小さな鏡に収められた一場面

径14.5センチほどの小さな銅鏡の背面に、中国の古い故事がひとつ収められている。八花形に鋳出された鏡背の左手には、竹林のなかで琴に向かう人物が座す。古代中国の名手・伯牙である。その姿にちなんで「伯牙弾琴鏡(はくがだんきんきょう)」の名がついた。向かい合う右手には鳳凰、上方には雲と山と飛ぶ鳥、下方には蓮池が配される。中央の鈕(ちゅう)は、荷葉の上に亀がうずくまる形につくられ、かつてはここに紐を通して用いた。

大阪府藤井寺市の道明寺天満宮が所蔵する国宝である。掌におさまるほどの一面だが、そこには友情をめぐる長い物語が鋳込まれている。

伯牙と知音

伯牙は琴の名人として知られるが、その名を後世に残したのは演奏の妙よりも、ひとりの聴き手との関係による。鍾子期(しょうしき)は、伯牙が高山を思って弾けば峨々たる峰を聴きとり、流水を思って弾けば滔々たる川を聴きとった。子期の死後、伯牙は弦を断ち、二度と琴を弾かなかった。自分の音を解する者がもういないと考えたからである。ここから、心を通わせる友を指す「知音」という語が生まれた。

鏡の鳳凰もこの世界に連なる。すぐれた楽の音と徳のあるところにのみ降り立つとされた瑞鳥であり、伯牙の調べと向かい合う配置は、単なる装飾ではなく図様の意味の一部をなしている。故事を知る者がこの鏡をのぞきこむとき、銅の面には、互いを解しあう一瞬が映っている。

六種の遺物のひとつとして

この鏡は、道明寺天満宮に伝わる六種の遺物のひとつとして、一括で国宝に指定されている。六点はいずれも菅原道真(845〜903)の遺愛の品と伝えられ、道真の死後、その伯母にあたる覚寿尼へ届けられたという。覚寿尼は、当社の前身である土師寺に住した尼であった。各品が実際に道真の所持品であったかどうかは確かめようがなく、貴ばれてきた伝来として受けとめるのが穏当だろう。

確実に言えるのは品そのものの性格である。六点には唐から舶載された品と、本邦で唐の様式に倣って作られた品とが混じり、いずれも遺例の乏しい貴重な作例にあたる。なかでも円硯は唐時代の製とされる。この鏡は、唐式鏡を写した平安時代初期の和製と見るのが通説である。鏡背には踏み返しの痕跡が指摘される。既存の鏡から型を取り直して鋳造する手法で、もとの図様がやや小ぶりになり、細部が甘くなるのが特徴である。指定の経緯をたどると、戦前の旧制度下で昭和11年(1936)に国宝とされ、文化財保護法の施行後、昭和26年(1951)に重要文化財、昭和28年(1953)に改めて国宝へと指定された。

拝観と、鏡をめぐる梅の境内

六点は常時公開されているわけではない。宝物館での公開は限られた日にあてられ、正月の三が日、天神に縁のある毎月25日のうち定められた日、そして梅の時季などに開かれる。陳列品は入れ替わり、開館日でもすべての国宝が並ぶとは限らない。鏡そのものを目当てに訪れるなら、事前に社務所へ公開日と拝観料を確かめておきたい。宝物館は、道真の薨去から千年にあたる明治35年(1902)に建てられた建物である。

季節を選べば、境内そのものが見どころになる。約80種800本を数える梅園は大阪みどりの百選に選ばれ、道真と梅の結びつきを思えば、その取り合わせには確かな来歴がある。見頃は2月下旬から3月初めにかけて。隣接する道明寺は覚寿尼ゆかりの尼寺で、本尊の国宝・十一面観音立像は毎月18日と25日に開帳される。さらにこの一帯は、道真の家系がさかのぼる土師氏が築いた古市古墳群の地でもあり、百舌鳥・古市古墳群として世界遺産に登録されている。

Q&A

Q鏡の背面には何が描かれているのですか。
A竹林で琴を弾く中国の名手・伯牙を左に、鳳凰を右に配し、山や鳥、蓮池をめぐらせています。伯牙と鍾子期の故事、すなわち互いの心を解しあう友のあり方を題材とした図様です。
Q本当に菅原道真が所持していた鏡なのですか。
A道真の死後に伯母の覚寿尼へ届けられた品と伝わりますが、確証はありません。鏡そのものは平安時代初期の作とされ、唐式鏡を写した和製と考えられています。
Q訪ねれば鏡を見られますか。
A公開日は限られます。宝物館は正月や毎月25日のうち定められた日、梅まつりの時季などに開かれ、陳列品も入れ替わります。確実を期すなら、事前に社務所へお問い合わせください。
Q道明寺天満宮へのアクセスは。
A近鉄南大阪線「道明寺駅」から徒歩約3分です。大阪阿部野橋から乗車できます。車の場合は西名阪自動車道・藤井寺ICから約5分です。
Q周辺で他に見るべきものは。
A隣接する道明寺、約2キロ先で国宝の千手観音を伝える葛井寺、そして世界遺産・古市古墳群の前方後円墳などがあります。

基本情報

名称伯牙弾琴鏡(はくがだんきんきょう)
所在地大阪府藤井寺市道明寺1-16-40 道明寺天満宮
指定区分国宝(工芸品)
指定年月日重要文化財 昭和26年(1951)6月9日/国宝 昭和28年(1953)3月31日
員数・寸法1面、径14.5センチ
品質・形状銅製、八花形、鈕は荷葉に乗る亀
時代平安時代(唐式鏡を写した和製とされ、踏み返しとみられる)
所有者道明寺天満宮
公開宝物館にて限定公開(公開日・拝観料は要事前確認)
アクセス近鉄南大阪線「道明寺駅」より徒歩約3分

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/396
道明寺天満宮 公式サイト(宝物)
https://www.domyojitenmangu.com/treasure.html
藤井寺市「道明寺天満宮と国宝伝菅公遺品」
https://www.city.fujiidera.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/fuziiderasinositeibunnkazai/kunifusiteibunkazai/1387694428536.html
WANDER 国宝「菅公遺品6点(道明寺天満宮)」
https://wanderkokuho.com/201-00394/

最終更新日: 2026.06.12