仁徳天皇を祀る猪飼野の氏神

御幸森天神宮は、大阪府大阪市生野区桃谷にある仁徳天皇を主祭神とする神社で、社伝では反正天皇2年(407年)に社が建てられたとされ、昭和5年(1930年)に造営された本殿・幣殿・拝殿・透塀の4件が平成12年(2000年)に国の登録有形文化財に登録された。社名は「みゆきもりてんじんぐう」と読み、かつての猪飼野村の氏神にあたる。鎮座地の住所は昭和48年(1973年)に桃谷と改められるまで、猪飼野の名を引き継いでいた。

御幸森天神宮の由緒によると、古代のこの一帯は猪甘津(いかいつ)と呼ばれた難波の入江の港で、猪の飼育にたずさわる人々が暮らしていた。『日本書紀』仁徳天皇14年の条に、猪甘津に橋を架けて小橋と名づけたという記事がある。社はこの橋を、社前を流れていた百済川(旧平野川)に架けられたもので、文献に現れる最古の橋だと説明している。

難波に都を置いた仁徳天皇は、鷹狩りに出たときや、東南の方角に住んでいた百済からの渡来人の暮らしを見に行く道すがら、たびたびこの森で休んだと伝わる。そこから「御幸の森(みゆきのもり)」の名が生まれ、天皇の没後、人々が森に社を建てて神霊を祀り、「御幸の祠」とも「御幸宮」とも呼んだという。

創祀の年は、現在の御幸森天神宮の公式サイトが反正天皇2年(407年)と記す一方、406年として紹介する資料も多く、どちらかに決める根拠は今回の調査では得られなかった。

「天神宮」の名と三柱の祭神

社の伝えでは、仁寿3年(853年)に天然痘が広がった際、社僧の大蔵院行綱が京都の五條天神社にこもって災いの退散を祈り、少彦名命の神霊を御幸森天神宮に迎えたところ、流行が収まったという。「天王天神社」「天神宮」という呼び名は、このころから用いられるようになったとされる。

三柱目の祭神である忍坂彦命は、もとは玉造の清水谷近くにあった天神社に祀られていた。その社は大坂夏の陣の戦火で焼け、当時大坂の城主だった松平忠明の娘の夢に再興を促すお告げがあったことから、元和2年(1616年)に御幸森天神宮へ合祀された。忠明はこのとき旧平野川の中洲の土地と灯明台を寄進しており、灯明台は1744年の修理を経て今も境内に置かれている。

昭和5年の社殿と登録された4件

御幸森天神宮の社殿の年表をたどると、1071年と1616年に建て直され、1268年、1716年、1867年にも改築が重ねられてきた。現在の社殿は昭和5年(1930年)の造営で、南の拝殿から幣殿、本殿が北へ一続きに連なり、拝殿の背後から延びる透塀が幣殿と本殿を囲む。

4件は平成12年(2000年)4月28日に同時に登録され、登録番号は27-0093から27-0096まで連番になっている。登録基準はいずれも「造形の規範となっているもの」である。文化庁は拝殿の解説のなかで、本殿・幣殿と一連の建築として、昭和初期に鎌倉時代の様式へ立ち返って建てられた神社建築の好例と位置づけている。

規模は拝殿が建築面積88平方メートル、幣殿が16平方メートル、本殿が15平方メートルで、透塀は延長32メートルに及ぶ。平成18年(2006年)には創祀千六百年の記念事業として屋根が葺き替えられた。

境内にはほかに、昭和27年(1952年)創建の御幸戎神社、文政13年(1830年)に伏見稲荷から迎えた稲荷神社、明治18年(1885年)建立の菅原神社の3つの境内社がある。昭和43年(1968年)に大阪市の保存樹木となった椋の木も、御幸森天神宮の境内を特徴づけている。

王仁の歌碑と一年の祭り

御幸森天神宮の境内には、百済から渡来した王仁が仁徳天皇の即位を祝って詠んだと伝わる「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の歌碑がある。日本と韓国・朝鮮の友好と共生が長く続くよう願って、平成21年(2009年)10月に建てられた。

年中行事は1月の歳旦祭・御幸戎祭(9日から11日)・とんど焼き、2月の厄除節分祭、4月16日の稲荷祭、7月の夏祭と続き、10月15日・16日の秋祭で一年の頂点を迎える。例大祭は10月16日の午前10時から本殿で執り行われ、神輿渡御の日取りは年によって公式サイトで案内される。

御幸森天神宮への行き方と参拝

御幸森天神宮の最寄り駅はJR大阪環状線の桃谷駅で、東へ歩いて約10分かかる。近鉄の鶴橋駅東口からも徒歩約10分、JRと大阪メトロ千日前線の鶴橋駅からは徒歩約15分である。大阪シティバスなら「御幸通り」停留所で降りてすぐの位置にある。

公式サイトに拝観料や開門・閉門の時刻の案内はない。お札・お守りの授与、御朱印、ご祈祷の受け付けは社務所で行っており、電話番号は06-6731-2816。御朱印はすべて書き置きの紙での授与で、通常のものが500円、月ごとなどの限定朱印が600円である。

御幸森天神宮は、神社は公園と違って私有地であると断ったうえで、学校の校外学習などで境内を集合場所にする場合は事前に連絡するよう求めている。50名以上の集合は受け付けておらず、大阪コリアタウンを中心に回る学校団体には近くの御幸森第二公園を使うよう案内している。平日の午前中は境内の清掃が行われている。

登録された本殿・幣殿・拝殿・透塀はいずれも祭祀に使われている社殿で、内部を見学のために公開するという案内は見当たらない。どこから見るとよいかは各棟のページにまとめた。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁):御幸森天神宮本殿
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001721
国指定文化財等データベース(文化庁):御幸森天神宮幣殿
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001722
国指定文化財等データベース(文化庁):御幸森天神宮拝殿
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001723
国指定文化財等データベース(文化庁):御幸森天神宮透塀
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001724
御幸森天神宮:由緒
https://miyukimori.net/history/
御幸森天神宮:有形文化財
https://miyukimori.net/assets/
御幸森天神宮:境内案内
https://miyukimori.net/guide/
御幸森天神宮:年間行事
https://miyukimori.net/ritual/
御幸森天神宮:秋祭・神輿渡御祭
https://miyukimori.net/ritual/68/
御幸森天神宮:御朱印
https://miyukimori.net/stamp/
御幸森天神宮:アクセス
https://miyukimori.net/access/
御幸森天神宮:フィールドワークなどをお考えの学校の方へ
https://miyukimori.net/1741/
大阪市生野区:生野区内の神社・寺
https://www.city.osaka.lg.jp/ikuno/page/0000000029.html

最終更新日: 2026.09.30

基本情報

名称御幸森天神宮
所在地大阪府大阪市生野区桃谷3-10-5
所有者宗教法人御幸森天神宮
指定登録有形文化財 4件
座標34.66037, 135.53457