古墳群のなかの「工場」
昭和44年(1969年)、羽曳野市の西寄りで進められていた国道の改良工事は、土の中から繰り返し同じものを掘り出した。割れた素焼きの破片、すなわち埴輪である。その後の発掘調査によって、ここは埴輪を運び込んだ場所ではなく、埴輪そのものを焼いた場所であることがわかった。低い丘陵の斜面には窯が築かれ、その近くには工房とみられる掘立柱建物の柱穴が並んでいた。
この場所は誉田白鳥埴輪製作遺跡として、昭和48年(1973年)6月2日に国の史跡に指定された。立地そのものが、この遺跡の性格をよく示している。窯跡があるのは古市古墳群の只中で、4世紀後半から6世紀にかけて築かれた古墳が羽曳野市と藤井寺市にまたがって密集する一帯である。なかでもこの遺跡は、二つの巨大な古墳にはさまれた位置にある。墳丘長425メートル、応神天皇陵と伝えられ全国第2位の規模をもつ誉田御廟山古墳と、その近くの墓山古墳である。ここで焼かれた埴輪は、わずか数百メートルを運ばれて、それらの古墳に並べられた。
窯跡が国史跡に指定された理由
国の史跡は全国に数多くあるが、その大半は古墳や寺院跡、城跡である。誉田白鳥埴輪製作遺跡は、やや異なる指定基準のもとに登録されている。生産活動に関わる遺跡、という区分だ。平たく言えば、古代の生産施設、いわば工場の跡である。
その点にこそ価値がある。古市古墳群の墳丘はその規模で人を驚かせるが、それを築いた労働そのものについては多くを語らない。墳丘長が数百メートルにおよぶ前方後円墳には、テラスに並べる埴輪が何千本も必要であり、それらは形をつくり、乾かし、焼く場所をどこかに持っていなければならなかった。誉田白鳥埴輪製作遺跡は、その「どこか」を具体的に示す数少ない遺跡の一つである。これまでに斜面を利用して築かれた窯が少なくとも10基確認され、工房とみられる建物の柱穴もあわせて検出されている。文化庁の指定解説は、その意義を端的に述べている。大古墳群の只中に立地する埴輪窯であり、その製品がその古墳群の造営に用いられたと推定できる、と。
平成3年(1991年)に羽曳野市教育委員会が行った調査は、この描像をさらに具体的にした。失敗品などを捨てた灰原を掘ったところ、5世紀後半から6世紀前半にかけての埴輪片が多数見つかったのである。焼き損じの捨て場は、完成した古墳とはまた別の意味で雄弁だ。稼働していた窯場の作業の積み重ねと、火に耐えられなかった製品の割合とが、そこから読み取れる。
土が残してきたもの
ここで見つかった破片は、大きく二つの種類に分けられる。最も数が多いのは円筒埴輪で、墳丘の区画を示すために隙間なく並べられた筒形のものである。それとともに、より手の込んだ形象埴輪も出土している。家、盾、きぬがさ(蓋)、靫(ゆき)、馬、水鳥といった具体的な形に作られ、人物をかたどったものもある。
これらの形にはそれぞれ意味があった。円筒埴輪は聖域を画し、形象埴輪は生前の首長を取り巻いた建物や武具、動物を表して、葬送儀礼の舞台装置のように古墳のまわりに据えられた。それらを、古墳に立てられた状態ではなく、つくられた場所で素材に近い破片として目にすることは、埴輪の一生をより早い段階で捉えることでもある。運び出され、据え置かれる前の姿である。
訪れる人にあらかじめ知っておいてほしいのは、この遺跡が見て歩く対象というより、理解して味わう対象だということだ。周辺の多くは宅地に変わり、窯そのものは公開されていない。敷地の一部は誉田白鳥埴輪製作遺跡公園として整備され、解説板に発掘調査の成果が記されている。埴輪の実物を見たい場合は、近くの羽曳野市文化財展示室をあわせて訪ねるとよい。古市古墳群やその周辺から出土した埴輪が展示されている。
遺跡のまわり
誉田白鳥埴輪製作遺跡は、かつて埴輪を供給した古墳のすぐそばにある。応神天皇陵と伝えられる誉田御廟山古墳は徒歩圏内にあり、墓山古墳も反対側に近い。いずれも百舌鳥・古市古墳群を構成する古墳であり、この古墳群は平成31年(2019年)7月に「百舌鳥・古市古墳群 ―古代日本の墳墓群―」として世界文化遺産に登録された。日本で23件目の世界遺産である。なお、埴輪製作遺跡そのものは世界遺産の構成資産ではなく、それらの古墳のなかに位置する独立した国史跡という関係にある。
誉田御廟山古墳の近くには誉田八幡宮があり、その宝物館には国宝に指定された金銅製の鞍金具が伝わる。少し足をのばせば白鳥陵古墳がある。日本武尊(やまとたけるのみこと)と、その死後に化したと伝わる白鳥の伝説に結びつけられた古墳だ。一帯は近鉄南大阪線の古市駅に近く、古墳から古墳へと歩いてめぐる一日を組み立てやすい。
Q&A
- 窯は実際に見られますか。
- 窯そのものは公開されておらず、周辺の多くは宅地になっています。敷地の一部が誉田白鳥埴輪製作遺跡公園として整備され、解説板が置かれています。埴輪の実物は、近くの羽曳野市文化財展示室で見ることができます。
- 「こんだしらとり」と「こんだはくちょう」のどちらが正しい読みですか。
- 同じ「白鳥」の字に対する二通りの読みです。文化庁の国指定文化財等データベースでは「こんだしらとり」と登録されています。一方、遺跡が所在する町名が「はくちょう」であることから、地元や研究の資料では「こんだはくちょう」と記すものも多くあります。指している場所は同じです。
- 世界遺産には含まれますか。
- 直接には含まれません。世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」は特定の古墳によって構成されています。誉田白鳥埴輪製作遺跡は、同じ古市古墳群のなかにありながら別個に指定された国史跡で、それらの古墳に埴輪を供給した場所として深く結びついています。
- ここで焼かれた埴輪はいつ頃のものですか。
- 平成3年(1991年)の灰原の調査では、5世紀後半から6世紀前半の埴輪片が見つかっています。周辺の古市古墳群が築かれ、飾られていった時期にあたります。
- どのように行けばよいですか。
- 遺跡は羽曳野市白鳥にあり、近鉄南大阪線の古市駅から向かうことができます。周辺の古市古墳群を歩いてめぐる行程と組み合わせるのが自然です。
基本情報
| 名称 | 誉田白鳥埴輪製作遺跡(こんだしらとりはにわせいさくいせき) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府羽曳野市白鳥 |
| 指定区分 | 国指定史跡 |
| 指定年月日 | 1973年(昭和48年)6月2日 |
| 時代 | 古墳時代(出土した埴輪は5世紀後半~6世紀前半) |
| 主な遺構 | 丘陵斜面に築かれた窯(少なくとも10基確認)、工房とみられる掘立柱建物の柱穴、灰原 |
| 公開状況 | 敷地の一部を誉田白鳥埴輪製作遺跡公園として整備 |
| アクセス | 近鉄南大阪線 古市駅 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1821
- 文化遺産オンライン(大阪府・羽曳野市)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/region/27/27222
- 誉田白鳥埴輪製作遺跡 - ウィキペディア
- https://ja.wikipedia.org/wiki/誉田白鳥埴輪製作遺跡
- 世界遺産 百舌鳥・古市古墳群 公式サイト
- https://www.mozu-furuichi.jp/jp/learn/mozu_furuichi.html
最終更新日: 2026.05.26