住宅改造博覧会の跡地に建つ大正13年の住宅
今戸家住宅(いまとけじゅうたく)は、大阪府箕面市桜ヶ丘2丁目にある木造2階建の住宅で、大正13年(1924年)の建築、平成10年(1998年)1月16日に国の登録有形文化財(建造物)となった。
この住宅が建つ2年前、同じ丘は特殊な工事現場だった。大正11年(1922年)9月21日から11月26日にかけて、日本建築協会が約14ヘクタールの造成地を会場として「住宅改造博覧会」を開催している。展示されたのは模型ではなく、25戸の実物住宅。来場者は完成した室内を歩いて回った。入場者は7万人を超え、会期は当初の予定を延長して閉幕した。
会期後、住宅は家具付きで敷地とともに分譲された。現代の総合住宅展示場の原型が、ここにある。土地を手がけていた田村地所部(香料メーカーの宅地開発部門)は、造成を急ぐ意図もあって博覧会を誘致したと言われる。
今戸家住宅は、その25戸には含まれない。博覧会の後、同じ住宅地に同じ思想のもとで建てられた。文化庁の解説が「大正時代に宅地開発されたこの地域の初期の住宅の一つ」と位置づけるのは、この経緯による。
あめりか屋と、登録の根拠
国指定文化財等データベースは、設計を奥戸大蔵、施工をあめりか屋と記録する。歴史的な重みは後者に集中している。あめりか屋は明治42年(1909年)、橋口信助(1879年〜1928年)が創業した住宅会社である。橋口は渡米して各種の職を転々とした末に帰国し、その際、組立式のバンガロー住宅6棟を持ち帰った。規格材を寸法どおりに刻み、現場で組み上げる。後年のプレハブ工法やツーバイフォーに連なる論理の出発点がここにある。大正4年(1915年)には機関誌『住宅』を創刊して啓蒙にあたり、翌々年には早稲田大学建築学科を出た山本拙郎が入社、のちに技師長を務めた。
あめりか屋が売ったのは、アメリカ住宅の移植ではない。バンガローの構成を日本の暮らしに合わせて組み替えたもので、当時これを「あめりか屋式」と呼んだ。文化庁の解説は、今戸家住宅をその好例として挙げ、和洋併用のスパニッシュ風の外観と記述している。
適用された登録基準は三種のうち第一、「造形の規範となっているもの」。登録番号27-0033、告示は平成10年2月12日である。登録は指定より緩やかな枠組みで、国宝や重要文化財のような許可制ではなく届出制をとる。人が住み続けている住宅には、この制度のほうが馴染む。
公式記録のなかで見落としやすい一行がある。屋根は「アスファルト葺」。アスファルトシングルはアメリカ由来の材料で、大正13年の日本ではまだ珍しい。建築面積94平方メートルの郊外住宅にそれが載っていること自体が、あめりか屋が平面型だけでなく材料まで直輸入していた実態を示している。
桜ヶ丘を歩く
建築面積94平方メートルという数字には立ち止まる価値がある。資産家の邸宅ではなく、俸給生活者の家の規模である。そこが要点だった。大正11年の博覧会が狙いを定めたのは、大正期に厚みを増した新しい都市中間層で、提案の中身は椅子式の食堂、家族それぞれの個室、水洗便所、南向きテラスといったものだった。今では当たり前に見える項目が、当時は主張だった。
この住宅地は戦後に厳しい局面を迎える。昭和21年(1946年)8月から9月にかけて、博覧会出品住宅25戸のうち13戸が進駐軍の接収指定を受けた。居住者は転居を強いられ、家具や調度の持ち出しも禁じられた。昭和27年(1952年)に接収が解除されたとき、自邸に戻れた世帯は5戸にとどまる。内外装はペンキで塗り替えられ、床の間が撤去され、畳の間が洋室に変わっていた。その後の減少も続き、現存する出品住宅は一桁台まで減った。
残ったものを守っているのは、建物だけではない。箕面市は桜ヶ丘の一部を都市景観形成地区に定めており、敷際に連なる生垣、自然石の石積み、開渠の側溝といった要素が、住宅そのものと同じ比重で街区の性格をつくっている。地元ではこの通りを桜ヶ丘洋館通りと呼ぶ。
今戸家住宅は個人の住まいであり、公開はされていない。内部の見学制度も公開日の設定もない。現地までは、阪急箕面線の桜井駅から田村橋通りを北へ10分ほど歩き、坂を上りきればよい。撮影は公道から、声量を落とし、私道や敷地には立ち入らない。閑静な住宅地に人が現に暮らしており、この一帯が残ってきたのは、その住み手が維持管理の負担を引き受けてきた結果である。
Q&A
- 今戸家住宅は見学できますか。内部に入れますか。
- できません。今戸家住宅は現在も個人の住まいで、公開制度も内部見学もありません。外観は桜ヶ丘の公道から見ることができますが、私有地に立ち入らず、居住者の生活に配慮してください。
- 今戸家住宅はいつ建てられ、誰が設計したのですか。
- 大正13年(1924年)の建築です。国指定文化財等データベースは、設計を奥戸大蔵、施工をあめりか屋と記録しています。あめりか屋は明治42年(1909年)に橋口信助が創業し、アメリカのバンガロー住宅の工法を日本に紹介した住宅会社です。
- 今戸家住宅と大正11年の住宅改造博覧会はどう関係していますか。
- 今戸家住宅は博覧会の跡地に建っていますが、大正11年(1922年)に出品された25戸には含まれません。2年後に同じ住宅地内で建てられたもので、文化庁が「この地域の初期の住宅の一つ」と記すのはそのためです。
- 今戸家住宅のある桜ヶ丘へは、最寄り駅からどう行きますか。
- 阪急箕面線の桜井駅から田村橋通りを北へ徒歩10分ほど、坂を上った丘の上が桜ヶ丘住宅地です。同線の牧落駅からも同程度の距離があります。
- 今戸家住宅はどのような様式の建物ですか。
- 文化庁の解説は、和洋併用のスパニッシュ風の外観とし、当時「あめりか屋式」と呼ばれた洋式住宅の好例と位置づけています。構造は木造2階建、屋根はアスファルト葺、建築面積は94平方メートルです。
基本情報
| 名称 | 今戸家住宅(いまとけじゅうたく) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府箕面市桜ヶ丘2-7-26 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 27-0033 |
| 指定年 | 平成10年(1998年)1月16日登録、同年2月12日告示 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造2階建、アスファルト葺、建築面積94平方メートル |
| 所有者 | 国指定文化財等データベースに記載なし(民間所有) |
| 公開状況 | 個人住宅につき非公開。外観のみ公道から見学可 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース — 今戸家住宅
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00000452
- Wikipedia — あめりか屋
- https://ja.wikipedia.org/wiki/あめりか屋
- Wikipedia — 住宅改造博覧会
- https://ja.wikipedia.org/wiki/住宅改造博覧会
- LIFULL HOME'S PRESS — 大阪・箕面の桜ヶ丘住宅地に残る大正11年の住宅改造博覧会作品
- https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00601/
- 箕面市 — 景観重要建造物について
- https://www.city.minoh.lg.jp/machi/keikan/jyuuyoukennzoubutu.html
最終更新日: 2026.08.19