紀州街道に構えた庄屋の屋敷

奥家住宅は、大阪府泉佐野市南中樫井にある江戸時代の豪農屋敷で、昭和44年(1969年)6月20日に国の重要文化財に指定された。読みは「おくけじゅうたく」。

指定の対象は一棟の建物ではなく、塀に囲まれた屋敷全体である。主屋、表門、土蔵、そして土塀と、それらが建つ敷地。敷地は東西約46メートル、南北最大42メートル、およそ524坪、1732平方メートル。街道に面した南側に白壁の土塀が続き、西南隅に表門が開く。

この街道が屋敷の性格を決めている。前面を通るのは大坂と和歌山を結ぶ紀州街道で、この区間は熊野へ向かう参詣路でもあった。泉佐野市南端部は大阪湾に接する位置にあり、奥家の屋敷は紀州藩の参勤交代が通る道筋に構えられている。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、この地で樫井の戦いが起きた。

奥家の先祖は樫井城主を務めた奥将監と伝わり、元和2年(1616年)に帰農して当地に定着したとされる。江戸時代以降は樫井村の庄屋を勤めた。屋敷の規模はこの家格に対応している。

各棟の年代と指定内容

屋敷内の建物はそれぞれ異なる年代を持ち、民家としては珍しく建立時期の根拠が揃っている。

主屋は享保12年(1727年)の建立。修理時の調査で鬼瓦の刻銘から判断された。前身建物の部材を転用しているため、材そのものはこれより古い部分を含む。この時に屋根が茅葺から本瓦葺に改められたとされる。背面の客室部は当初から存在したとみられ、小屋組に残る棟札から延享3年(1746年)の改築とされている。

表門は長屋門形式である。桁行10.1メートル、梁間3.0メートル、東端を入母屋造とし、西端は附属屋に接続する。附属屋は桁行10.8メートル、梁間5.0メートル、南端入母屋造、北端切妻造。いずれも総本瓦葺。附として塀一棟が指定に含まれる。

ここで台帳上の食い違いに触れておく。国指定文化財等データベースの「時代/年代」欄は表門を江戸中期(1661年から1750年)とするが、同じデータベースの解説文は表門を19世紀前半の建築と推定している。後者のほうが具体的で、後年の調査を反映したものと考えられるが、両者は整合していない。

東土蔵は棟札から明治3年(1870年)の建築と判明している。西土蔵はその西に接続し、取り合い部の状況から明らかに古く、19世紀初期と推定される。西土蔵は昭和44年の当初指定の後に追加されたものである。昭和46年(1971年)には国庫補助による修理事業が行われた。

主屋の間取りについても記述に差がある。文化庁は、泉南地域に特徴的なくい違い間取り、すなわち部屋の間仕切り柱をずらす手法を基本としつつ、規模が大きいため六間取りになっていると説明する。泉佐野市観光協会の案内は食い違い四間取りとし、民家研究の資料には喰い違い三間取りを基本とする記述もある。増改築が複数回行われているため、どの段階を読むかで説明が変わるものと考えられる。

訪ねる際に知っておきたいこと

先に書いておく。奥家住宅は資料館ではなく、常時の一般公開は行われていない。公開時間の設定も受付もなく、見学者向けの設備もない。訪問者にできるのは街道沿いから表門と白壁の土塀を眺めることで、じつはこの眺めこそが屋敷の性格を最もよく示している。指定にあたって屋敷の構成と景観が評価されたのも、この街道からの見え方を含めてのことである。

塀の内側については、地元の資料から様子をうかがい知ることができる。客を迎える式台玄関、二間続きの座敷、土間空間を支える巨大な棟持柱。敷地の一部には池と築山を備えた庭がある。かつてこの庭に「森御殿」と呼ばれた草葺の建物があり、京都の聖護院にゆかりを持ち修験者の休息に用いられたと伝えられる。

この由緒が屋敷をより広い文脈に置く。奥家住宅は日本遺産「葛城修験」の構成文化財に選ばれている。大阪・和歌山・奈良にまたがる葛城の峰々をたどる修験の道のうち、里の側の拠点として位置づけられたものである。関連する古文書が奥家に残されている。

現在の管理団体は泉佐野市である。ふるさと納税のガバメントクラウドファンディングを用いた再生プロジェクトも行われており、建物の状態も公開の扱いも今後変わりうる。

内部の見学を希望する場合は、泉佐野市教育委員会の文化財保護課、または泉佐野市観光協会(072-469-3131)に事前に問い合わせ、特別公開やガイドツアーの有無を確認してほしい。公共交通機関で直接向かうのは難しく、最寄り駅からタクシーか自動車を使うのが現実的である。周辺には嘉吉2年建立の本殿を持つ意賀美神社があり、国宝の多宝塔で知られる慈眼院も同じ泉佐野市内にある。

Q&A

Q奥家住宅は一般公開されていますか。見学できますか?
A常時の一般公開は行われておらず、公開時間や入場料の設定もありません。街道沿いから表門と白壁の土塀の外観を見ることはできます。内部の見学を希望する場合は、泉佐野市教育委員会文化財保護課または泉佐野市観光協会(072-469-3131)に事前に問い合わせてください。
Q奥家住宅はいつ建てられ、いつ重要文化財に指定されたのですか?
A主屋は享保12年(1727年)に前身建物の部材を用いて建てられ、客室部は延享3年(1746年)の改築とされます。表門は19世紀前半、東土蔵は明治3年(1870年)。重要文化財の指定は昭和44年(1969年)6月20日で、西土蔵は後に追加指定されました。
Q奥家住宅として指定されているのはどの範囲ですか?
A主屋、表門、土蔵、土塀といった建物と敷地です。表門は1棟として登録され、附として塀1棟が含まれます。屋敷の構成と景観そのものも評価の対象となっており、建物単体ではなく屋敷全体が守られています。
Q奥家住宅の奥家とはどのような家で、何が評価されたのですか?
A先祖は樫井城主の奥将監と伝わり、元和2年(1616年)に帰農して当地に定着したとされます。江戸時代以降は樫井村の庄屋を勤めました。泉南地方の古く大型の民家としての価値と、街道に面した屋敷景観が評価されています。
Q奥家住宅へのアクセスはどうなっていますか?
A所在地は泉佐野市南中樫井193番地、市の南端で大阪湾に近く、旧紀州街道・熊野街道に面しています。公共交通機関で直接向かうことは難しいため、最寄り駅からタクシーまたは自動車の利用が現実的です。

基本情報

名称奥家住宅(大阪府泉佐野市南中樫井)/おくけじゅうたく
所在地大阪府泉佐野市南中樫井193番地
指定区分重要文化財(建造物)/日本遺産「葛城修験」構成文化財
指定年昭和44年(1969年)6月20日(指定番号01730)
員数表門 1棟(附:塀 1棟)。主屋・土蔵・土塀は別途指定
寸法表門 桁行10.1m・梁間3.0m/附属屋 桁行10.8m・梁間5.0m/敷地約1732平方メートル
構造長屋門、東端入母屋造、西端附属屋に接続、総本瓦葺
所有者個人所有(管理団体:泉佐野市)
公開状況常時公開なし。外観のみ街道沿いから見学可。特別公開は市に要確認

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 奥家住宅 表門
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/2176
文化遺産オンライン 奥家住宅(大阪府泉佐野市南中樫井)主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/175412
文化遺産オンライン 奥家住宅(大阪府泉佐野市南中樫井)西土蔵
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/247165
文化庁 日本遺産ポータルサイト 奥家住宅
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/5294/
泉佐野市観光協会 奥家住宅(重要文化財)
https://www.kankou-izumisano.jp/50on/a/okukejutaku.html
泉佐野地域通訳案内士協会 奥家住宅
https://guide-izumisano.jp/gallery_jp/奥家住宅/

最終更新日: 2026.08.19

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