水晶を据えた革帯
帯の中央には、指先ほどの大きさの半球状の水晶がはめ込まれている。透明な石の下には朱の彩色が施され、内側からほのかな光を含むように見える。その水晶を囲んで、銀めっきを施した銅製の四角い飾り金具が十五個ならび、表面には騎馬の狩人や鹿、鴛鴦が浮き彫りにされている。これが国宝「銀装革帯(ぎんそうかくたい)」である。平安時代の貴族が正装の際に締めた革製の帯で、大阪府藤井寺市の道明寺天満宮に納められている。
このような帯は石帯(せきたい)と呼ばれ、束帯すなわち平安貴族の最も格式の高い装束に合わせて用いられた。帯に付ける飾り金具の数や形、材質は着用者の位階を表す約束ごとであり、石や玉、角のほか、本品のように金属を用いた例もある。帯はかなり長く、余った部分を背中に回して帯の下を通し、後ろに垂らすのが束帯の着こなしであった。
制作年代は平安時代とされ、意匠は中国・唐時代の様式にもとづく。金具そのものが九世紀ごろに唐で作られたとする見方もある。本品は、菅原道真の遺品と伝えられる六点の品のうちの一点として今日まで受け継がれてきた。
左遷された右大臣の遺品
菅原道真(八四五〜九〇三)は、学者として頭角を現し、宇多・醍醐両帝の信任を得て右大臣にまで昇った人物である。しかし政敵の策謀により、昌泰四年(九〇一)に大宰権帥へ左遷され、二年後、都から遠く離れた大宰府で世を去った。
その死後、京では落雷や疫病、要人の相次ぐ死が起こり、これらは道真の怨霊のしわざと受け止められた。霊を鎮めるために北野や大宰府に天満宮が建てられ、不遇のうちに没した政治家は、やがて学問の神「天神」として広く信仰を集めるようになる。
言い伝えによれば、道真は没する前、自らの遺品を伯母の覚寿尼(かくじゅに)のもとへ届けるよう遺言したという。覚寿尼は道真の母方とつながる土師氏の氏寺、土師寺に身を寄せた尼であった。土師寺はのちに道明寺となり、品々は隣接する道明寺天満宮へと受け継がれた。六点は「伝菅公遺品(でんかんこういひん)」と総称される。冠する「伝」の一字が示すとおり、これらが道真自身の所持品であったという確かな証拠はない。ただし、いずれも平安前期またはそれ以前の真作であり、なかには奈良・正倉院の宝物のほかに類例を見ない品も含まれている。
本品は昭和二十六年(一九五一)に重要文化財に指定され、昭和二十八年(一九五三)に国宝へと格上げされた。残る五点も同じく国宝で、唐の窯で焼かれた青白磁の円硯、象牙の笏、玳瑁と象牙の櫛、犀角の柄を持つ刀子、そして中国の琴の名手伯牙を表した銅鏡がそろう。
十五個の巡方を読む
近づいて見ると、この帯は細部に多くの見どころを残している。銀めっきの金具は表面いちめんに細かな粒を打ち出した魚子地(ななこじ)で覆われ、光を受けて金属が粒だって輝く。その地のうえに、小さな狩猟の場面が浮き彫りで表されている。
図様は三つの組に分かれる。十五個の巡方のうち五個は、馬上で弓を引く狩人に鴛鴦一対を添える。四個は鹿一対と鴛鴦一対を組み合わせる。残る六個は鴛鴦一対に鹿一匹を配する。鴛鴦は夫婦の睦まじさを示す吉祥の鳥であり、騎馬狩猟は唐代の金工が好んだ画題であった。その意匠は、この帯を八、九世紀の国際色ゆたかな美意識のなかに位置づけている。
鉸具(かこ、留め金)と鉈尾(だび、帯先の金具)にも同じ装飾がほどこされ、鉸具を留める三か所の孔にも猪目形(いのめがた)の飾り金具が添えられている。各巡方は縦三センチ弱、横六センチ弱と小ぶりである。革は古び、銀の金具にも欠けが見られるが、その傷みがかえって、かつて生身の人が身につけた品であるという実感を呼び起こす。
道明寺天満宮とその周辺
道明寺天満宮は、近鉄南大阪線の道明寺駅から西へ徒歩三分のところにある。その歴史は千年以上をさかのぼり、古墳を取り巻く埴輪を作ったとされる工人集団、土師氏に起源を持つ。境内には埴輪を焼いた登り窯の復元や、古墳の巨石を運んだ木製のそり「修羅」のレプリカが置かれている。土師氏の祖とされる野見宿禰は相撲の祖としても知られ、境内には土俵も設けられている。
道路を隔てた向かいには、かつて神宮寺であった道明寺がある。本堂には道真の作と伝わるもう一点の国宝、十一面観音菩薩立像が安置され、毎月の開帳日に拝観できる。天満宮そのものは梅の名所として親しまれ、約八百本の梅が二月から三月にかけて境内を彩る。
周辺一帯は、巨大な天皇陵が点在する地でもある。藤井寺市は、二〇一九年に世界遺産へ登録された百舌鳥・古市古墳群のうち古市エリアに含まれ、四〜五世紀に築かれた前方後円墳が住宅地のあいだに横たわる。参拝のあとに、近くの大きな古墳まで足をのばすのもよい。
Q&A
- 実物の帯を見ることはできますか。
- 宝物館が開く限られた日にかぎり拝観できます。例年、一月一日から三日、一月二十五日、二月二十五日、二月下旬から三月上旬の梅まつり期間の土日祝、春の祭事の日などです。日によっては六点の国宝のうち三点のみの公開となるため、銀装革帯が目当ての場合は事前に電話で確認することをおすすめします。館内は撮影禁止です。
- 本当に菅原道真の持ち物だったのですか。
- 道真との結びつきは言い伝えであり、文献で確かめられた事実ではありません。そのため遺品には「伝」の字が付されています。この帯が道真自身の所持品であった証拠はありませんが、平安前期または唐代の真作であること、長く道真の遺品として社に守られてきたことは確かです。
- この帯は何に用いられたものですか。
- 石帯は、平安貴族の正装である束帯に合わせて締める帯です。帯に付く飾り金具は位階を示すしるしで、石や玉、角、あるいは本品のように銀めっきの金属で作られました。帯はわざと長く作られ、余りは背中側に回して始末します。
- 周辺で他に見るべきものはありますか。
- 道路向かいの道明寺には国宝の十一面観音立像があります。一帯は世界遺産の巨大古墳群、古市古墳群の一部で、天満宮の梅園も大阪有数の規模を誇ります。
- いつ訪れるのがよいですか。
- 梅が咲き、宝物館も祭事の土日祝に開く二月下旬から三月が、境内と宝物を一度に味わえる時期です。道真の誕生日と命日がともに二十五日にあたるため、毎月二十五日はこの社にとって特別な日とされています。
基本情報
| 名称 | 銀装革帯(ぎんそうかくたい) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府藤井寺市道明寺一丁目十六番四十号 道明寺天満宮 |
| 指定区分 | 国宝(工芸品)。昭和二十六年六月九日重要文化財指定、昭和二十八年三月三十一日国宝指定 |
| 時代 | 平安時代、唐時代の様式による |
| 員数 | 一面(巡方十五個を着装) |
| 寸法 | 巡方は縦三・〇センチ弱、横六・〇センチ弱 |
| 所有者 | 道明寺天満宮 |
| 公開状況 | 宝物館の限られた拝観日のみ公開、館内撮影禁止。訪問前に電話で日程の確認を推奨 |
| 交通 | 近鉄南大阪線・道明寺駅より徒歩約三分 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース 銀装革帯
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/399
- 藤井寺市 道明寺天満宮と国宝伝菅公遺品
- https://www.city.fujiidera.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/fuziiderasinositeibunnkazai/kunifusiteibunkazai/1387694428536.html
- 世界遺産 百舌鳥・古市古墳群
- https://www.mozu-furuichi.jp/jp/visit/access.html
最終更新日: 2026.06.12