.niigata.jp/soshiki/4/2530.html

最終更新日: 2026.05.25