拝殿の真上に枝を伸ばす、目通り12.5メートルのクスノキ
大阪府門真市の三ツ島、住宅街の細い路地を抜けた先に、こぢんまりとした三島神社の鳥居が現れる。境内に足を踏み入れると、拝殿の真上に覆いかぶさるように一本のクスノキの巨幹がそびえ立つ。これが、昭和13年(1938年)5月30日に国の天然記念物に指定された薫蓋クス(くんがいくす)である。目通り(地上約1.3メートルの高さ)の幹周りは約12.5メートル、樹齢は1000年以上と推定される、わが国でも有数のクスノキの巨樹だ。
根元には大小無数の瘤起が盛り上がり、地表に這う根とともに巨大な土台を形作っている。そこから立ち上がる主幹は途中で五本の枝に分かれ、いずれもよじれながら大きく天へ伸びる。枝の差し渡しは東西におよそ40メートルに及び、境内全体が一本の樹冠に覆われているかのような景観をつくる。
三島神社という器
三島神社のある三ツ島地区は、淀川水系の旧河道にほど近い低湿地である。温暖で水を含みやすい土壌はクスノキの生育に向き、市内の社寺には他にも数本の大樟が見られるが、規模では薫蓋クスが群を抜き、大阪府下最大の巨木とされる。神社の創建年代は明らかでないが、近江の山王総本宮日吉大社から分霊を勧請したと伝わり、もとは山王権現と称した。現在の社名「三島(三ツ島)神社」は明治3年(1870年)に改められたものである。
祭神は天照皇大神・大己貴命・素盞嗚尊の三柱。社地はけっして広くなく、むしろ人家に取り囲まれた静かな小社のたたずまいだが、それゆえに参道を一歩進んだとたんに眼前に立ち現れる巨樹の存在感が際立つ。
名の由来となった一首の和歌
樹の根元には小さな石碑が立ち、幕末から維新期にかけて活躍した公家・千種有文(ちぐさありふみ、1815〜1869年)の和歌が刻まれている。「村雨の あまやどりせし 唐土の 松におとらぬ 樟ぞ此のくす」。通り雨の下で雨宿りした唐土(中国)の松にも引けを取らない樟である、と歌に詠みこんだ「薫蓋」の二字、すなわち香り立つ大きな天蓋という意味の語が、この樹の名となった。薫蓋樟(くんがいしょう)と読まれることも多い。
千種有文は村上源氏久我家の流れを汲み、家禄150石の中級公家として岩倉具視らと共に幕末政局に関わったが、明治2年(1869年)に没したため、後世の知名度は具視らに及ばない。和歌の家として知られた家系であり、歌人としての一面がこの名と共に残った。
一本の樹がなぜ天然記念物となったのか
文化財保護法の前身にあたる史蹟名勝天然紀念物保存法のもとで、一本の樹木が単独で国指定を受けることは多くない。薫蓋クスは「名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢」の指定基準に該当する樹として、昭和13年に指定された。文化庁データベースに記された指定理由には「根本ニ瘤起多シ 目通幹圍約一二.五メートル 樟ノ巨樹トシテ有數ノモノナリ」とある。根元の瘤の発達と、目通り約12.5メートルという幹周りが、全国的に見ても群を抜く特徴として評価された。
のちの評価も重ねられている。1990年(平成2年)、大阪市鶴見区で開催された国際花と緑の博覧会(花博)に際して「新日本名木100選」に選ばれ、近年には「大阪みどりの100選」にも名を連ねた。門真市自身も、市域に大樟が多いことを踏まえてクスノキを「市の木」に定めており、その制定は昭和48年(1973年)1月にさかのぼる。
近づいて見たい細部
参拝の後、しばらく立ち止まって樹を眺めると、写真では平面化されてしまう細部が見えてくる。樹皮には苔やシダ類が点々と着生し、特に北側の陰になりやすい面で青みが濃い。五本の主枝はそれぞれに大きくねじれながら立ち上がり、訪れる人々がしばしば大蛇や龍に例えて語る形をなしている。根元の瘤の谷間には落葉や雨水が溜まり、長い年月の風化が、樹皮の表面に深い溝を刻んでいる。
拝殿前の張り出した根を守るため、近年になって木製のスロープが設けられた。土の踏み固めから根を保護するための処置である。樹幹の内部はかなりの空洞となっているが、毎春の新緑は変わらず勢いがあり、樹勢は今も衰えを見せない。なお神社や大阪府神社庁の資料には、幹周13.1メートル・樹高約30メートルとする数値もみられる。1938年指定時の文化庁記録(約12.5メートル)との間に若干の差があり、現地の看板で見比べると気づくことがある。
参拝のための実用情報と周辺
境内に拝観料はなく、明るい時間帯であれば自由に参拝できる。社務所が開いている時間帯には、薫蓋クスの名を記した御朱印を直書きまたは書き置きで授与している。社の裏手に約8台分の参拝者用駐車場があり、利用時間は9時から17時まで。住宅街の路地は道幅が狭いので、車での来訪時は徐行が望ましい。
公共交通機関では、大阪メトロ長堀鶴見緑地線の門真南駅が最寄り。4番出口から徒歩約8分で境内に至る。京阪本線で訪れる場合は古川橋駅の南口ターミナルから京阪バス「門真団地」行きに乗り、「三島」停留所で下車すれば徒歩1分。京阪本線「古川橋駅」から徒歩でも約30分の距離である。
近隣の見どころとしては、北へ約2キロメートルの鶴見緑地公園が挙げられる。1990年の花博跡地として整備された広大な敷地に、各国の樹木や草花が今も植えられている。京阪沿線をさらに東に進めば、枚方や樟葉といった古い宿場・住宅町が広がり、夏祭りや旧家のたたずまいを楽しむことができる。
Q&A
- 薫蓋クスは本当に樹齢1000年を超えているのですか。
- 神社や地元の資料は1000年以上と紹介しています。クスノキは老木になると芯材が空洞化することが多く、年輪を実測しての樹齢確定は困難です。したがって伝承や樹形・幹周からの推定値であり、厳密な計測値ではない点に注意が必要です。
- 樹に直接触れることはできますか。
- 拝殿前の根の張り出し部分にはスロープと簡易な柵が設けられており、最も近接できる位置からはやや距離が保たれます。側面や背面からは近づけますが、登る、もたれかかる、樹皮を傷つけるといった行為は国指定天然記念物として禁じられています。
- 参拝に適した季節はありますか。
- クスノキは常緑樹のため、樹冠は一年を通して厚みを保ちます。新葉が芽吹き白い小花が咲く晩春、光の柔らかい秋の朝夕は写真にも好適です。週末は近隣からの参拝者がやや増えるため、平日や早朝の訪問がゆっくり樹を眺めるには向いています。
- 歌を詠んだ千種有文とはどのような人物ですか。
- 幕末の中級公家で、村上源氏久我家の末流にあたります。岩倉具視らと共に維新前夜の政争に関わりましたが、明治2年(1869年)に早世したため後世の知名度は高くありません。歌道に通じた家柄であり、薫蓋の名を残した歌は晩年の作と考えられています。
- 門真市内に他にも大きなクスノキはありますか。
- 門真市はクスノキを市の木に制定しており、市内の社寺には複数の大樟が見られます。ただし規模で薫蓋クスに並ぶものはなく、府下最大の樟として位置付けられています。近隣の鶴見緑地公園では、花博時に植栽された各種の樹木を併せて見ることができます。
基本情報
| 名称 | 薫蓋クス(くんがいくす) ※薫蓋樟(くんがいしょう)とも |
|---|---|
| 指定区分 | 国指定天然記念物(昭和13年〈1938年〉5月30日指定) |
| 指定基準 | 名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢 |
| 樹種 | クスノキ(学名 Cinnamomum camphora) |
| 幹周(目通り) | 約12.5メートル(文化庁記録)/約13.1メートル(神社・地元資料) |
| 推定樹齢 | 1000年以上 |
| 樹高 | 約24〜30メートル(資料により幅あり) |
| 枝張り | 東西約40メートル |
| 所在地 | 大阪府門真市三ツ島1-15-20 三島神社境内(〒571-0015) |
| アクセス | 大阪メトロ長堀鶴見緑地線「門真南駅」4番出口から徒歩約8分/京阪バス「三島」停留所から徒歩約1分 |
| 拝観 | 無料/境内自由(明るい時間帯) |
| 駐車場 | 約8台(利用時間 9:00〜17:00) |
| 関連選定 | 新日本名木100選(1990年)/大阪みどりの100選/門真市の木(昭和48年〈1973年〉1月制定) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)「薫蓋クス」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1781
- 三島神社 公式ホームページ
- https://mitsushimajinja-kadoma.com/
- 大阪府神社庁第三支部「三島神社」
- https://osakadai3shibu.kilo.jp/jinja/kadoma/jinja/mitusima.html
- Wikipedia「薫蓋クス」
- https://ja.wikipedia.org/wiki/薫蓋クス
- Wikipedia「三島神社 (門真市)」
- https://ja.wikipedia.org/wiki/三島神社_(門真市)
最終更新日: 2026.05.27