貝塚寺内町の北の入口に建つ町家

尾食家住宅主屋(おめしけじゅうたくしゅおく)は、大阪府貝塚市北町にある天保10年(1839年)建築の木造2階建の町家で、平成15年(2003年)3月18日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。瓦葺、建築面積は290平方メートル。貝塚寺内町の北の出入口にあたる「上方口(かみがたぐち)」の西側、北境川に接して建つ。

寺内町は、寺院を核として形成された自治的な町を指す。貝塚の場合その中心は浄土真宗の願泉寺で、天文24年(1555年)に石山本願寺から寺内として取り立てられて以降、堀と土居をめぐらせた町づくりが進んだ。慶長15年(1610年)、住職の卜半(ぼくはん)家は徳川家康から寺内諸役免許の黒印状を受け、以後明治維新まで、どの藩にも属さない領主として町を治めている。

その町の北の境で、上方から街道を下ってくる者を最初に迎える位置に、尾食家の主屋は建つ。

尾食家は代々旅籠屋と両替(金融)を営み、幕末から明治にかけては干鰯(ほしか)屋や木綿仲買にも手を広げた有力町人であった。干鰯は鰯を煮て絞り、干して固めた肥料で、和泉から紀伊にかけての綿作を支えた商品である。宿、金融、肥料。この三つが一軒の商いに重なっていた事実は、和泉南部の町の経済の骨格をそのまま示している。

「尾食」という姓については、紀州徳川家の当主が参勤交代の途次に当家で食事をとったことにちなむと伝わる。同時代の文書で裏付けられる話ではない。ただ、上方口という立地を思えば、大名行列が目の前を通る道筋であったことは動かない。

登録有形文化財という制度と、この建物の位置づけ

国宝や重要文化財が「指定」であるのに対し、尾食家住宅主屋は「登録」有形文化財である。両者は別の制度で、規制の強さも目的も異なる。指定は現状変更に許可を要する強い保護をかけ、対象を厳しく絞る。登録は届出制を基本とし、外観を大きく損なわない範囲であれば所有者が住み続け、必要な修繕を加えられる。近代以降の建物や、現に使われている町家を、使いながら残すための仕組みとして平成8年(1996年)に発足した。

尾食家住宅主屋の登録番号は27-0235。第36回登録として平成15年3月18日に登録され、同年4月8日に告示されている。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。単体の建築としての格式や完成度より、町並みの構成要素としての働きが評価されたということになる。

同じ敷地では、主屋の西に接続する「離れ」(登録番号27-0236)も同じ日に登録された。登録有形文化財は棟ごとに登録されるため、一つの屋敷でも棟数だけ登録件数が生じる。貝塚寺内町とその周辺では、並河家、山田家、利齋家、岡本家、宇野家、廣海家、吉村家、名加家、南川家、寺田家といった町家が同様に登録されており、尾食家住宅はその一角を占める。

北面の段違い破風と、切り取られた角

この建物の外観は、整っていない。そこが見どころである。

敷地はもともと北境川に沿っており、平面は長方形にならず台形になった。町の外から見付となる北側は入母屋造とし、破風を段違いに構える。二つの破風が高さをずらして重なるさまは、北から街道を歩いてくると正面に入ってくる。町の内側へ向けた顔ではなく、外へ向けた顔として造形されている。

東に開く正面には玄関戸が構えられ、2階には虫籠窓(むしこまど)が並ぶ。虫籠窓は太い格子を漆喰で塗り込めた窓で、上方の町家に広く見られる形式である。軒は出桁(だしげた)で持ち出し、通りに深い影を落とす。

そして、一角が三角形に欠けている。国指定文化財等データベースは、昭和16年(1941年)の道路拡幅により前面南側が三角に切り取られたと記す。一方、大阪府建築士会などが運営する大阪文化財ナビは、昭和6年(1931年)の国道26号線(現在の府道堺阪南線)開発時に東側が切り取られたとしており、年代と方位の双方で食い違う。どちらを採るにせよ、20世紀の道路整備が江戸期の町家の輪郭を削り取った事実は、建物の平面そのものに刻まれている。

台形の敷地、外向きの破風、欠けた角。三つの与件が重なって、この主屋の複雑な外観はできている。

訪ねるときに

南海本線貝塚駅の西出口から北へ徒歩5分ほど。寺内町の町並みは駅のすぐ西に広がり、感田神社、願泉寺(本堂ほかが重要文化財)、貝塚寺内町まちや館(旧田中家住宅主屋)などを一続きに歩ける範囲にある。

尾食家住宅は現在も個人の住宅であり、主屋・離れとも内部は公開されていない。見学は道路から外観を眺める形に限られる。生活の場であるから、敷地内に立ち入らず、窓や玄関にカメラを向けないでほしい。外観の撮影が禁じられているわけではないが、人が暮らす家であるという前提は常に働いている。

町並みを詳しく知りたい場合は、南海貝塚駅改札口前の「まちの駅かいづか(貝塚市観光案内所)」が貝塚観光ボランティアガイド協会の受付窓口になっている。感田神社から願泉寺、御坊の町並みをたどる約90分のコースが用意され、人数に応じた運営協力金が必要となる。申込方法や実施条件は事前に確認したい。

Q&A

Q尾食家住宅主屋の内部は見学できますか。拝観料はかかりますか。
A内部は公開されていません。現在も個人の住宅として使われており、拝観料の設定もありません。見学は道路上から外観を眺める形になります。敷地内への立ち入りはご遠慮ください。
Q尾食家住宅主屋はいつ建てられ、いつ文化財になりましたか。
A建築は天保10年(1839年)です。国の登録有形文化財(建造物)への登録は平成15年(2003年)3月18日、告示は同年4月8日で、第36回登録にあたります。登録番号は27-0235です。
Q尾食家住宅主屋の「登録有形文化財」は、国宝や重要文化財と何が違いますか。
A「指定」(国宝・重要文化財)が現状変更に許可を要する強い保護であるのに対し、「登録」は届出制を基本とする緩やかな保護制度です。所有者が住み続け、修繕を加えながら守っていくことを想定しています。尾食家住宅主屋は登録であり、指定ではありません。
Q尾食家住宅主屋へのアクセスと、あわせて歩ける文化財を教えてください。
A南海本線貝塚駅の西出口から徒歩5分ほどです。周辺には重要文化財の願泉寺、感田神社、公開施設の貝塚寺内町まちや館(旧田中家住宅主屋)があり、登録有形文化財の町家も多数残ります。駅前の観光案内所でボランティアガイドの申し込みができます。
Q尾食家住宅主屋の「尾食」という姓の由来は何ですか。
A紀州徳川家の当主が参勤交代の途中で当家に立ち寄り食事をとったことにちなむと伝わります。同時代史料による裏付けはなく、あくまで伝承として扱われています。読みは「おめし」です。

基本情報

名称尾食家住宅主屋(おめしけじゅうたくしゅおく)
所在地大阪府貝塚市北町38-19
指定区分国登録有形文化財(建造物)/登録番号 27-0235/第36回登録
指定年平成15年(2003年)3月18日登録、同年4月8日告示
員数1棟
寸法木造2階建、瓦葺、建築面積290平方メートル
所有者個人(国指定文化財等データベースに所有者名の記載なし)
公開状況非公開。外観のみ道路から見学可

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 尾食家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00003290
大阪文化財ナビ — 尾食家住宅主屋
https://osaka-bunkazainavi.org/bunkazai/尾食家住宅主屋
一般社団法人貝塚寺内町保存活用事業団 — 寺内町に残る町家
https://jinaicho.org/machiya/
一般社団法人貝塚寺内町保存活用事業団 — 貝塚寺内町のなりたち
https://jinaicho.org/history/
貝塚市 — テンプス46号 2ページ(貝塚寺内周辺登録文化財地図)
https://www.city.kaizuka.lg.jp/bunkazai/kankobutsu/temps/tenpsitiran/23tenps/tenp46/tenp46html/tenp46_2.html

最終更新日: 2026.08.13