円福寺の木造阿弥陀如来坐像・木造多聞天立像 ― 建保二年銘が結んだ一具
新潟県魚沼市の円福寺、その宝物殿には木造阿弥陀如来坐像と木造多聞天立像が並んで安置されている。阿弥陀像は早く昭和三十五年(一九六〇年)に重要文化財へ指定されていたが、傍らの天部像は長らく新潟県指定の「木造毘沙門天立像」として、別個の像と見なされてきた。両者の関係が改められたのは令和元年(二〇一九年)である。阿弥陀像の像内に残る墨書銘が改めて検討され、二像が同一の造像に由来すると確認されたため、天部像は同年七月二十三日に重要文化財へ追加指定され、名称も書き改められた。
長く格を違えていた二躯が、八百年前の一文によって本来の関係へ戻された。その経緯そのものが、この一具のいちばんの読みどころである。
建保二年銘と「弥陀三尊二天合五躰」
制作年代を確定させているのが、阿弥陀像の像内に記された銘文である。そこには建保二年(一二一四年)八月の年記とともに「弥陀三尊二天合五躰」とあり、当初は阿弥陀三尊に二天を加えた五躯一具として造られたことが知られる。現存するのは、そのうちの中尊阿弥陀と、二天の一躯にあたる多聞天である。失われた残りの三躯を補って眺めれば、宝物殿に立つ二躯は、もとは五尊で構成された一壇の中心と一隅にあたる。
阿弥陀如来坐像は像高八十七センチ、桂材の一木造で、表面は漆箔で仕上げる。坐法はひきしまり、肉どりは抑制がきいていて、ひと目より、立ち止まってゆっくり見るほうが応える像である。多聞天立像は像高九十八センチ。同じ桂材を用いながら、こちらは寄木造とする。一木と寄木という造法の差は、静坐する本尊と、体勢を動かす守護神という役割の違いにそのまま重なっている。
毘沙門天から多聞天へ ― 追加指定の経緯
追加指定に際して、像の呼称は「毘沙門天」から「多聞天」へと改められた。毘沙門天と多聞天はいずれも同じ尊格、すなわち四天王の北方を守る天を指す。ただし単独で祀る場合は毘沙門天、四天王や二天の一尊として配する場合は多聞天と称するのが通例である。本像は阿弥陀像の脇を固める二天の一尊として造られたことが銘文から確かめられたため、その本来の役割に即した名へ戻されたといってよい。県指定の一独尊から、国指定の一具を構成する一要素へ。像の位置づけそのものが書き換えられた事例である。
確実な紀年銘をもつ彫刻は、見た目の派手さとは別のところで重い。年記のある像は、近接する無紀年の作例を様式の上で編年するための基準点となるからである。建保二年という早い鎌倉期の定点を備え、しかも一具の構成が二躯まで復原できる本作は、その意味でとりわけ価値が高い。
拝観と鑑賞のポイント
両像は宝物殿に安置され、拝観には事前の電話予約が求められる。拝観料は不要だが、円福寺は日々の参拝を受ける寺院であって、常時開帳の施設ではない。堂内は撮影禁止である。写真に残せないぶん、その場でよく見ておきたい。
近づいてまず確かめたいのは、二躯が示す造法の違いである。一木から彫り出された阿弥陀は、浄土の仏らしい静かな均整を保つ。複数材を組んだ多聞天は、片足へ重心を移し、面相を守護神の険しさに引き締めて、動く像として造られている。静かな中心と、動きのある一隅。両者を並べて見ると、一壇がなぜこの対比で組まれたかが腑に落ちる。仏師については銘に記されないが、地方仏の素朴さにとどまらない洗練があり、中央の作風を身につけた手と考えられている。
円福寺の境内と周辺
延命山円福寺は、真言宗智山派の寺院である。寺伝では奈良時代、聖武天皇の勅により北越鎮護の道場として開かれ、その後は華厳・天台を経て、現在の真言宗智山派に至るという。境内は急がずに歩きたい。庭園は宝永元年(一七〇四年)に京都から招いた庭師の作と伝わり、京都大原の三千院の庭と同じ意匠とされる。苔むした地表が、雪国の山寺に京風の落ち着きを添えている。ただし苔庭は十一月上旬から五月下旬まで雪に備えて冬囲いとなり、積雪があれば観賞できない。緑の盛りは晩春から秋にかけてである。
毘沙門天を篤く信仰したことで知られる上杉謙信と、この寺は土地の記憶で結ばれている。本像は、その謙信が戦勝を祈願したと伝わる像であり、境内には謙信お手植えと伝える大杉も残る。さらに、長い禁教の時代に仏の姿を借りて信仰を守った当地の隠れキリシタンにかかわる石地蔵も伝わる。いずれも大仰な案内はなく、静かに置かれているところに味わいがある。
交通は、JR上越線小出駅からバスで約五分、下車後に徒歩約五分。関越自動車道魚沼インターチェンジからは車で約三分で、普通車の駐車場がある。
Q&A
- 二像はいつでも拝観できますか。予約は必要ですか。
- 阿弥陀如来坐像と多聞天立像は宝物殿に並べて安置されています。拝観料は不要ですが、事前に電話予約(025-792-0871)をお願いします。堂内は撮影禁止です。
- なぜ二〇一九年に毘沙門天から多聞天へ名称が変わったのですか。
- 像内銘の検討により、この像が阿弥陀像と同じ建保二年(一二一四年)の造像で、銘にいう二天の一尊として造られたことが確認されたためです。令和元年七月の重要文化財追加指定に合わせ、二天の一尊という本来の役割を示す名へ改められました。
- 制作年が建保二年と分かる根拠は何ですか。
- 阿弥陀像の像内に建保二年八月の年記を含む墨書銘があり、あわせて「弥陀三尊二天合五躰」と当初の構成を記しています。これが二像の制作年と一具の関係を裏づけています。
- 庭園の見頃はいつですか。
- 晩春から秋にかけてです。苔庭は十一月上旬から五月下旬まで冬囲いとなり、積雪期には観賞できません。庭も目当てに訪れる場合は、緑の季節をお勧めします。
- アクセスを教えてください。
- JR上越線小出駅からバスで約五分、下車後に徒歩約五分です。車の場合は関越自動車道魚沼インターチェンジから約三分で、普通車の駐車場があります。
基本情報
| 名称 | 木造阿弥陀如来坐像/木造多聞天立像 |
|---|---|
| 所在地 | 新潟県魚沼市佐梨四三三 円福寺 |
| 指定区分 | 重要文化財(彫刻) |
| 指定年月日 | 阿弥陀如来坐像:昭和三十五年六月九日/多聞天立像:令和元年七月二十三日に追加指定 |
| 員数 | 各一躯(計二躯) |
| 時代・年代 | 鎌倉時代 建保二年(一二一四年) |
| 品質・寸法 | 阿弥陀如来坐像:桂材・一木造・漆箔、像高八十七センチ/多聞天立像:桂材・寄木造、像高九十八センチ |
| 所有者 | 円福寺 |
| 交通 | JR上越線小出駅からバス約五分・徒歩約五分/関越自動車道魚沼インターチェンジから車約三分 |
| 拝観 | 九時から十六時。要事前電話予約(025-792-0871)、拝観料不要、堂内撮影禁止 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/4779
- 魚沼市「重要文化財(彫刻)の追加指定について」
- https://www.city.uonuma.niigata.jp/docs/2019080600053/
- 円福寺(にいがた観光ナビ・新潟県観光協会)
- https://niigata-kankou.or.jp/spot/8331
最終更新日: 2026.06.19