桃山の楼門、堀端に立つ
与賀神社楼門(與賀神社楼門)は、佐賀県佐賀市与賀町の与賀神社境内入口に建つ三間一戸の楼門で、文化庁の国指定文化財等データベースは時代を桃山(1573〜1614年)とし、大正2年(1913年)4月14日に指定された重要文化財である。
参道は西から入る。一方通行の路地に接して低い石造の三の鳥居が立ち、その先の小川に石造反橋が架かる。橋を渡り終えたところで、ようやく丹塗の楼門が正面に現れる。
構造及び形式等は「三間一戸楼門、入母屋造、銅板葺」。当初は柿葺であったものが、後世の修理で銅板葺に改められている。員数は1棟、指定番号は00625。
建立の年代については、龍造寺氏の系譜『藤龍家譜』を引く県の記録が、文明14年(1482年)に太宰少弐政資が父教頼の旧館を改めて与賀城を築き、与賀神社を城の鬼門の鎮守としたと伝える。楼門もその前後の造営とされる。神社側の由緒書もこれを踏襲し、様式を室町時代後期のものと説明している。
指定年が二つある理由
この楼門の指定年は、資料によって大正2年(1913年)と昭和25年(1950年)に分かれる。どちらも誤りではない。
大正2年4月の指定は、明治30年制定の古社寺保存法にもとづく特別保護建造物としてのものである。この区分はのちに旧法下の国宝に相当する扱いとなった。昭和25年8月に文化財保護法が施行されると、旧国宝はいったん全て重要文化財に置き換えられ、そのうち一部が新たな国宝に指定し直された。与賀神社楼門はこのとき重要文化財の側に移っている。
文化庁データベースが記録するのは前者の大正2年4月14日であり、県の「さがの歴史・文化お宝帳」は後者の昭和25年8月29日を掲げる。同一の保護が続いているなかで、法制上の節目が二つあるということにすぎない。
年代についても資料は割れる。文化庁は桃山とし、佐賀市および神社の説明は室町時代後期とする。文禄5年(1596年)に大修理が行われた記録は桃山期に収まり、現存部材の様式判断を重く見れば国のデータベースの扱いに理がある。相違が生じた場合は文化庁データベースを基準とし、室町後期は当初建立の伝承年代として読むのが穏当だろう。
指定を支えているのは細部の手法である。廻縁下の斗栱は和様の連三斗で腰組をなし、上層は和様の出組として絵様の拳鼻を出す。軒は地垂木・飛檐垂木ともに疎垂木の二軒。軸部・軒廻・斗栱の化粧材は大部分を丹塗とし、格子組は黒塗、木口は黄土塗とする。全体の骨格は和様でありながら、頭貫鼻や蟇股の彫刻には唐様の手法が混じる。禅宗建築を通じて肥前まで届いた意匠が、地方の神社の門に定着した姿と見てよい。
三の鳥居から楼門へ
楼門だけを見るより、参道の順に追ったほうが理解が早い。
西端の三の鳥居は肥前鳥居である。笠木と島木が一体に彫られ、先端が流線形に伸び、笠木・貫・柱がいずれも三本継ぎ、柱の下部は張り出して生け込みとなる。県の記録は高さ3.90メートル、笠木の長さ5.65メートルとし、慶長8年(1603年)、佐賀藩祖鍋島直茂の夫人陽泰院の奉献と伝える。初期の肥前鳥居の代表例として知られる。
続く石橋は、長さ10.5メートル、幅3.15メートルの石造反橋。橋脚は三本併立が六列、両側の欄干は高さ56センチメートルで擬宝珠を10個据える。擬宝珠の一つに慶長11年(1606年)の刻銘がある。三の鳥居と石橋は「与賀神社三の鳥居及び石橋」として一括で扱われ、昭和45年(1970年)6月17日に重要文化財に指定された。楼門とは別件である。
門の下に立ったら、通路の天井を見上げてほしい。架構が化粧のまま露出しており、腰組から上層へ移る納まりが目で追える。板で塞いでしまう例が多いなかで、これは残された方である。
入って左手の大楠は、神社が樹齢1400年余と伝える県指定天然記念物。境内には他にも大楠が育つ。楼門の奥、西面して建つ拝殿は入母屋造銅板葺で正面に唐破風を付し、その先の本殿は五間社流造。棟札から拝殿は宝暦9年(1759年)、本殿は宝暦8年(1758年)の造営とされる。
拝観について。境内は常時開放されており、拝観料はかからない。楼門は眺めるものではなく、くぐって通るものとして機能している。外観の撮影に制限はないが、上層に登ることはできず、内部を見学する設定もない。JR佐賀駅から南へ約2キロメートル、県庁西側の堀を挟んだ位置にあり、徒歩25〜30分ほど。東へ歩けば重要文化財の鯱の門を残す佐賀城本丸歴史館があり、半日で組み合わせられる。
なお、楼門・三の鳥居・石橋を対象とする3か年の保存修理事業が令和3年(2021年)春に完了し、屋根の葺替、塗装修理、耐震補強が行われている。いま見える丹塗は、古い材の上に施された新しい仕事である。
Q&A
- 与賀神社楼門は拝観できますか。拝観料はかかりますか。
- 境内入口に建つ門で、境内は常時開放されており拝観料は不要です。参拝者は楼門をくぐって拝殿に向かいます。ただし上層に登ることはできません。
- 与賀神社楼門へはJR佐賀駅からどう行けばよいですか。
- 佐賀駅の南約2キロメートル、徒歩25〜30分、タクシーなら10分足らずです。県庁西側の堀に面した一角で、「与賀神社西入口」交差点から東へ200メートルほど、一方通行の路地を入った先に三の鳥居が立っています。
- 与賀神社楼門の指定年が資料によって違うのはなぜですか。
- 大正2年(1913年)4月に古社寺保存法の特別保護建造物として指定され、昭和25年(1950年)8月の文化財保護法施行に伴い重要文化財へ移行したためです。文化庁データベースは前者、佐賀県の資料は後者を記載しています。
- 与賀神社には楼門のほかに国指定の文化財がありますか。
- 慶長8年(1603年)の三の鳥居と慶長11年(1606年)の石造反橋が「与賀神社三の鳥居及び石橋」として昭和45年(1970年)6月17日に重要文化財に指定されています。社伝来の太刀も国の指定を受け、楼門脇の大楠は県指定天然記念物です。
- 与賀神社楼門は撮影してもよいですか。
- 外観と参道の撮影に制限はありません。西側から差す朝の低い光は丹塗の発色をよく拾います。参拝者や祭祀の様子、拝殿内部の撮影は、社務所に確認のうえ配慮してください。
基本データ
| 名称 | 与賀神社楼門(よがじんじゃろうもん) |
|---|---|
| 所在地 | 佐賀県佐賀市与賀町 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物)/指定番号 00625 |
| 指定年 | 大正2年(1913年)4月14日。昭和25年の文化財保護法施行に伴い重要文化財へ移行 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 三間一戸楼門、入母屋造、銅板葺。全体寸法は国のデータベースに記載なし |
| 所有者 | 与賀神社 |
| 公開状況 | 境内は常時開放、拝観料無料。上層は非公開 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)/与賀神社楼門
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3503
- さがの歴史・文化お宝帳/与賀神社楼門 一棟
- https://www.saga-otakara.jp/search/detail.html?cultureId=5327
- さがの歴史・文化お宝帳/与賀神社三の鳥居及び石橋 二基
- https://www.saga-otakara.jp/search/detail.html?cultureId=5329&cityId=8
- 佐賀市公式ホームページ/与賀神社
- https://www.city.saga.lg.jp/main/4779.html
- 與賀神社/文化財・天然記念物のご案内
- https://yokajinjya.sagafan.jp/e657035.html
最終更新日: 2026.08.09