庭に名を与えた平安の薬師仏
新潟県柏崎市、豪雪で知られる高柳の山あいに、ひとつの仏像が庭の名となった例がある。木造薬師如来立像。平安時代の作とされるこの一躯は、名勝・貞観園の中心に建つ主屋「貞観堂」に安置されている。天保14年(1843年)、儒者の藍澤南城がこの堂に「貞観」の名を選び、八百八字におよぶ「貞観堂号記」を記した。堂のまわりに育っていった庭園も、やがて同じ名で呼ばれるようになる。今日まで続く「貞観園」の名は、もとをたどればこの薬師像に行き着く。
像そのものについて、国の記録はごく簡潔である。種別は彫刻、員数は一躯、時代は平安。寺の本尊として大勢に開帳される像ではなく、堂を建てた村山家とその保存会が、静かに守り伝えてきた一躯である。
薬師如来という仏
薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来という。瑠璃の光をもって人々の病苦を救う仏で、その浄土は東方の瑠璃光世界にあるとされる。来世での救いを説く阿弥陀如来に対し、薬師は現世の御利益、すなわち病が癒え寿命が延びることを願う対象として、奈良時代以来ひろく信仰されてきた。多くの像は左手に薬壺を捧げ、右手を施無畏印に挙げる姿をとる。貞観園の一躯も、こうした薬師信仰の長い歴史に連なる像である。
重要文化財に至るまで
指定は昭和14年(1939年)5月27日。当時の国宝保存法のもとで「国宝」として登録された。戦後、文化財保護法(昭和25年)によって制度が改められると、旧来の国宝の多くは重要文化財へと位置づけ直され、貞観園の薬師如来もそのひとつとして現在の区分に移っている。指定番号は00199。
この像は単独で指定されたわけではない。同じ昭和14年、同じ貞観園の所蔵から、一山一寧と寂室元光、二人の高僧の墨蹟が同日付で重文に指定されている。昭和31年には絹本墨画の雪梅図も加わった。一地方の旧家がこれほど多くの国指定品を伝える例は多くない。なかでも薬師像は、数百年さかのぼる最も古い一点である。
平安の優れた仏像といえば、まず京や奈良が思い浮かぶ。その時代の木彫仏が、日本海側の雪深い土地で、ひとつの家のもとに代々守られてきた。都の仏教文化がどれほど遠くまで及び、地方にどう根を下ろしたかを考えるうえで、この一躯は見過ごせない。
苔の庭と貞観堂
貞観園を訪れる多くの人の目当ては、その苔である。庭園の専門家から日本で三本の指に入る苔庭と評されることもあり、湿り気の多い季節には地面が幾重もの緑に染まる。作庭の理念を村山家は「主石賓木」と言い表した。石が主役、木は脇役。佐渡産の赤玉石を多く据えた構成が庭の骨格をなし、植栽はそれを引き立てる。中央の池は「心」の字をかたどる。
これらはすべて、貞観堂の縁側と廊下から眺める。苔を傷めないため、来園者が庭内を歩くことはできない。だが縁に腰を下ろし、横長の絵巻のように庭を見渡すこと、それ自体がこの庭の楽しみ方になっている。
堂内もまた見ごたえがある。金地の大襖は狩野派の筆ともいわれ、岸駒とその門人の手になる襖絵があり、欄間には菊池容斎の鷹が架かる。床の間には、園名「貞観」を選んだ藍澤南城による長い堂号記が掛かる。そしてこの建物のどこかに、すべての始まりである平安の薬師如来が、変わらず静かに座している。
開園は暖かい半年に限られる。初夏には最もみずみずしい緑が、十月の末からは紅葉が訪れ、雨上がりの苔はいつであれ最も鮮やかだ。やがて越後の雪が道を閉ざし、庭は春まで眠りに入る。
貞観園のまわり
高柳の山里は、一日をゆっくり過ごすのにふさわしい。庭から三キロほど先の荻ノ島は、茅葺きの民家が田を囲んで環状に並ぶ、全国でもまれな集落である。隣の門出には、茅葺きの家並みと越後門出和紙の手仕事が今も残る。
湯と食事には、高柳じょんのび村の茶褐色の温泉と田舎宿がある。家族連れなら、近くの県立こども自然王国と組み合わせる人も多い。車で通るなら、日本の棚田百選に選ばれた梨ノ木田の棚田に立ち寄りたい。
海沿いの柏崎市街まで下りれば、海食崖の景色が広がり、女谷地区にはユネスコ無形文化遺産の綾子舞が伝わる。一泊して庭と里をめぐる旅に、無理なく組み込める土地である。
Q&A
- 薬師如来立像は間近で拝観できますか。
- 貞観園はおもに貞観堂から庭を鑑賞する施設で、像は寺院の本尊のように定時で開帳されるものではなく、保存会が管理する重要文化財です。拝観をご希望の場合は、事前に貞観園保存会へ問い合わせ、公式サイトで案内される特別公開の機会をご確認ください。
- 開園期間と時間を教えてください。
- おおむね6月1日から11月30日まで、9時から17時(受付は16時30分頃まで)、月曜休園です。豪雪のため12月から翌5月は閉園します。強風・強雨でも臨時休園することがあるので、遠方からは事前確認をおすすめします。
- なぜ「貞観」という名なのですか。
- もとは薬師如来を安置する主屋「貞観堂」の名で、天保14年(1843年)に儒者の藍澤南城が選びました。庭園はこの堂の名を受け継いでいます。
- アクセスは。
- JR信越本線・越後線の柏崎駅が玄関口です。駅前から越後交通バスの岡野町車庫・じょんのび村方面行きで高柳地区まで約50分、「高柳農協前」または「貞観園前」で下車します。山あいをめぐるには車が便利です。
- 見ごろはいつですか。
- 初夏の新緑と晩秋の紅葉が二つの盛りです。苔は湿った日ほど美しく、小雨は訪問をあきらめる理由になりません。
基本情報
| 名称 | 木造薬師如来立像(もくぞうやくしにょらいりゅうぞう) |
|---|---|
| 区分 | 重要文化財(彫刻) |
| 指定年月日 | 昭和14年(1939年)5月27日 ※旧国宝保存法下で国宝指定、昭和25年以降に重要文化財へ移行 |
| 指定番号 | 00199 |
| 時代 | 平安時代 |
| 員数 | 1躯 |
| 安置先 | 貞観園 貞観堂 |
| 所在地 | 新潟県柏崎市高柳町岡野町 |
| 所有者 | 公益財団法人 貞観園保存会 |
| 庭園の指定 | 国指定名勝(昭和12年指定、昭和26年追加) |
| 開園期間 | おおむね6月1日〜11月30日/9:00〜17:00/月曜・冬期休園 |
References
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 木造薬師如来立像
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/2885
- 文化遺産オンライン 貞観園(名勝)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/171855
- 公益財団法人 貞観園保存会 公式サイト(歴史・貞観堂)
- https://teikanen.jp/history/
- 柏崎市 名勝「貞観園」
- https://www.city.kashiwazaki.lg.jp/soshikiichiran/kyoikuiinkai/hakubutsukan/1/23/2/4596.html
- 柏崎市 文化財一覧(令和7年4月1日現在)
- https://www.city.kashiwazaki.lg.jp/material/files/group/50/bunkazaiitiranhyou_20250401.pdf
- にいがた観光ナビ 貞観園
- https://niigata-kankou.or.jp/spot/6009
最終更新日: 2026.06.20