「万声」という銘の由来

銘は「ばんせい」と読む。出典は「擣月千声又万声」、月下に砧(きぬた)を打つ音が千声、また万声と響くさまを詠んだ詩句である。江戸時代前期、後西院(後西天皇、1638〜1685)がこの句から二つの青磁花生に銘を与えた。近衛家に伝わった一口が「千声」、そして本品が「万声」。この命名の経緯は、花生に添えられた書状と、近衛家熙の言行を山科道安が筆録した『槐記』の記事によって知られる。

正式の指定名称は「青磁鳳凰耳花生〈銘万声〉」。高さ33.6センチ、南宋時代の中国で焼かれた青磁の花生で、昭和26年(1951)6月9日に国宝に指定された。現在は大阪府和泉市の和泉市久保惣記念美術館が収蔵し、和泉市が所有する。

砧形の青磁瓶は日本に少なからず伝世するが、国宝はこの一口のみである。

南宋龍泉窯と砧青磁

釉薬・胎土・器形の特徴から、本品は浙江省の龍泉窯で南宋時代(1127〜1279)に焼成され、海を渡って日本へもたらされたとみられている。龍泉窯は宋代の中国で最も活発に青磁を量産した窯場のひとつで、瓶のほか香炉、碗、壺、文房具などを大量に生産し、その製品は中国国内にとどまらず広く海外へ輸出された。

南宋龍泉窯の最大の特色は「粉青色」と呼ばれる釉色にある。僅かに鉄分を含む灰白色の胎土に厚く青磁釉を掛けると、焼成時に釉中へ無数の微細な気泡が生じ、そのまま留まる。気泡が光を乱反射させることで、ガラス質の透明感とは異なる、半透明で柔らかな艶を帯びた青緑色が現れる。玉に擬えられたこの釉調こそ、当時の中国でも日本でも最上の青磁として尊ばれた。

円筒形の胴に細長い頸、漏斗状に開く口。この器形が布を打つ道具の砧に似ることから、日本の茶人たちは鎌倉時代から室町時代にかけて舶載されたこの種の青磁を「砧青磁」と呼び慣わした。頸の左右に鳳凰形の耳一双を貼り付けた本品のような作例は「鳳凰耳花生」と総称され、陽明文庫(京都)の「千声」(重要文化財)や大阪市立東洋陶磁美術館の所蔵品(重要文化財)など複数が知られている。

指定の理由

本品は明治39年(1906)6月9日、旧制度下で重要文化財(当時の国宝)に指定され、戦後の文化財保護法施行後、昭和26年に改めて国宝となった。工芸品の指定番号は28番である。

文化庁の解説は、数ある鳳凰耳花生のなかでも「とりわけ作調が丁寧で、堂々とした風格を備えた優品」と評する。実際、胴から頸、口縁にいたる立ち上がりに迷いがなく、左右の鳳凰耳も輪郭を崩さずに収まっている。均整のとれた器形でありながら、厚い釉が肩や稜線に濃淡を生み、硬質になりすぎない柔らかな印象を与える点に、龍泉窯の技術の到達点を見ることができる。

もうひとつの根拠は伝来の確かさである。室町時代にはすでに名器として珍重されていたことがうかがえ、江戸時代以降の所有者の変遷も文書によって裏付けられる。器物そのものの出来栄えと、文献に支えられた来歴。この二つが揃った点が、同形の諸品との決定的な違いといえる。

東福門院から毘沙門堂へ

添状などの伝えによれば、本品は三代将軍徳川家光の時代に東福門院(1607〜1678)へ贈られた。東福門院は二代将軍秀忠の娘和子で、後水尾天皇の中宮として入内し、武家と朝廷を結ぶ役割を担った人物である。舶載青磁の名品が将軍家から彼女のもとへ渡ったという経緯は、この花生が当時すでに最高級の贈答品であったことを示している。

東福門院の没後、花生は公弁法親王(1669〜1716)に遺贈された。後西天皇の皇子で出家した法親王は、京都山科の門跡寺院・毘沙門堂の門主を務めており、本品はその毘沙門堂に伝来した。銘を授けた後西院は公弁法親王の父にあたり、対の「千声」を伝えた近衛家とともに、この花生をめぐる人脈は江戸前期の宮廷文化の中枢と重なっている。

近代に入って毘沙門堂を離れ、個人の所蔵を経て和泉市の所有となった。皇室、門跡寺院、そして市民の美術館へ。約七百年に及ぶ来歴の各段階が記録に残ることは、陶磁器としては稀有である。

鑑賞の手引き

展示室で本品と向き合うとき、まず釉薬の厚みの変化に注目したい。たっぷりと釉の掛かった肩のあたりは青緑が一段深く、逆に口縁の先端や鳳凰耳の凸線部では釉が薄くなり、下の白っぽい胎土が透けて見える。単色の青磁でありながら、部位によって濃淡のアクセントが生まれている。これは偶然ではなく、龍泉窯の工人が釉の流動を計算した結果と考えられている。

次に鳳凰耳。一双の鳳凰は翼を畳んだ姿に造形され、厚い釉の下でその輪郭がわずかに溶けたように見える。氷の下の文様を覗くような、青磁特有の奥行きである。

底裏は釉を掛けない露胎で、ここに胎土の素顔が現れている。展示の角度によっては確認しづらいが、図録や美術館のデジタルミュージアムで補うことができる。

なお本品は常設展示ではない。美術館は年4〜5回の展覧会ごとに展示替えを行っており、「万声」は特別陳列などの機会に公開される。観覧を目的に訪れる場合は、事前に公式サイトの展覧会情報で出陳の有無を確かめておきたい。

和泉市久保惣記念美術館と周辺

収蔵先の和泉市久保惣記念美術館は、明治19年(1886)創業の綿業会社・久保惣株式会社の歴代経営者が収集した美術品を母体とする市立美術館である。昭和52年の廃業を機に、三代久保惣太郎氏が美術品約500点と土地・建物・基金を和泉市へ寄贈し、昭和57年(1982)10月、久保家旧本宅跡地に開館した。その後も寄贈が重ねられ、現在は国宝2件、重要文化財29件を含む約12,000点を収蔵する。日本・中国の書画や工芸のほか、モネやルノワールなど西洋近代美術も所蔵し、敷地内には日本庭園と茶室が整えられている。

開館時間は午前10時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)。月曜休館で、月曜が祝日の場合は開館し翌平日が休館となる。展示替え期間と年末年始も休館する。入館料は展覧会により異なるが、おおむね一般500〜600円程度で、特別展は別料金となる。

アクセスは泉北高速鉄道和泉中央駅から南海バスで約10分、「美術館前」下車すぐ。JR阪和線和泉府中駅からのバス便もある。周辺では、弥生時代の大規模環濠集落・池上曽根遺跡に隣接する大阪府立弥生文化博物館が車で15分ほどの距離にあり、美術館前を通るバス路線の先には西国三十三所の札所・松尾寺がある。古代から近世、近代産業までを一日で辿れる土地柄である。

Q&A

Q「万声」はいつでも見られますか。
A常設展示ではありません。和泉市久保惣記念美術館は年4〜5回の展覧会ごとに展示替えを行っており、「万声」は特別陳列などの機会に公開されます。来館前に公式サイトで出陳情報をご確認ください。
Q対の「千声」はどこにありますか。
A近衛家伝来の「千声」は重要文化財に指定され、京都の陽明文庫が所蔵しています。常時公開はされておらず、展覧会への出陳時に鑑賞できます。
Q中国製の陶磁器がなぜ日本の国宝なのですか。
A文化財保護法は製作地を問わず、日本の文化にとって特に価値の高い所在品を指定対象としています。舶載された中国陶磁は日本の茶の湯や鑑賞文化と深く結びついており、本品のほかにも曜変天目茶碗など複数の中国陶磁が国宝に指定されています。
Q館内で写真撮影はできますか。
A展示室内の撮影は原則できません。展覧会によって扱いが異なる場合がありますので、受付でご確認ください。
Q美術館の所要時間の目安は。
A展示室の見学だけなら1時間前後、庭園の散策を含めて1時間半から2時間程度が目安です。弥生文化博物館などと組み合わせれば、大阪市内から半日の小旅行になります。

基本情報

名称青磁鳳凰耳花生〈銘万声〉(せいじほうおうみみはないけ めいばんせい)
指定区分国宝(工芸品・指定番号28)。明治39年(1906)6月9日に旧国宝(重要文化財相当)指定、昭和26年(1951)6月9日に国宝指定
員数1口
製作地・時代中国・浙江省龍泉窯(推定)、南宋時代
寸法高33.6cm、口径11.0cm、胴径14.1cm、底径11.5cm
伝来東福門院、公弁法親王、毘沙門堂、個人を経て和泉市へ
所有者和泉市(大阪府)
保管施設和泉市久保惣記念美術館(大阪府和泉市内田町3-6-12)。常設展示ではなく、展覧会の機会に公開
開館時間10:00〜17:00(入館は16:30まで)。月曜休館(祝日の場合は開館、翌平日休館)、展示替え期間・年末年始休館
アクセス泉北高速鉄道「和泉中央駅」から南海バス約10分「美術館前」下車すぐ。JR阪和線「和泉府中駅」からもバス便あり

参考文献

国指定文化財等データベース「青磁鳳凰耳花生〈銘万声/〉」(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/314
文化遺産オンライン「青磁鳳凰耳花生〈銘万声/〉」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/197360
和泉市久保惣記念美術館 デジタルミュージアム「青磁 鳳凰耳花生 銘『万声』」
https://www.ikm-art.jp/degitalmuseum/num/006/0060045000.html
和泉市久保惣記念美術館 公式サイト
https://www.ikm-art.jp/

最終更新日: 2026.06.10