佐賀にただ一つ残る田楽
毎年十月十八日と十九日、佐賀市久保泉町川久保の白鬚神社の境内に、ビンザサラの乾いた音と腰につけた太鼓の響きが満ちる。ここで奉納される芸能が田楽である。県内に現存する田楽はこれ一つきりで、平成十二年(二〇〇〇)十二月二十七日、国の重要無形民俗文化財に指定された。
田楽は古い芸能である。平安時代、田植えの折に笛や鼓を奏でながら歌い舞ったものがしだいに形を整え、専業の芸能者が神社仏閣で演じるようになったと考えられている。その多くは早くに姿を消した。白鬚神社で続いてきたのは、子どもたちが担い手となる田楽で、幼児から少年が舞いの中心を務める。地元ではこれを「稚児田楽」とも呼ぶ。大人が受け持つのは笛のみである。
舞台らしい舞台はない。社殿の前に青竹で四角く囲いを組んだ「玉垣」を設え、その中に茣蓙を敷く。狭いその場所で、およそ一時間半をかけ、六つの演目がゆっくりと進んでいく。
神社を開いた十九の家
白鬚神社は、近江国(現在の滋賀県)から白鬚大明神の分霊を奉じて移り住んだ人々によって創建されたと伝えられている。令和六年(二〇二四)の祭礼を報じた佐賀新聞は、この年に鎮座一四五〇年を迎えたと記しており、六世紀後半の創建ということになる。
創建にかかわったのは十九の家だったと伝わる。移り住んだ人々は神社の周囲に居を構え、代々「〇〇丸」という名を称した。これらの家は「丸持ちの家」と呼ばれ、地区の草分けとしての誇りを保ち、白鬚神社の祭を先祖の祭とあわせて行った。これが「丸祭り」である。田楽は長くこの丸祭りに付随して演じられてきたといわれる。現在は丸祭りとは切り離され、神社の氏子総代を中心とする白鬚神社の田楽保存会が執り行っている。
文献上の手がかりは乏しい。文化庁のデータベースは、現在確認できる最も古い記録として、享保十九年(一七三四)建立の鳥居に刻まれた「時奏村田楽」の銘文を挙げている。地元の資料はこれより早く、寛文五年(一六六五)に編まれた地誌に田楽の名が見えるとする。いずれにしても、十八世紀にはすでに長く根づいた行事であり、その起源がどこまでさかのぼるかは明らかでない。
なぜ国の重要文化財に
白鬚神社の田楽が国に評価されたのは、ふつうなら相反する二つの性質を併せ持つ点にある。一方では、すでに失われた古い田楽の面影をとどめている。他方では、一つの地区に定着するなかで、周辺の芸能の影響を受けながら独自に変化を遂げてきた。古風を残しつつ地域での展開も見える芸能は、民俗芸能がどのように移り変わってきたのかを知るうえで、得がたい手がかりとなる。
地理の面からも意味は重い。田楽はかつて各地に広まったが、九州に残る例はごく少ない。佐賀で最後の田楽であり、九州全体でも希少なものとして、川久保の田楽は、それを守る集落の規模をはるかに超えた重みを担っている。
役と装束、そして六つの舞
演者はくじ引きで決まる。希望者のなかから神官がくじを引き、その年の各役を割り振る。
幼い子どもが務めるのが二役ある。「ハナカタメ」は綿で作った鉢巻きを締め、青い着物を着て、造花をつけた棒と扇を手にする。「スッテンテン」は金色の立烏帽子をかぶり、青い着物を着て、小鼓と扇を持つ。道行きの行列では、いずれも大人に肩車されて進む。
「カケウチ」は青年二名が務め、舞いに躍動を与える役である。花笠をかぶり、白衣に黒のくくり袴をつけ、腰の前に太鼓をつるして、両手に太く短いバチを持つ。背には、金銀で飾った一メートルほどの木刀を横向きに負う。その出で立ちは、かつて諸所を巡った田楽法師の古い姿を思わせる。
四名の「ササラツキ」は、女装した少年たちで、舞いの見た目の中心となる。顔には白粉を塗り、額の中央と両頬に紅をさす。波にうさぎの裾模様をあしらった振り袖を着て、黒い帯を前で結び、白足袋を履く。手にするのはビンザサラ、細い木の板を多数、紐で綴じ合わせた打楽器で、両端を操ると連なって鳴る。頭にのせる大きな花笠には、華やかな女帯を二筋ずつ左右に垂らし、その上に鏡を二面つけ、後頭部には縦に切れ目を入れた白紙を垂らす。この華麗な飾りには、近隣の風流系の芸能の影響がうかがえる。
笛役は演者のなかで唯一の大人である。顔ぶれは時代とともに変わってきており、現在は黒の紋付き姿の者と裃姿の者が交代で受け持っている。
祭礼当日の流れは定まっている。早朝、田楽衆は神社の西側を流れる小川で禊ぎをして身を清め、祭礼が終わるまで魚肉を口にしない。午前十一時ごろ氏子総代の家に集まり、神社の鳥居まで道行きを行う。行列が鳥居にさしかかると「鳥居がかり」の曲が奏され、カケウチ二人が「オハッ」という掛け声を発しながら踊る。この鳥居前の舞いは、かつて田楽の重要な演目であった「中門口」の名残とされる。
一同は境内に入り、青竹の玉垣の中に座を占める。そこから六つの演目が続く。「三三九度」は、カケウチが向かい合って太鼓を打ち、ササラツキが進み出てササラを鳴らす所作を繰り返す。「ツキサシ」は、二人のカケウチが掛け声をかけ、太鼓を打ちながら活発に踊る賑やかな曲である。「サザレスクイ」では、三人のササラツキが何かをすくうような動作を見せる。「四方立ち」は、四人のササラツキが四隅に立ってゆったりと舞う。「オサエバチ」は、ササラツキが四隅に立ち、その間でカケウチが勢いよく踊る。最後の「ムコウニミアシ」は、ササラツキのゆるやかな動きで構成される。カケウチの活発な場面を除けば、曲も所作も終始ゆったりとしている。
訪れるにあたって
田楽は曜日にかかわらず、毎年十月十八日と十九日に演じられ、境内での舞いは正午ごろに始まる。観覧は無料である。進行は時計ではなく祭礼の流れに従うため、余裕をもって到着し、早い時間の道行きから祭の一部として楽しむのがよい。
白鬚神社は佐賀市の東部、久保泉町大字川久保三四六六にある。公共交通では、佐賀駅バスセンターから伊賀屋・清友病院線のバスに乗り、上分公民館前バス停で下車、神社まで徒歩約二分。車では佐賀大和インターチェンジから約二十分だが、専用の駐車場はなく、祭礼当日は係員の指示に従って駐車することになる。最新の情報は神社へ直接問い合わせるのが確実である。
これは観光向けの催しではなく、地域の子どもたちとその家族が担う、生きた共同体の行事である。静かに見守ること、行列の道筋や玉垣のそばに立ち入らないこと、人を間近で撮影するときは一声かけることを心がけたい。
周辺の見どころ
川久保一帯は金立山の麓に広がり、車で少し走れば見どころが集まっている。金立公園は長崎自動車道の金立サービスエリアの周囲に広がる総合公園で、長寿をテーマとした徐福長寿館、広い薬用植物園、そして十月に見ごろを迎えるコスモス園があり、田楽の時期とちょうど重なる。
その園内には久保泉丸山遺跡がある。縄文時代晩期から古墳時代にかけての支石墓や古墳が集まる複合遺跡で、田楽との縁は深い。この遺跡はもともと川久保にあったもので、高速道路の建設に伴ってこの地に移されたのである。さらに東へ向かえば、弥生時代の大規模な集落を復元した吉野ヶ里歴史公園があり、この地域の古い歴史に関心を持つ人にとって、半日の足を延ばす先としてふさわしい。
Q&A
- 田楽はいつ見られますか。
- 毎年十月十八日と十九日のみ、曜日にかかわらずこの暦日に行われます。境内での舞いは正午ごろに始まります。
- なぜ子どもが舞いの中心なのですか。
- 主な役は川久保地区の幼児・少年・青年が務め、大人が担うのは笛だけです。子どもが演じることから、地元では「稚児田楽」とも呼ばれます。
- 上演時間はどのくらいですか。
- 玉垣の中で演じられる六つの演目で、およそ一時間半です。全体にゆったりとした進行で、カケウチによる短く活発な場面が挟まります。
- 観覧料や駐車場はありますか。
- 観覧は無料です。神社に専用駐車場はないため、祭礼当日は係員の指示に従うか、公共交通の利用をおすすめします。
- この田楽はなぜ国の重要文化財なのですか。
- 失われた古い田楽の面影を残しつつ、地域のなかで独自の変化も見せています。佐賀で唯一、九州でも希少な田楽として、民俗芸能の移り変わりを知るうえで重要とされています。
基本情報
| 名称 | 白鬚神社の田楽(しらひげじんじゃのでんがく) |
|---|---|
| 所在地 | 佐賀県佐賀市久保泉町大字川久保三四六六 白鬚神社 |
| 指定区分 | 国指定重要無形民俗文化財(民俗芸能・田楽) |
| 指定年月日 | 平成十二年(二〇〇〇)十二月二十七日 |
| 保護団体 | 白鬚神社の田楽保存会 |
| 上演日 | 毎年十月十八日・十九日 正午ごろから |
| 観覧料 | 無料 |
| アクセス | 佐賀駅バスセンターから伊賀屋・清友病院線のバスに乗車、上分公民館前バス停下車、徒歩約二分。佐賀大和インターチェンジから車で約二十分。専用駐車場なし。 |
| 問い合わせ | 白鬚神社 電話 0952-98-0164 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「白鬚神社の田楽」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/732
- あそぼーさが(佐賀県観光サイト)「白鬚神社の田楽」
- https://www.asobo-saga.jp/events/detail/336d455f-d7de-44b2-8282-8163986528df
- サガバイドットコム(佐賀市観光協会)「白鬚神社の田楽」
- https://www.sagabai.com/main/?cont=event&eid=61344
- つなさが(佐賀市)「白鬚神社の田楽」
- https://www.tsunasaga.jp/kuboizumi/2015/09/post-1.html
- さがの歴史・文化お宝帳「白鬚神社の田楽」
- https://www.saga-otakara.jp/search/detail.html?cultureId=5345&cityId=8
最終更新日: 2026.05.22