応神天皇陵のほとりに残る、鎌倉工芸の粋を集めた神輿
大阪府羽曳野市の誉田八幡宮には、総高214.5センチメートルの木製神輿が一基伝わる。国宝「塵地螺鈿金銅装神輿(ちりじらでんこんどうそうしんよ)」。社伝では、建久年中(1190年代)に鎌倉幕府を開いた源頼朝が寄進したものと伝えられる。頼朝は建久7年(1196年)に当宮の社殿を修復した記録があり、神輿の寄進もその頃のことと考えられている。
指定名称は、この神輿の表面を覆う技法をそのまま列挙したものである。塵地は、漆面に細かな金属粉を蒔き、透明な漆をかけて研ぎ出した地のこと。螺鈿は貝殻の真珠層を切って文様をあらわす装飾技法。金銅装は、屋蓋や要所を金銅製の金具で飾り固めていることを示す。なお、文化庁の指定名称が「塵地」とするのに対し、神社の解説では「梨子地」と記されており、両者は金属粉の粒度や密度が異なる近縁の技法である。
誉田八幡宮の主祭神は応神天皇。社殿の背後には、日本第2位の規模を誇る前方後円墳、誉田御廟山古墳(応神天皇陵古墳)が横たわる。この神輿は、祭神を本殿から御陵へと一時お還しする秋の例祭、放生会の渡御に用いられてきた。御陵祭祀という古代以来の信仰と、鎌倉武家の奉納文化とが、一基の工芸品の上で重なり合っている。
指定の経緯と価値
この神輿は大正4年(1915年)8月10日に旧国宝(現行制度の重要文化財に相当)に指定され、昭和31年(1956年)6月28日、文化財保護法のもとであらためて国宝に指定された。工芸品としての指定番号は第189号である。
評価の核心は、複数の工芸分野の技術が一基に結集している点にある。輿は屋上に鳳凰を頂く方形の木製で、漆塗りの地に螺鈿を施し、屋蓋ほかの要所を金銅金具で補強する。軒先からは宝相華文を透かし彫りした幡が垂れ、軒下には同文の帽額(もこう)と、八花形の鏡をはめ込んだ透かし彫りの花鬘(けまん)12枚が下がる。輿の四周にかけられた布は鎌倉時代の錦織で、当代の染織品がこれほどの姿で残る例はきわめて少ない。
建築、漆工、金工、染織。鎌倉時代初期の最高水準の技術が、本来の用途のまま一体となって現存する。中世の染織遺品の多くが断片としてしか伝わらないことを考えれば、この神輿の資料的な重みは明らかだろう。
見どころ
宝物館の照明の下でまず目に入るのは、屋上の鳳凰である。鳳凰は高貴な存在の乗り物を示す意匠で、神輿全体の格式を一目で示している。
近づいて漆面を見たい。金属粉を蒔いた地の上で、厚手に切られた貝が青や紫の光を返す。鎌倉時代の螺鈿は後世の繊細な薄貝細工に比べて貝が厚く、文様の輪郭がはっきりと力強い。立つ位置を少し変えるだけで光の色が変わる。
軒下を一周する12枚の花鬘には、それぞれ八花形の鏡がはめ込まれている。神道において鏡は神霊の依り代ともなるもので、単なる装飾以上の意味を帯びた部位である。
四周の錦は、800年を経て色こそ落ち着いているが、織りの組織は残っている。鎌倉幕府の成立とほぼ同時代の布地を、ガラス越しに間近で見られる機会は全国でも多くない。
同じ宝物館には、当宮が所有するもう一件の国宝「金銅透彫鞍金具」も収められている。嘉永元年(1848年)に応神天皇陵の陪塚である丸山古墳から出土した5世紀の馬具で、朝鮮半島からもたらされたものとされる。鎌倉の神輿と古墳時代の鞍金具、二件の国宝を同じ室内で見比べられる。
なお、この神輿が実際に担がれることは現在はない。毎年9月15日午後8時からの渡御の神事は、新調された神輿によって今も続けられている。
周辺情報
境内の奥、放生橋と呼ばれる急勾配の石造太鼓橋の先には、世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」(2019年登録)を構成する誉田御廟山古墳の濠と墳丘の森が広がる。陵墓のため立ち入りはできないが、橋上からの眺めは、墳丘に最も近づける場所のひとつである。かつての放生会では、この橋を神輿が越えて御陵へ渡ったと伝えられている。
周辺の古市地区には大小の古墳が密集し、徒歩でめぐる散策コースが整備されている。車で南へ足を延ばせば、安藤忠雄設計の大阪府立近つ飛鳥博物館があり、古墳時代の展示が充実している。誉田八幡宮へは近鉄南大阪線古市駅から徒歩約10分。大阪阿部野橋駅から古市駅までは約35分である。
Q&A
- 国宝の神輿は実際に見学できますか?
- 見学できます。宝物館は毎週土曜日の午後1時から4時まで開館しており、拝観料は400円です。社務所に申し出ると開けていただけます。土曜以外は閉館のため、日程に注意してください。
- この神輿は今も祭りで担がれていますか?
- 担がれていません。国宝の神輿は宝物館で保存されており、毎年9月15日夜の渡御の神事は新しい神輿で行われています。
- 源頼朝の寄進というのは確かな事実ですか?
- 社伝による伝承です。頼朝が建久7年(1196年)に社殿を修復した記録があり、神輿の寄進もその頃と伝えられていますが、確証のある史料が残っているわけではありません。様式の上では鎌倉時代初期の作とみて矛盾はないとされています。
- アクセス方法を教えてください。
- 近鉄南大阪線の古市駅から徒歩約10分です。大阪阿部野橋駅(天王寺)から古市駅までは準急などで約35分です。
基本情報
| 名称 | 塵地螺鈿金銅装神輿(ちりじらでんこんどうそうしんよ) |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(工芸品) 昭和31年(1956年)6月28日指定/旧国宝指定は大正4年(1915年)8月10日 |
| 員数・寸法 | 1基 総高214.5センチメートル |
| 時代 | 鎌倉時代(建久年中の源頼朝寄進と伝わる) |
| 所有者 | 誉田八幡宮 |
| 所在地 | 大阪府羽曳野市誉田3丁目2-8 |
| 公開状況 | 宝物館にて毎週土曜日13時〜16時公開 拝観料400円(社務所に申し出) |
| アクセス | 近鉄南大阪線「古市」駅から徒歩約10分 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)「塵地螺鈿金銅装神輿」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/480
- 誉田八幡宮公式サイト「国宝・重要文化財」
- https://kondahachimangu.com/information/treasure/
- 羽曳野市「国指定/登録文化財」
- https://www.city.habikino.lg.jp/soshiki/shougaigakushu/bunka-sekai/bunkazai_1/shiteibunkazai/2559.html
- WANDER 国宝「塵地螺鈿金銅装神輿[誉田八幡宮/大阪]」
- https://wanderkokuho.com/201-00480/
最終更新日: 2026.06.11