日向時代の堀川国広、天正十四年の年紀作
茎(なかご)には「天正十四年八月日」の年紀が切られている。西暦でいえば一五八六年にあたる。年紀と並んで刻まれた銘は「日州古屋住国広作」。日向国(ひゅうがのくに)の古屋に住む国広が鍛えた、という意味である。種別は脇指、武士が打刀と組にして腰に帯びた短い方の刀で、のちに新刀の祖と称される刀工の、もっとも早い時期の年紀作の一つにあたる。
日州とは日向国の別名で、現在の宮崎県南部、九州の東岸を指す。国広は綾(あや)の地に生まれ、飫肥城(おびじょう)を本拠とした伊東氏に仕えたとされる。天正五年(一五七七年)、伊東氏が薩摩の島津氏に敗れて没落すると、刀工は主家を失って各地を流浪し、一時は山伏として山岳修行に身を置きながら鍛刀を続けたと伝えられる。
この不安定な日向時代に切られた銘の作を、刀剣の世界では古屋打ち(ふるやうち)と呼ぶ。本作もその一群に属する。国広の名を高めた代表作よりも四年早い時期の作であり、後年の作風に至る前の、形成途上の手を見られる点に意味がある。
重要文化財としての価値
本作は昭和三十年(一九五五年)二月二日に重要文化財へ指定された。その価値は、新刀史上の重要な刀工について、明確な年紀のある一点を残している点にある。国広といえば、晩年に京都の一条堀川に居を構え、信濃守を受領し、堀川派と呼ばれる一門を率いたことで知られる。この時期の堀川打ちは、鎌倉期の相州伝に範をとった作風で、多くの門人を育てた。
古屋打ちはそれより前の段階の作である。鍛えには板目肌(いためはだ)が強く現れ、刃文は湾れ(のたれ)に互の目(ぐのめ)の刃が交じる。その性格は、晩年の洗練された京風よりも、末相州物や末関物に近い。一五八六年の年紀作を一六〇七年の年紀作と並べて見ると、この刀工が国土の上でも、また技の上でも、どれほどの道のりを歩んだかをたどることができる。
銘そのものにも重みがある。国・地名・年・月を記すことで、国広は長く移動の多かった生涯の年代を整理するための、確かな基準点を後世の研究者に残した。重要文化財に指定された国広作は数点を数えるが、年紀のある一点一点が、ほかの作の位置づけを定める手がかりになる。
見どころ
日本刀はゆっくり眺めるほどに応えてくれる。やわらかな光の下で数度傾けると、鋼の地肌が動き出す。折り返し鍛えた地金の文様である地肌(じはだ)と、焼き入れによって生じた刃境の白い帯、すなわち刃文(はもん)である。古屋期の国広では、まずこの板目の地肌の動きと、機械的な反復に陥らずに起伏する刃文に目がいく。
刀のもう半分は、柄(つか)の内に収まる磨き残しの部分、茎(なかご)である。銘が刻まれるのもここで、鑑定家は鑢目(やすりめ)、茎尻の形、銘字の切り方を読んで作者の手を確かめる。本作では、日向・古屋・国広、そして年紀を記した長い在銘が、鋼を一人の人物と特定の年に結びつける文書の役割を果たす。
円熟期の京の作と並べると、本作はまだ自らの作風を探る途上の刀工の姿を見せる。完成へ向かう途中の名工の手応えこそが、早い時期の年紀作が刀剣を学ぶ者に珍重される理由の一つである。
国広の作に会える場所
この脇指は個人の所蔵で、常時公開はされていない。そのため、本作を目当てに訪問を計画することは難しい。国広の鋼を実際に見たい人には、ほかに良い選択肢があり、その代表作のいくつかは年に何度か拝観できる。
最も名高い作は、天正十八年(一五九〇年)に足利学校で長尾顕長のために鍛えた「山姥切(やまんばぎり)」で、栃木県の足利市民文化財団が管理し、特別展などで公開される。加藤清正が所持したと伝わる「加藤国広」は、東京都心の三井記念美術館の所蔵である。豊臣秀頼が慶長十二年(一六〇七年)に奉納した一振は、京都の北野天満宮に納められている。刀工の業(わざ)の全体像をつかむなら、東京・墨田区の刀剣博物館(日本美術刀剣保存協会)が出発点として適している。
国広の原点をたどるなら、宮崎県綾町には田中家の鍛刀地跡が残り、刀工を顕彰する石碑がその風土の中に建てられている。
Q&A
- 脇指と刀(打刀)はどう違うのですか。
- どちらも反りのある片刃の刀剣です。打刀のほうが長く、脇指は短く、両者を組にして腰に帯びました。この二本を差すことが武士の身分の印でした。
- 国広とはどのような刀工ですか。
- 日向国出身の刀工で、のちに京都で鍛刀し、慶長十九年(一六一四年)に八十代で没したとされます。後世の刀剣書は彼を新刀の祖と位置づけ、桃山から江戸初期を代表する名工に数えています。
- 銘にはどんな意味がありますか。
- 「日州古屋住国広作」は、日向国の古屋に住む国広が作った、という意味です。続く「天正十四年八月日」は一五八六年にあたります。古屋はこの時期に国広が鍛刀した日向の地名です。
- この脇指は博物館で見られますか。
- 見られません。個人所蔵で常設公開されていないためです。国広の作を間近で見るなら、東京の三井記念美術館、京都の北野天満宮、あるいは栃木で行われる山姥切の特別展などが選択肢になります。
- 早い時期の作がなぜ重視されるのですか。
- 年紀と銘のある作が代表作以前の時期に残っていると、作風の変化を時間に沿ってたどれるからです。この一五八六年の脇指は、山姥切の四年前、京の作よりさらに前にあたり、長い生涯の初期を示します。
基本データ
| 名称 | 脇指〈銘日州古屋住国広作/天正十四年八月日〉 |
|---|---|
| 作者 | 国広(堀川国広) |
| 制作年 | 天正十四年(一五八六年)、桃山時代 |
| 種別 | 工芸品(刀剣) |
| 員数 | 一口 |
| 指定区分 | 重要文化財(昭和三十年二月二日指定) |
| 所在地 | 大阪府 |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 常時公開なし |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/6544
- 堀川国広(刀剣ワールド)
- https://www.touken-world.jp/sword-artisan-directory/horikawa-kunihiro/
- 堀川一門(刀剣ワールド)
- https://www.touken-world.jp/tips/15140/
- 国広(名刀幻想辞典)
- https://meitou.info/index.php/国広
最終更新日: 2026.06.14