千本の手を、本当に千本つくった観音像

日本の千手観音像の多くは、四十二本の腕で千手を代表させる約束事の上に成り立っています。大阪府藤井寺市の葛井寺(ふじいでら)本尊、乾漆千手観音坐像は、その約束事に拠らない稀有な一躯です。胸前で合掌する二本の手、錫杖や宝輪、数珠などを執る三十八本の大手、そして孔雀の尾羽のように円形に広がる千一本の小手。合わせて千四十一本の手が、坐高130.2センチメートル(頂上仏面を含めると144.2センチメートル)の像の背後に展開します。掌には一手ごとに墨で眼が描かれ、経典の説く「千手千眼」をそのまま立体化した像容です。なお、数え方の違いから千四十三本とする資料もあります。

昭和13年(1938年)8月26日に旧法下で国宝(現行の重要文化財に相当)となり、昭和27年(1952年)11月22日、文化財保護法のもとで改めて国宝に指定されました。大阪府に現存する唯一の天平彫刻でもあります。

脱活乾漆という技法

指定名称の冒頭に置かれた「乾漆」は、奈良時代に盛行した造像技法を指します。本体は脱活乾漆造。粘土で原型をつくり、その上に漆を含ませた麻布を幾重にも貼り重ね、硬化後に内部の粘土を抜き取る方法です。中空で軽く、表面の細かな造形に向くため、天平彫刻の名品の多くがこの技法で生まれました。一方で湿気や火災に弱く、現存する作例はわずかです。大和地方以外で脱活乾漆の大作が残ること自体が珍しく、本像の存在は河内地域における奈良時代仏教文化の厚みを示しています。

大小の脇手は木心乾漆でつくられ、像の背後に立てた二本の支柱に取り付けられています。脇手は本体から離れているのですが、正面から拝すると、千の手が体から直接生え出ているように見えます。支柱を視界から消す計算された構造です。X線透視による内部調査では、天平前期の乾漆像に特有の構造が確認されており、制作は8世紀半ばごろと考えられています。

寺伝はさらに古い由緒を語ります。神亀2年(725年)、聖武天皇が42歳の厄除けを祈願して仏師の稽文会(けいもんえ)・稽主勲(けいしゅくん)に造らせ、行基が開眼供養を営んだと伝わります。史実として確かめることはできませんが、千手観音信仰が日本に根づいた最初期から本像が篤い信仰を集めてきたことをうかがわせる伝承です。天平7年(735年)に入唐僧玄昉が多数の経典を携えて帰朝した後、千手観音の経典書写が相次いだ時期と、本像の推定制作年代は重なります。

国宝としての価値

実際に千本以上の手を確認できる千手観音像は、現存作例では本像のみとされます。実数の千手を表した像としては奈良・唐招提寺金堂の立像、京都・寿宝寺の像が知られますが、坐像は本像だけです。図像的にも、通例42本の大手を40本とし、宝鉢手を表さない点が珍しく、千手観音造像の最初期に許された造形の自由さを伝えています。

保存状態の良さも特筆されます。宝瓶を据えた八稜形の框の上に五重の蓮華座が載る台座は造立当初のものを多く残し、奈良時代彫刻としては異例です。脇手の一部、頭上面の一部、持物の全て、台座蓮弁の大部分は後世の補作ですが、像の根幹は8世紀の姿を保っています。掌の墨描の眼も一部に残存が確認されています。

端正な面相と、のびやかな体躯。千手という超人的な姿が、誇張ではなく自然な調和として成立しているところに、天平彫刻の到達点を見る研究者は少なくありません。

拝観は毎月18日のみ

本尊は本堂厨子内に安置される秘仏で、開扉は観音の縁日にあたる毎月18日。午前9時から午後4時30分まで、拝観料は500円です。当日は本堂の脇を回って裏手の拝観室に進み、間近で像を拝することができます。写真では千の小手が光背のように平面的に見えますが、実物を前にすると、掌と指が幾層にも重なって奥行きをもって迫り、印象が一変します。

4月18日の春季大法会は一年で最も賑わう開扉日です。寺名の通り藤の名所でもあり、4月中旬から5月上旬の藤まつりには境内の藤棚が紫や白の花房に覆われます。8月9日の千日まいりは、一日の参拝で千日分の功徳があるとされる行事です。

開扉日以外も境内は自由に参拝できます。商店街に面した西門は桃山様式を伝える四脚門で、国の重要文化財。改修を経て朱が鮮やかになった南大門から石畳の参道を進む正面からの眺めも捨てがたいものがあります。

周辺情報とアクセス

葛井寺は近鉄南大阪線藤井寺駅から徒歩約5分。大阪阿部野橋駅(天王寺)から準急で15分ほどの距離にあり、駅前商店街を抜けるとそのまま西門前に出ます。西国三十三所観音霊場の第五番札所として、巡礼者の姿が絶えません。

周辺には見どころが集まっています。市内には2019年に世界文化遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群のうち古市エリアの古墳が点在し、濠をめぐらせた前方後円墳を間近に望めます。二駅先の道明寺・道明寺天満宮には平安時代の国宝十一面観音像(檀像)が伝わり、こちらも毎月18日と25日に開扉されるため、同じ日に二つの国宝観音を拝することも可能です。西門から一筋隔てた辛國神社は、木立に包まれた参道が静かで、駅前の喧騒からの良い切り替えになります。

Q&A

Q国宝の千手観音はいつ拝観できますか?
A毎月18日のみ開扉されます。時間は午前9時から午後4時30分、拝観料は500円です。4月18日の春季大法会は特に混雑します。
Q本当に千本の手があるのですか?
A合掌手2本、持物を執る大手38本、小手1001本の計1041本です(数え方により1043本とする資料もあります)。実際に千本以上の手を確認できる現存像は本像のみとされます。
Qアクセス方法を教えてください。
A近鉄南大阪線藤井寺駅から徒歩約5分です。大阪阿部野橋駅から約15分。専用駐車場はないため、車の場合は駅周辺のコインパーキングを利用します。
Q写真撮影はできますか?
A本尊の撮影はできません。境内や門、藤棚などは自由に撮影できます。
Qあわせて訪れたい周辺スポットは?
A世界遺産・古市古墳群の各古墳のほか、二駅先の道明寺では毎月18日・25日に国宝十一面観音像が開扉されます。同じ日に二つの国宝観音を巡る参拝もおすすめです。

基本データ

名称乾漆千手観音坐像(本堂安置)/かんしつせんじゅかんのんざぞう
指定区分国宝(彫刻) 昭和27年(1952年)11月22日指定(昭和13年8月26日旧国宝指定)
時代奈良時代(8世紀)
員数1躯
寸法像高130.2cm(髻頂まで)、頂上仏面を含め144.2cm
技法本体は脱活乾漆造、脇手は木心乾漆造
所有者葛井寺(真言宗御室派) 大阪府藤井寺市藤井寺
公開毎月18日のみ開扉 9:00〜16:30 拝観料500円
アクセス近鉄南大阪線「藤井寺」駅から徒歩約5分

参考文献

国指定文化財等データベース「乾漆千手観音坐像(本堂安置)」(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/214
葛井寺公式サイト「国宝千手観音」
https://www.fujiidera-temple.or.jp/
藤井寺市「葛井寺と国宝千手観音」
https://www.city.fujiidera.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/fuziiderasinositeibunnkazai/kunifusiteibunkazai/1387693341754.html
西国三十三所「第五番 葛井寺」
https://saikoku33.gr.jp/place/5

最終更新日: 2026.06.10