明治14年の農家建築

赤石家住宅主屋は、大阪府南河内郡千早赤阪村大字森屋にある明治14年(1881年)建築の農家住宅で、平成19年(2007年)5月15日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。登録番号は27-0421。登録後に所有者が替わり、現在は「山田家住宅(旧赤石家住宅)」の名でも案内されている。

村の中心部、集落の道に北面して建つ。桁行9間半、梁間5間。入母屋造、桟瓦葺で、建築面積は166平方メートル、坪に直せば50坪ほどになる。農家としては大きい部類だ。

屋根の西端に越屋根が乗る。かまどの煙を抜くための小さな屋根で、煙出しとも呼ばれる。大屋根は平成14年(2002年)頃に葺き替えられた。

黒漆喰と虫籠窓

外壁は真壁造。1階の腰を板張りとし、その上を黒漆喰で塗り込める。白漆喰が普通の近畿の民家のなかで、黒はよく目立つ。煤などを混ぜて色を出した漆喰で、汚れが目につきにくく、光の角度によって鈍い艶を返す。

つし2階の壁面には虫籠窓が並ぶ。南北にそれぞれ3か所、いずれも黒漆喰の塗籠仕上げとし、東側は他より低い位置に設けて段落ちとする。等間隔に揃えなかったこの処理のおかげで、長い正面が単調にならずに済んでいる。

構造の表記には少し注意がいる。文化庁の登録原簿は「木造平屋建」と記すが、同じデータベースの解説文は「木造つし2階建」と書く。つし2階は天井の低い物置階で、正規の階に数えない扱いをとることがある。表記の違いはそこから生じたとみられる。

整形六間取とヒロシキ

平面は整形六間取。田の字形に6室を並べる近世以来の農家の型で、この家では右勝手にとる。北側の土間から入り、ヨリツキの式台を経て、クチノマ、ナカノマ、ザシキと表側の座敷が続いていく。

土間に接してヒロシキがある。板敷きの作業と食事の場で、河内から和泉にかけての民家に使われる呼び名だ。カマヤから土間越しに見通すと、天井は土置板天井のまま。この一帯にはほとんど手が入っていない。

座敷まわりの造作は丁寧だ。欄間、建具、床の間、書院には上質の木材が使われ、細工も細かい。クチノマとナカノマの境には、戸袋付きの突止め障子を受ける3本溝の指鴨居が残っている。一方、裏側のナカノマとナンドには改修が入り、当初の姿はあまり残らない。濡縁の北側も改装され、ガラス戸が入った。

ナカノマに座ると、南の座敷庭が正面に開ける。

指定ではなく登録という選択

登録有形文化財は、国宝や重要文化財のような「指定」とは制度が違う。文化財保護法にもとづき、築後おおむね50年を経た建造物のうち保存と活用を図るべきものを国が登録簿に載せる仕組みで、平成8年(1996年)に始まった。指定に比べて規制がゆるく、外観を大きく変えなければ所有者が住み続け、内部の改修も行える。使いながら守ることを前提にした制度である。

赤石家住宅主屋の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。建物単体の美術的価値ではなく、集落の景観をかたちづくっている点が評価された。黒漆喰の壁と大きな入母屋屋根は、森屋の集落を歩けば必ず視界に入ってくる。

同じ日、同じ敷地の座敷蔵(登録番号27-0422)も登録された。2棟をあわせて赤石家住宅として扱う。

訪ねる前に知っておきたいこと

この住宅は現在も個人の住まいであり、内部は公開されていない。大阪文化財ナビの見学欄にも「非公開」と明記されている。外観は集落の道から見えるが、敷地内に立ち入ることはできず、庭や玄関先の撮影も控えたい。窓や室内に向けてカメラを構える行為は、住まい手の生活を妨げる。

大阪文化財ナビによれば、現在の所有者のもとで、茶道や着物、礼儀作法を学び受け継ぐ場として活用されているという。催しにあわせて建物が開かれることがあるかどうかは、その都度の告知を確認するほかない。

森屋へは、近鉄長野線の富田林駅南口から千早線のバスに乗って20分ほど。「千早赤阪村役場」あるいは「森屋」で降りる。令和5年(2023年)12月に金剛バスが事業を終え、富田林市・太子町・河南町・千早赤阪村の4市町村による新しい運行体制に切り替わったので、それ以前の時刻表は使えない。便数は多くない。村の公共交通ページで時刻を確認してから出かけたい。

周辺には楠木正成ゆかりの史跡が集まっている。建水分神社、楠公誕生地、下赤阪の棚田、道の駅ちはやあかさか。いずれも徒歩か短いバス移動の圏内なので、村の中心を歩くついでに主屋の外観を眺める、という順序が現実的だろう。

Q&A

Q赤石家住宅主屋は見学できますか。内部は公開されていますか。
A内部は非公開です。現在も個人の住まいとして使われており、一般の見学は受け付けていません。外観は集落の道から見えますが、敷地内への立ち入りや、庭・玄関先の撮影はご遠慮ください。
Q赤石家住宅主屋はいつ建てられ、いつ登録有形文化財になりましたか。
A建築は明治14年(1881年)です。国の登録有形文化財(建造物)に登録されたのは平成19年(2007年)5月15日で、登録番号は27-0421。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」です。
Q赤石家住宅主屋の外壁が黒いのはなぜですか。虫籠窓とは何ですか。
A壁の仕上げに黒漆喰を用いているためです。煤などを混ぜて色を出した漆喰で、汚れが目立ちにくい利点があります。虫籠窓は、つし2階の壁面に設ける縦格子状の塗籠窓で、この家では南北に3か所ずつ、東側を段落ちにして配しています。
Q赤石家住宅主屋へのアクセスは。最寄り駅とバスを教えてください。
A近鉄長野線の富田林駅が最寄り駅です。南口から千早線のバスで約20分、「千早赤阪村役場」または「森屋」下車。令和5年(2023年)12月に運行体制が変わり便数も限られるため、千早赤阪村の公共交通ページで最新の時刻を確認してください。
Q赤石家住宅主屋と座敷蔵はどういう関係ですか。「山田家住宅」という表記も見かけます。
A同じ敷地に建つ2棟で、いずれも平成19年(2007年)5月15日に登録されました。主屋が27-0421、昭和25年(1950年)建築の座敷蔵が27-0422です。登録後に所有者が替わったため、大阪文化財ナビなどでは「山田家住宅(旧赤石家住宅)」として紹介されています。

基本データ

名称赤石家住宅主屋(あかいしけじゅうたくしゅおく)/現名称 山田家住宅(旧赤石家住宅)主屋
所在地大阪府南河内郡千早赤阪村大字森屋911-乙
指定区分国登録有形文化財(建造物) 登録番号 27-0421 登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの
指定年平成19年(2007年)5月15日 登録(第54回登録)
員数1棟
寸法桁行9間半、梁間5間、建築面積166平方メートル。入母屋造、桟瓦葺、木造つし2階建(登録原簿の構造欄は「木造平屋建」)
建築年明治14年(1881年)。大屋根は平成14年(2002年)頃に葺替え
所有者個人
公開状況非公開。外観のみ集落の道から望見可。敷地内への立入不可

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)赤石家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00006224
文化遺産オンライン(文化庁)赤石家住宅主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/141988
大阪文化財ナビ(大阪府建築士会)山田家住宅(旧赤石家住宅)主屋 座敷蔵
https://osaka-bunkazainavi.org/bunkazai/山田家住宅(旧赤石家住宅) 主屋 座敷蔵
千早赤阪村 村の文化財
https://www.vill.chihayaakasaka.osaka.jp/kakuka/kyoiku/syakaikyoiku/bunnkazai/index.html
千早赤阪村 新たな交通サービスの開始について
https://www.vill.chihayaakasaka.osaka.jp/kakuka/soumu/soumuseisaku/koukyo_koutsu/8562.html
大阪府 千早赤阪村の指定文化財一覧(PDF)
https://www.pref.osaka.lg.jp/documents/26653/030chihayaakasaka.pdf

最終更新日: 2026.08.13