刀〈銘 長曾祢興里入道乕徹〉――新刀の横綱が極めた到達点

日本の刀剣史において、新刀期最高峰の名工と称えられる長曽祢興里、通称「虎徹」。岡山県に伝わる「刀 銘 長曾祢興里入道乕徹」は、その虎徹が延宝二年(1674年)、晩年の円熟した技量を遺憾なく発揮して鍛えあげた一振りです。鋭利な切れ味と気品ある姿、そして奥平家伝来という由緒ある来歴を兼ね備え、昭和24年(1949年)2月18日に国の重要文化財に指定されました。日本刀の魅力に魅せられた世界中の愛好家にとって、まさに憧れの逸品といえる名刀です。

名工・長曽祢虎徹とは

本刀の作者である長曽祢興里は、慶長十年(1605年)頃に生まれたとされる江戸時代前期の刀工です。もとは越前国(現在の福井県)で甲冑師として活動していましたが、五十歳頃に江戸へ移住し、刀鍛冶へと転身しました。作刀活動の期間は約二十年と短いものの、新刀期を代表する名工として、後世に絶大な評価を受けています。

江戸後期に編纂された刀剣の試し斬り評価書『懐宝剣尺』(寛政九年・1797年刊)において、虎徹はその切れ味から最上位の「最上大業物」に列せられました。山城国の名工・堀川国広と並んで「新刀の横綱」と称され、当時から大名や幕府要人に広く愛好されています。あまりの人気の高さゆえに生前から偽物が大量に出回ったことから、刀剣界には「虎徹を観たら偽物と思え」という格言まで生まれたほどです。

三種類の銘――古徹・はねとら・はことら

長曽祢虎徹の作品の大きな特徴の一つに、銘の表記が時期によって変化したことが挙げられます。最も初期には「古鉄」(ふるくぎなど古い鉄を再利用していたことに由来するといわれます)、続いて中期には最後の縦画を勢いよくはね上げる通称「はねとら」銘の「虎徹」、そして晩年には略字を用いた「乕徹」銘――通称「はことら」――を切るようになりました。

本刀に刻まれているのは、その最終形である「はことら」銘です。虎徹の作風はこの晩年期に最も洗練されたとされ、研究者・鑑定家の間でも、はことら時代こそが虎徹の技量の頂点であると評されています。実際、国の重要文化財に指定されている虎徹の作品は、いずれもこの「はことら」銘の時代に作られたものです。

重要文化財に指定された理由

本刀は昭和24年(1949年)2月18日、国の重要文化財に指定されました。その理由は、芸術性・技術性・歴史性の三方面にわたります。

第一に、本刀は虎徹の技量が最高潮に達した晩年期の在銘・延宝二年作という、極めて貴重な確証ある作例です。刃長76.3センチメートル、反り2.1センチメートルという堂々たる姿に、鎬造(しのぎづくり)の端正な体配を備え、地鉄・刃文ともに虎徹円熟期の特徴を遺憾なく示しています。

第二に、目釘孔は上一つのみで、茎(なかご)は生ぶ(手を加えていない原状)を保ち、銘も完全な形で残っています。偽物が圧倒的に多い虎徹銘のなかで、これほど確実な在銘・はことら期の作刀は希少を極めます。

第三に、本刀は徳川幕府と深い関わりを持つ大名・奥平家に伝来しました。武家社会において銘刀がいかに重んじられたかを物語る、由緒ある来歴も大きな価値を添えています。

魅力と見どころ

姿(すがた)

同時代の寛文新刀は反りの浅い直刀的な姿が主流でしたが、本刀は2.1センチメートルの反りをもち、鎌倉期の太刀を思わせる優美さと、虎徹本来の鋭利さを兼ね備えています。実用と美を高い次元で両立させた、特別注文ではないかと推察される異色の体配です。

刃文(はもん)

はことら期の虎徹を象徴する「数珠刃(じゅずば)」――丸みを帯びた互の目(ぐのめ)が数珠玉のように連なる華やかな刃文――が、本刀の最大の見どころのひとつです。匂口(においぐち)は明るく冴え、よく付いた沸(にえ)が随所にむら立ち、金筋や地景といった「働き」も豊かに現れて、見る者の目を楽しませます。

地鉄(じがね)

もとは甲冑師であった虎徹は、鍛えの技術にも卓越したものがありました。本刀の地鉄は小板目肌がよく詰み、地沸が厚くつき、晩年期ならではの澄みきった鉄味を示しています。光線の角度を変えて鑑賞することで、その奥深い表情を堪能できます。

銘の位置

本刀の銘は佩表(はきおもて)に切られています。これは本来、太刀として佩用することを想定していたことを示しており、寛文期以降ではきわめて珍しい例です。同工が太刀として鍛えた現存作はわずかであり、資料的価値もたいへん高い一振りです。

奥平家伝来という由緒

本刀を伝えてきた奥平家は、徳川家との縁の深い譜代大名であり、武家社会の上層に位置する名家でした。虎徹の刀は、徳川家・尾張徳川家・井伊家・土佐山内家・成瀬家など、当代きっての大名や幕府要人の差料として珍重された名刀の代表格であり、本刀が奥平家に伝来したという事実そのものが、本刀の格式の高さを雄弁に物語っています。

鑑賞の機会と周辺情報

本刀は岡山県内の個人が所蔵しているため、常時公開されてはいません。ただし、過去には2018年に岡山県立博物館で開催された特別展「乕徹と幕末維新の名刀」において一般に公開された実績があります。今後も特別展などの機会に展示される可能性があるため、岡山県立博物館や全国の刀剣関連博物館の展示情報を定期的にチェックされることをおすすめします。

虎徹の作品をより広く鑑賞したい方には、東京国立博物館、刀剣博物館(東京)、京都国立博物館、富山県の森記念秋水美術館、山口県の柏原美術館(旧・岩国美術館)などが在銘・確証のある虎徹作品を所蔵しており、企画展などで公開されることがあります。江戸東京博物館には虎徹の数少ない薙刀の作例も収蔵されています。

岡山周辺の楽しみ方

本刀が伝わる岡山県は、日本三名園のひとつ「後楽園」と、漆黒の天守で「烏城」とも呼ばれる岡山城を擁する歴史と文化の地です。江戸時代の風情を色濃く残す倉敷美観地区を散策すれば、本刀がまさに大切に伝えられていた時代の商人文化と町並みを体感できます。

さらに、岡山県瀬戸内市の長船(おさふね)地区は、日本刀の最大流派である備前長船派の本拠地として知られています。備前長船刀剣博物館では、伝統的な日本刀づくりの工程を間近に見られる実演も行われており、本刀を生み出した虎徹も影響を受けたであろう備前刀の系譜を、同地で深く理解することができます。

Q&A

Q長曽祢虎徹とはどのような刀工ですか。
A長曽祢興里入道乕徹(1605年頃~1678年)は江戸時代前期の刀工です。もとは越前国の甲冑師でしたが、五十歳頃に江戸へ移って刀鍛冶に転身し、新刀期を代表する名工となりました。『懐宝剣尺』では最上大業物に格付けされ、堀川国広と並ぶ「新刀の横綱」と称されています。
Q本刀はいつ頃の作品ですか。
A延宝二年(1674年)に作られた、虎徹の晩年「はことら」銘期の作刀です。この時期は虎徹の技量が頂点に達した最晩年期にあたり、現存する重要文化財指定の虎徹作品はすべてこの時期の作品です。
Q本刀を実際に見ることはできますか。
A個人所蔵のため常設展示はされていませんが、過去に2018年の岡山県立博物館の特別展で公開された実績があります。今後も特別展で公開される可能性がありますので、岡山県立博物館や主要な刀剣博物館の展覧会情報をご確認ください。
Q銘にある「入道」とはどういう意味ですか。
A「入道」とは仏門に入って剃髪したことを表します。虎徹は晩年に出家しており、入道後の作刀には「入道」の語と「乕徹」の号が入った銘が切られています。本刀の銘もまさにその様式で、晩年の到達点ともいえる時期の作品であることがわかります。
Q虎徹の銘にはどうして種類があるのですか。
A虎徹は作刀時期によって、「古鉄」、「虎徹(はねとら)」、「乕徹(はことら)」の三種類の銘を使い分けました。生前から人気が高く偽物が大量に出回ったため、その対策として銘の表記をしばしば変更したと考えられています。本刀は最終形である「はことら」銘の作刀です。

基本情報

名称 刀〈銘 長曾祢興里入道乕徹〉
指定区分 重要文化財(昭和24年・1949年2月18日指定)
種別 工芸品(刀剣)
員数 1口
作者 長曽祢興里(虎徹/1605年頃~1678年)
作刀年代 延宝二年(1674年)
刃長 76.3センチメートル
反り 2.1センチメートル
目釘孔 1個(上)
伝来 奥平家伝来
所在地 岡山県(個人蔵/非公開)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/
文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/
Wikipedia「長曽祢興里」
https://ja.wikipedia.org/wiki/長曽祢興里
名刀幻想辞典「虎徹」
https://meitou.info/index.php/虎徹
刀剣ワールド「刀 銘 長曽祢興里入道乕徹」
https://www.touken-world.jp/search/11187/
名博「刀 銘 長曽祢興里入道乕徹を観てみよう」
https://www.meihaku.jp/sword-basic/nakasoneokisato-nyudokotetsu/

最終更新日: 2026.05.07