七人庄屋を務めた要家の屋敷
要家住宅(かなめけじゅうたく)は、大阪府貝塚市畠中2丁目にある旧岸和田藩の庄屋、要家の屋敷で、元文3年(1738年)建築の離れ書院をはじめとする江戸時代の建物と塀の計11件が、平成29年(2017年)6月28日に国の登録有形文化財となった。登録番号は27-0682から27-0692まで連続している。現在も個人が住まう家であり、敷地の中は公開されていない。
要家は中世の土豪の流れをくむ家とされる。江戸時代には畠中村の庄屋を代々務め、隣の神前(こうざき)村の庄屋も兼ねた。慶長5年(1600年)、当時岸和田を治めていた小出秀政は、要源太夫の所持高のうち100石分について役負担を免除する墨付を与えている。この特権は藩主が小出氏から松平氏、岡部氏へと替わったあとも引き継がれた。
家の格を決定づけたのは寛政元年(1789年)である。この年、要源太夫は岸和田藩の「七人庄屋」に加えられた。七人庄屋は、藩領の有力な庄屋7人が岸和田城内の郷会所に集まり、百余りの村々に関わる事柄をまとめて協議する仕組みで、各地の大庄屋のように担当地域を分け持つ制度とは性格が違う。以後、明治維新まで要家はこの一員として藩の村方行政に関わった。
村高だけを見れば、畠中村と神前村を合わせて520石余りで、同じ格付けに置かれた岸和田村や樽井村よりかなり小さい。貝塚市の解説は、その比較に続けて、要家には先の100石免除の特権が藩主の交代後も認められていたことを書き添えている。村の大きさとは別の物差しで家の格が測られていたことがうかがえる。
一辺約90メートルの屋敷構え
要家住宅の敷地は一辺がおよそ90メートルに及ぶ。周囲を本瓦葺の土塀が囲み、南側の中央に表長屋門が構える。なお方位の書き方は資料によって少しずれ、文化庁のデータベースは表長屋門を「敷地南面」とし、貝塚市の解説は「南東側の中央」とする。敷地の軸が東西南北から傾いているためと考えられる。
主屋は敷地のほぼ中央にある。主屋は登録された11件に含まれていない。その西(市の解説では南西)に接続するのが表書院、北側に建つのが離れ書院で、その東隣に内蔵がある。さらに北東寄りには唐戸蔵(かねのとぐら)、道蔵(みちぐら)、道具蔵の3棟が向き合い、コの字形の一画をつくる。
門の配置にも段階がある。表長屋門には表書院へ向かう表門と、主屋へ向かう台所門の2つの門口が開く。その背後にT字形に取り付くのが内長屋門で、表門から入った客の動線と、台所門から入る日常の動線とをここで分ける。表書院の西には中門が接続して表側と主庭を区切り、中門の西端からは庭門及び塀が北へ延びて、主庭と奥庭を分けている。
門を一つ抜けるたびに空間の性格が変わる。表の格式、主屋まわりの生活、庭の奥の私的な空間が、門と塀によって順に仕切られていく。個々の建物だけでなく、この仕切り方がそろって残っていることが要家住宅の価値の中心にある。
11件の登録と二つの基準
登録された11件は、表書院、離れ書院、内蔵、唐戸蔵、道蔵、道具蔵、表長屋門、内長屋門、中門、庭門及び塀、土塀である。建築年代がはっきりしているのは離れ書院の元文3年だけで、ほかは江戸時代中期から末期と幅をもって示されている。表書院・道蔵・道具蔵は平成に入ってから改修を受けている。
登録基準は二つに分かれる。表書院・離れ書院・表長屋門・内長屋門の4件は「造形の規範となっているもの」、残る7件は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録された。前者は建物単体の意匠や構成が手本になる質を持つもの、後者は屋敷全体の景観を形づくる一員として評価されたものである。
貝塚市は、主屋を除く主要な建物がいずれも江戸時代のもので、七人庄屋の屋敷の全体構成を知ることのできる点で歴史的な重要性がきわめて高いとしている。書院・蔵・門・塀という屋敷の部品が、一軒分まるごと同じ場所に残っている例は多くない。
藩主の御成と屋敷の格式
岸和田藩主は領内へ狩りなどに出かける道すがら、七人庄屋の屋敷に立ち寄って休息や食事をとることがあった。これを「御成(おなり)」と呼び、迎える家にとっては大きな名誉だった。要家に伝わる文書には、その記録が残る。
享保11年(1726年)の春には、数え15歳の藩主岡部長著が要家の泉水(庭の池)で釣りをし、一日に170匹のフナを釣り上げたと日記に記されている。その後も4月6日までに4回訪れ、フナのほかコイやウナギも釣ったという。
要家住宅の表側の建物は、この御成を前提に整えられている。表長屋門には御成のための居室が設けられ、表書院は藩主を迎える書院として間口の広い式台を備える。中門は藩主の御成に備えて設けられたと文化庁の解説は述べる。ただし表書院は長押を用いない簡素な意匠で、これは藩主が倹約を重んじたことに従ったものとされる。格式と倹約の両方が、同じ表構えの中に読み取れる。
見学とアクセス
要家住宅は個人の住まいで、建物の内部も敷地も一般には公開されていない。貝塚市や所有者による公開日の案内も見当たらない(2026年9月25日確認)。敷地の外から見られるのは、道に面した表長屋門と、敷地を囲む土塀が中心になる。門の中へ入ったり、塀越しに住まいをのぞき込んだりすることは控えたい。
最寄り駅は水間鉄道の貝塚市役所前駅で、要家住宅は駅の南西、直線でおよそ700メートルのところにある。南海本線の二色浜駅からは北東へ直線でおよそ900メートル。道なりに歩くと、どちらからも10分から15分ほどかかる。周辺は住宅地で、見学者向けの駐車場はない。
七人庄屋の屋敷の中を実際に見たい場合は、同じく七人庄屋を務めた熊取町の中家の住宅が公開施設になっている。要家住宅の塀と門を外から眺めたあとに訪ねると、庄屋屋敷の内側の様子を補って想像しやすい。
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)|要家住宅表書院
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011746
- 国指定文化財等データベース(文化庁)|要家住宅離れ書院
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011747
- 国指定文化財等データベース(文化庁)|要家住宅表長屋門
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011752
- 国指定文化財等データベース(文化庁)|要家住宅中門
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011754
- 貝塚市|要家住宅
- https://www.city.kaizuka.lg.jp/bunkazai/bunkazaidata/bunkazai/kuni_sitei/tourokubunkazai/kanamekejuutaku.html
- 貝塚市|テンプス62号 岸和田藩の七人庄屋
- https://www.city.kaizuka.lg.jp/bunkazai/kankobutsu/temps/tenpsitiran/29temps/62temps/temps62html/temps62_2page.html
- 貝塚市|テンプス62号 七人庄屋の格付けと藩主の御成り
- https://www.city.kaizuka.lg.jp/bunkazai/kankobutsu/temps/tenpsitiran/29temps/62temps/temps62html/temps62_3page.html
- 大阪府|熊取町域 周辺ポイントガイド(中家住宅)
- https://www.pref.osaka.lg.jp/documents/24928/spotguide_kumatori.pdf
最終更新日: 2026.09.25
基本情報
| 名称 | 要家住宅 |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府貝塚市畠中2丁目310他 |
| 所有者 | 個人 |
| 指定 | 登録有形文化財 11件 |
| 座標 | 34.43738, 135.35331 |