大阪に受け継がれた無銘の一刀と来国行
大阪府内の個人のもとに、茎(なかご)に銘を持たない一口の刀がある。銘はないものの、古来の鑑定によって山城(現在の京都府南部)の名工・来国行の作と極められてきた刀で、文化庁は昭和36年(1961年)6月30日、これを重要文化財に指定した。指定上の記載は簡潔で、鎌倉時代の作、作者は伝国行とされている。
来国行は、鎌倉時代中期に山城で勢力を伸ばした来派を率いた刀工である。京の作刀は古くから粟田口派と来派の二つの流れが並び立ったが、鎌倉中期以降は来派が優勢となっていった。来派の名目上の祖は国吉とされるが、在銘の確実な作が現存しないため、その子である国行が事実上の開祖とみなされている。国行の活躍期は康元(1256年から1257年)頃とする説が通説で、その子とされる国俊に弘安元年(1278年)の年紀作があることが、父の作刀期を推し量る手がかりとなっている。
無銘の刀が名工の名を負う理由
銘がないのに、なぜ作者が分かるのか。これは古名刀を見るときに必ず生じる問いである。答えは、現存する古刀の多くがたどった二つの経緯にある。
国行が活躍したのは太刀の時代であった。太刀は刃を下に向け、腰から吊るして佩く長大な刀で、騎馬の戦いに用いられた。時代が下り、徒歩の戦いや装いの変化とともに、刃を上にして腰に差す打刀が日常の得物となると、優れた古太刀の多くが新しい様式に合わせて磨上げられた。磨上げは茎を切り詰める作業を伴うため、茎の根もとに刻まれていた作者の銘は、その過程で失われることが多かった。初期の名工の作に無銘の刀が数多く伝わるのは、こうした事情による。
銘を失った刀に向き合うとき、鑑定者は地鉄や刃文、姿、鋒(きっさき)の形といった鉄そのものの特徴を読み解く。これらには刀工や流派ごとの癖が宿っており、国行の手とみられる刀は「無銘、伝国行」として記録される。極めはあくまで慎重な判断であって絶対の確証ではなく、専門家は、京の来国行と大和の当麻国行との区別が難しい場合があることも率直に指摘している。当麻国行は、もとは来派で学んだのち大和の当麻に移り住んだと伝えられる刀工である。
地鉄と刃文に見る来国行の見どころ
来国行には、身幅が広く堂々とした姿の作と、細身で優美な姿の作という二様の作風が知られている。いずれにあっても、鑑賞者が目を留めるべき要点は共通している。
地鉄は小板目がよく詰み、潤いのある澄んだ肌合いを見せる。これが来派の身上であった。刃文は焼幅の広い直刃を基調とし、そこに丁子や小乱(こみだれ)を交え、刃中にこまやかな働きが入る。来派の刀には、刃文の上に淡く雲のような映り(うつり)が立つものも多い。帽子は小丸に静かに返るものが目立つ。
その評価は、指定品の数によく表れている。国行の認められた作には、国宝1口、重要文化財およそ15口、さらに重要美術品が加わり、これは時代を問わず屈指の数である。唯一の国宝は「明石国行」と呼ばれる太刀で、かつて所持した明石松平家にちなむ。樋の中に三鈷剣(さんこけん)の浮彫を施した珍しい一口で、国行の作には棒樋以外の彫刻がまれであることから、この太刀はとりわけ異彩を放っている。
来国行の作に出会える場所
大阪のこの刀は個人の所有で、一般に公開されていないため、訪ねて目にすることはできない。国行の作と向き合いたい人には、明確な代わりがある。唯一の国宝である太刀「明石国行」は日本美術刀剣保存協会の所蔵で、同協会の刀剣博物館(東京)で公開されている。
刀剣博物館は、墨田区両国の旧安田庭園内にあり、JR両国駅から歩いてほど近く、国技館にも隣接する。展示は定期的に入れ替わるため、明石国行が常時出ているとは限らない。訪れる前に、その時々の展示内容を確認しておきたい。周辺は徒歩での半日散策に向き、庭園や近隣の博物館、隅田川の眺めもあわせて楽しめる。
来派の作をさらに見たいなら、名古屋の徳川美術館が尾張徳川家の婚礼調度のなかに在銘の国行の太刀を蔵し、東京国立博物館も国行とその後継者の刀を入れ替えながら日本刀の展示室で公開している。来派の作を続けて見ることが、大阪の刀が国行と極められた理由を理解する近道になる。
Q&A
- この刀を実際に見ることはできますか。
- できません。本品は大阪府内の個人が所有しており、一般には公開されていません。同じ作者の刀を見たい場合は、国宝の太刀「明石国行」を所蔵する東京の刀剣博物館を訪ねるとよいでしょう。
- 銘がないのに、なぜ国行の作と分かるのですか。
- 確証があるわけではありません。この刀はもと太刀で、のちに打刀へ磨上げられた際に茎の下部と銘が失われたとみられます。専門家が地鉄や刃文、姿から国行の作と極めたため、記録は「無銘、伝国行」となっています。
- 来国行とはどのような刀工ですか。
- 鎌倉時代中期に京で活躍した名工で、来派の事実上の開祖です。指定品には国宝1口、重要文化財およそ15口が含まれます。
- 太刀と刀(打刀)はどう違うのですか。
- 太刀は古い形式で、刃を下にして腰から吊るして佩き、騎馬戦に用いられました。打刀は刃を上にして腰に差します。中世後期以降、多くの太刀が打刀として用いるために磨上げられました。鎌倉時代の本品が刀に分類されるのも、この経緯によります。
- 来派の刀はほかにどこで見られますか。
- 名古屋の徳川美術館に在銘の国行の太刀があり、東京国立博物館でも来派の刀が随時公開されています。まずは東京の刀剣博物館を起点にするのがおすすめです。
基本データ
| 名称 | 刀〈無銘伝国行〉(かたな むめいでんくにゆき) |
|---|---|
| 指定区分 | 重要文化財(工芸品・刀剣) |
| 指定年月日 | 昭和36年(1961年)6月30日 |
| 時代 | 鎌倉時代(1185年から1333年) |
| 伝来の作者 | 来国行(伝) |
| 員数 | 1口 |
| 所在地 | 大阪府 |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 非公開 |
References
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/6650
- 来国行 著名刀工・刀匠名鑑(刀剣ワールド)
- https://www.touken-world.jp/sword-artisan-directory/rai-kuniyuki/
- 刀剣博物館(日本美術刀剣保存協会)
- https://www.touken.or.jp/museum/
- 国宝 太刀 銘 国行(明石国行)(WANDER 国宝)
- https://wanderkokuho.com/201-00388/
最終更新日: 2026.06.14