一年に二日だけ扉が開く地蔵

新潟市秋葉区小須戸、茂林寺の小さな堂は、一年のうちほとんどの日を閉ざされたまま過ごします。扉が開くのは五月七日と八日の二日間。花まつりの折に開帳され、人びとは右足を軽く踏み下げて坐す等身大の地蔵菩薩と向き合います。この姿勢のまま、像は十四世紀から同じ場所に坐り続けてきました。

木造地蔵菩薩半跏像、地元では古くから「子育延命地蔵尊」と呼ばれてきた像です。新潟市内で彫刻の重要文化財はこの一躯のみ。普段は秘仏として人目に触れません。

像容と名のいわれ

地蔵菩薩は、子ども、旅する者、そして六道を巡る衆生を救うとされる菩薩で、宝冠や瓔珞をまとった華やかな姿ではなく、剃髪した僧形に造られるのが通例です。茂林寺がこの像に与えた寺伝の名は「六道能化延命地蔵半跏像」。六道に生きる者を導き、その寿命を延べるという地蔵の働きを、そのまま名に取り込んでいます。

注目したいのは坐り方です。多くの仏像が両足を組んで瞑想に入るのに対し、この像は右足を垂らして床に踏み下げ、左足だけを上げています。片足を下ろすこの半跏の姿勢は、思惟を終えて今しも腰を上げ、苦しむ者のもとへ歩み出そうとする一瞬を留めたものと読み解けます。衆生のもとへ赴くことを本願とする菩薩にとって、この姿勢そのものが意味をもっています。

材は檜。複数の材を矧ぎ合わせる寄木造で組み上げ、表面に漆を施しています。像高はおよそ百三十六センチ、ほぼ等身大で、大柄でゆったりとした体躯をもつと評されます。作風から制作年代は南北朝時代、二つの朝廷が並び立った十四世紀の動乱期に置かれています。

旧国宝から重要文化財へ

この像の指定の経緯は、しばしば誤解を招くので整理しておきます。昭和十二年(一九三七)五月二十五日、当時の国宝保存法のもとで国宝に指定されました。戦後、この法律は昭和二十五年(一九五〇)の文化財保護法に置き換えられ、文化財の制度全体が組み直されます。新制度では、それまでの旧国宝の大半が重要文化財へと移され、一部だけがより厳格な新しい国宝へ引き上げられました。この地蔵像も重要文化財に位置づけられたわけで、格下げされたのではなく、像を囲む区分の名称と基準が変わったと理解するのが正確です。

昭和十二年の調査が評価したのは、彫刻そのものの質でした。堂々とした量感をもちながら、面差しはあくまで穏やかで慈愛に満ちています。都から遠い越後の地に、これほどの技量による像が伝わったこと自体が際立っており、新潟市で唯一の指定彫刻であり続けている理由の一つでもあります。

ただし、像の存続は当然のものではありませんでした。明治の大火で本堂は全焼します。地蔵像は炎の中から運び出されたものの無傷では済まず、顔などが破損しました。元の姿に近づけられたのは、戦後に施された修理を経てのことです。今わたしたちが拝する像は、火災と修復をくぐり抜けて再び全き姿を取り戻したものなのです。

大坂からの道

茂林寺は曹洞宗の寺で、江戸時代初期、新発田藩領小須戸組の最初の庄屋であった坂井瀬兵衛吉次の創建と伝えられます。地蔵尊はもともと当地にあったのではありません。寺伝によれば、吉次の孫にあたる与次兵衛が大坂からもたらしたものとされます。与次兵衛は商いのため小須戸と大坂を幾度も往復していました。

来歴には二つの語りがあります。一つは、大坂の宿で与次兵衛が不思議な夢を見、宿の蔵にあった地蔵尊と出会って譲り受けたという話。もう一つは、海路の途中で嵐に遭い、転覆しかけた船が地蔵の霊験によって救われたという話です。その後の筋は両者で一致します。像が小須戸に届いたのち、与次兵衛に男子が授かり、以来この像は子どもを守る地蔵として崇められるようになりました。今も親たちは、わが子の健やかな成長を願ってこの地蔵に手を合わせます。

拝観のために

像を拝める定まった機会は、五月七日・八日の花まつりです。秘仏が開帳され、小さな堂は子を連れた家族で埋まります。日付は年によって前後することがあるため、開帳に合わせて訪ねるなら、事前に寺か地元の観光案内に確かめておくと安心です。

茂林寺のある小須戸は、信濃川沿いに開けた古い湊町であり市場町でした。三と八のつく日には今も定期市が立ち、江戸期から続くこの賑わいは、寺の拝観とあわせて訪ねるのにふさわしい土地柄です。秋葉区には菩提寺山をはじめ気軽に歩ける里山も控えており、一日かけて周辺をめぐる行程も組めます。

Q&A

Qいつでも拝観できますか。
Aいいえ。普段は秘仏として堂内に納められ、扉は閉じられています。拝観できるのは原則として五月七日・八日の花まつりの折ですが、日付が前後する年もあるため事前のご確認をおすすめします。
Qなぜ「子育延命地蔵尊」と呼ばれるのですか。
A像が小須戸に到来したのち、これをもたらした与次兵衛に男子が授かったことから、子どもを守り長寿を授ける地蔵として信仰されるようになったためです。
Q重要文化財ですか、それとも国宝ですか。
A現在は重要文化財です。昭和十二年に当時の国宝保存法で国宝に指定され、昭和二十五年に文化財保護法へ制度が改められた際に重要文化財へと区分されました。
Qどのくらい古い像ですか。
A作風から南北朝時代、十四世紀の作とされ、およそ七百年近い歴史をもちます。
Q茂林寺へのアクセスは。
A新潟市秋葉区小須戸にあります。最寄りはJR信越本線の矢代田駅で、そこからバスを利用します。運行時刻は事前にお調べのうえお出かけください。

基本情報

名称木造地蔵菩薩半跏像(子育延命地蔵尊)
所在地新潟県新潟市秋葉区小須戸3362 茂林寺
所有者茂林寺(曹洞宗)
指定区分重要文化財(彫刻) 昭和12年(1937)5月25日指定。当初は国宝保存法による国宝、昭和25年(1950)の文化財保護法施行に伴い重要文化財へ
時代南北朝時代(14世紀)
品質・形状檜材、寄木造、漆塗
像高約136センチ(伝)
員数1躯
公開秘仏。毎年5月7日・8日の花まつりに開帳(日付は変動あり)
アクセスJR信越本線・矢代田駅からバス利用

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/2882
新潟市秋葉区 秋葉区の宝物(建造物、絵画、彫刻)
https://www.city.niigata.lg.jp/akiha/about/kankou/culture/takara/takara01.html
にいがた観光ナビ 木造地蔵菩薩半跏像(子育延命地蔵尊)
https://niigata-kankou.or.jp/spot/5564
新潟文化物語 子育延命地蔵尊
https://n-story.jp/localculture/子育延命地蔵尊/

最終更新日: 2026.06.20