井上真改、円熟期の一刀

刃長は七十センチに少し足りない。差表には「井上真改」の四字、差裏には十六弁の菊紋と年紀が切られている。年紀は四を「二二」と記す古い書き方によるもので、延宝二二年すなわち延宝四年(一六七六年)八月を指す。

作者の井上真改は、寛永七年(一六三〇年)、日向国木花村木崎に初代和泉守国貞の次男として生まれた。本名を八郎兵衛良次という。九歳のとき、京都にいた父のもとへ赴いて作刀を学び始め、生涯のほとんどを大坂で過ごした。この刀を鍛えたころには、すでに技量が頂点に達していた。国指定文化財等データベースの解説も、本刀を「最も円熟した時期の作」と記している。

真改は生涯の大半を、父から継いだ「国貞」の銘で過ごした。「真改」と改めたのは寛文十二年(一六七二年)八月のことで、その改銘の経緯には、彼という職人の人となりがうかがえる。

朝廷より菊紋を許された刀工

真改が活動したのは、大坂の刀づくりがもっとも盛んだった時期にあたる。物資と人が行き交う町には金も趣味もそろい、求められたのは陰惨な刀ではなく、明るく冴えた華やかな刀だった。なかでも頭ひとつ抜けていたのが、津田越前守助広と、この刀をつくった真改である。鑑識家はこの二人を大坂新刀の双璧と並べ称し、真改の評価は高まって、ついには鎌倉の名工になぞらえて「大坂正宗」と呼ばれるまでになった。

真改を他と分けた逸話が二つある。ひとつは万治四年(一六六一年)、朝廷に刀を献上して賞賛され、その褒賞として十六弁の菊花紋を茎に切ることを許されたことである。この特権を得た刀工は、いずれの時代にもごく少ない。本刀の差裏に切られた菊紋は、その許しのしるしである。

もうひとつが改名の経緯である。真改は陽明学を修めていた。儒者の熊沢蕃山から、刀鍛冶が一国の太守を名乗る「和泉守」を称するのは身分不相応ではないかと諭され、その忠告を受け入れて受領名をあらため、蕃山の命名で「真改」と号したと伝わる。以後の真改は、藩主の許しがなければ注文を引き受けられない御止め鍛冶となった。そのため真改銘の作は数が少なく、本刀のように銘と年紀の入った一振は貴重とされる。

地鉄と刃文を見る

姿は鎬造、庵棟、反りは浅く、中鋒に結ぶ。輪郭そのものは静かで均衡がとれており、見どころは外形にはない。地鉄と刃の面にある。

後世の収集家がなにより高く買ったのは、真改の地鉄の冴えだった。本刀の鍛えは板目肌がよくつんで密に整い、地沸が細かくついて、地景と呼ばれる黒い線が織り込まれる。光にかざすと、この地鉄は青く澄んだ色合いに映る。真改の作を新刀最上作のなかでも別格と評した人々が念頭に置いていたのは、この質感である。

刃文は広い。直刃調にはじまり、浅く湾れて、互の目を交える。匂は深く、その上に小沸が明るく冴えてつく。焼刃のなかには金筋と呼ばれる長い沸の筋が、遠い稲妻のように走る。立ち止まってゆっくり眺めるほど見えてくる、働きの多い刃である。帽子は直ぐに小丸へ返り、先で掃きかける。

茎は磨上げのない生ぶのままで、先は栗尻、鑢目は筋違、化粧鑢がつく。目釘孔はひとつ。差表の目釘孔の下、棟寄りに四字銘が切られ、差裏に年紀がある。古い刀の多くは時代を下るうちに磨り上げられて寸を詰められたが、本刀は当初の姿と銘をそのまま残している点で価値が高い。

真改の作はどこで見られるか

本刀は個人の所蔵で、常設展示はされていない。ただし折にふれて公開されることがある。たとえば令和七年(二〇二五年)春には、全日本刀匠会五十周年を記念する大規模な展覧会の一環として、大阪で公開された。実物の前に立ちたい人は、固定された展示室を当てにするより、主要館の特別展・企画展の予定を追うとよい。

真改の意義を理解する場としては、やはり大坂の地が最も近い。大阪城に隣接する大阪歴史博物館は刀剣を収蔵し、特別展示で大坂新刀の作を出品することがある。この一派の刀づくりの中心地はこの町であり、大坂物を複数まとめて見ると、彼らが目指した明るく冴えた地刃の性格がつかみやすくなる。

所在の定まった真改をもう一振見たい場合は、大坂を離れる道がある。同じく重要文化財の太刀一口が、延宝六年(一六七八年)に岡山藩主池田綱政によって吉備津彦神社に奉納され、現在は岡山県立博物館に保管されている。岡山での鑑賞と大坂での刀剣展を組み合わせると、この刀工の像がより立体的に結べる。

Q&A

Qなぜ井上真改は「大坂正宗」と呼ばれるのですか。
A鎌倉時代の名工正宗は、地刃に現れる沸の働きで一つの基準を打ち立てました。真改の沸の出来と地鉄の冴えが、その正宗になぞらえてよいほど高く評価されたため、古い名工の名を借りて呼ばれるようになりました。
Q茎の菊紋には、どんな意味がありますか。
A十六弁の菊花紋です。真改は万治四年に朝廷へ刀を献上し、その褒賞としてこの紋を切ることを許されました。これを得た刀工はごく少なく、朝廷の認知と作者の格を示す印となっています。
Q年紀が「四」ではなく「二二」と書かれているのはなぜですか。
A四を二と二に分けて記す古い書き方によるものです。したがって「延宝二二年」は延宝四年、すなわち一六七六年を意味します。この表記はこの時期の刀にしばしば見られます。
Q「真改」銘の刀は珍しいのですか。
A比較的珍しいといえます。寛文十二年に改銘して以後の真改は、藩主の許しがなければ注文を受けられない御止め鍛冶となり、作刀の数が限られました。そのため、銘と年紀の入った本刀のような一振は珍重されます。
Qこの刀そのものを博物館で見ることはできますか。
A個人蔵のため、常設では見られません。二〇二五年の大阪での公開のように、特別展で折にふれて出品されることがあります。確実に真改を見たい場合は、岡山県立博物館に保管される太刀のほうが見学先として確実です。

基本情報

名称刀〈銘井上真改/延宝四年八月日〉
区分工芸品(刀剣)・重要文化財
指定年月日昭和三十二年(一九五七年)二月十九日/指定番号 01798
年代延宝四年(一六七六年)八月
作者井上真改(二代和泉守国貞)
員数一口
寸法身長69.7cm/反り1.8cm/元幅3.2cm/先幅2.2cm/茎長21.5cm
品質・形状鎬造、庵棟、反り浅く中鋒。板目肌つみ、地沸つき地景入る。刃文は直刃調に浅く湾れ互の目交じり、匂深く小沸明るく冴え、長く金筋かかる。帽子直ぐに小丸。茎は生ぶ、先栗尻、鑢目筋違、化粧鑢、目釘孔一
表:井上真改(四字銘)/裏:菊紋・年紀
所在地大阪府
所有者個人
公開状況常設展示なし。特別展等で折にふれ公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)|刀〈銘井上真改/延宝四年八月日〉
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/6592
文化遺産オンライン(国立文化財機構)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/154648
井上真改|大阪刀剣ワールド
https://www.osaka-touken-world.jp/osaka-sword/inoue-shinkai/
井上真改|名刀幻想辞典
https://meitou.info/index.php/井上真改

最終更新日: 2026.06.14