旧吉岡家住宅主屋兼アトリエ ― 名主の四間取に画家が刻んだ半世紀
玄関と十畳の和室を分ける位置に、一抱えほどの大黒柱が立つ。差し渡し11.7寸、35.5センチ。黒光りするこの材は、農家のために伐り出されたものだった。その傍らで昭和19年から平成2年までの46年間を過ごしたのが、日本画家・吉岡堅二(1906~1990)である。
建物があるのは東京都東大和市清水三丁目。生垣に囲まれた約2,528平方メートルの屋敷地に、主屋兼アトリエが東を向いて建つ。文化庁のデータベースは年代を明治中期、西暦1883~1897年とし、昭和37年の増築を併記する。建てたのは名主を務めた池谷藤右衛門。地元の調査では当時56歳前後とされ、同じ場所にあった以前の主屋が火災で失われたのち再建されたものと考えられている。
平面は農家に広く見られる四間取、いわゆる田の字型。この骨格は今も動いていない。動いたのは、その周囲のすべてである。
吉岡堅二が池谷家から土地と建物を買い取り、東伏見から移り住んだのは昭和19年8月。戦火を避けての疎開だった。牛車十数台を連ねての転居だったと伝わる。画家自身は、落ち着いた田園生活を望んでどっしりとした家を探した、と語っている。
玄関右手の土間は、転居してすぐアトリエに改造された。旧宅から運んだ部材が使われている。本格的な手が入るのは昭和37年から38年。茅葺屋根を瓦に葺き替え、アトリエの天井をかさ上げして天窓を新設し、二階を造って物置と寝室を設け、玄関のたたきには白い大理石を敷いた。イタリア産、70センチ×76センチが16枚。画家が自ら買い付けたものである。
登録の理由と、その位置づけ
登録有形文化財となったのは平成29年5月2日、第86回登録。登録番号は13-0375。同じ日に、同じ屋敷地の蔵・長屋門・中門も登録された。
ここで「登録」と「指定」の違いを押さえておきたい。国宝や重要文化財を生む指定制度は、対象を絞り込んだうえで強い保護をかけ、改変を厳しく制限する。これに対し平成8年(1996年)に始まった登録制度は、築およそ50年以上の建物を広く受け止め、所有者の負担を軽くし、使いながら残すことを狙う。登録基準は多くの場合ひとつだけで、この主屋も「国土の歴史的景観に寄与しているもの」に当たる。
文化庁の解説文は、四間取の平面形式をもとに昭和に増改築が施された大型農家、木造平屋一部二階建、切妻造桟瓦葺と記す。そのうえで、大黒柱や差鴨居に大材を用いた豪壮な造りと、座敷欄間の組子の緻密さを対比させ、土間部は当初の架構を活かしつつアトリエに改修された、と結んでいる。
東大和市が挙げる評価軸は二つある。多摩地域で少なくなった豪農層の農家の景観を保つ明治中期の建築であること。そして吉岡堅二がこの建物で半世紀近く創作を続けたこと。どちらか一方では登録に届かなかっただろう。
なお、資料を突き合わせる方のために一点。文化庁データベースの「構造及び形式等」欄は木造平屋建と記載する一方、同じページの解説文は木造平屋一部二階建としている。現地の姿は後者に一致し、昭和37年の二階増設を反映したものと考えられる。
足を止めて見たい場所
まず、上がる前に南面の入口を見る。大戸は高さ209センチ、約7尺。馬を引いたまま屋内に入れる寸法である。閉めたままでも出入りできるよう、大戸の内側には潜り戸が仕込まれている。建築当初の姿がそのまま残る。
下屋の下には丸太の下屋桁が通る。無節、継ぎ目なしの杉材で、東西方向に8間(約15メートル)、西側に4間(約7メートル)。南材と西材が交差する部分には、宮大工の高度な技法が用いられているという。角の下に立って見上げてほしい。
縁側のガラス戸の上には、細い格子の欄間がある。装飾というより実用で、雨戸を閉めていても柔らかい光が室内に入る。西側和室の欄間と、北側の食堂を仕切る欄間は組子。明治期の仕事とは思えないほど幾何学的で、目を引く。
差鴨居も大黒柱と同じ系統の大材だ。台所側では幅15寸、45.5センチに達する。
南側の二間を仕切る板戸では、引手を見てほしい。西の部屋から見ると、四つの引手に別々の打ち出し文様が入っている。色は褪せてきているが、蝶とトンボの金がまだ残る。
そしてアトリエ。棚には岩絵の具が並んだままだ。東側の壁面には愛用の大工道具が「姿置き」で並ぶ。輪郭に沿って置くことで、何が欠けているか一目でわかる。家具を作り、電化製品を直す人でもあった。食堂のテーブルの上の笠は、障子の桟を使った画家の自作である。
訪問を考える前に、ひとつ確認しておきたい。この住宅は常時公開されていない。東大和市は将来の記念館的施設として保存管理を続けており、公開は年2回、5月頃と10月頃に3日間ほど。入場は無料。西武多摩湖線・武蔵大和駅から徒歩5分、市内循環バス「ちょこバス」なら清水観音堂(郷土美術園)下車1分である。
Q&A
- いつでも見学できますか。
- できません。公開は年2回、春と秋にそれぞれ3日間ほど行われます。日程が決まると東大和市のホームページや市報で告知されます。入場料は無料ですが、駐車場はありません。
- 吉岡堅二とはどんな画家ですか。
- 明治39年、日本画家・吉岡華堂の次男として東京市本郷区に生まれました。15歳で野田九浦に入門し、20歳で帝展初入選。昭和5年には「奈良の鹿」で特選を受けています。昭和23年に福田豊四郎らと創造美術を結成し、昭和34年からは東京藝術大学で教鞭を執りました。トルコでの壁画模写や法隆寺金堂壁画の再現模写にも関わっています。
- 登録有形文化財は、重要文化財とどう違うのですか。
- 重要文化財や国宝は「指定」制度によるもので、対象を厳選し強い規制をかけます。「登録」制度は平成8年に始まった比較的新しい仕組みで、築50年以上の建物を広く対象とし、届出制を基本に緩やかに保護します。旧吉岡家住宅は登録有形文化財です。
- 明治当時の姿がそのまま残っているのですか。
- 一部です。四間取の平面、大戸、大黒柱、欄間などは当初のものですが、屋根は昭和37年まで茅葺で、煙抜きが二つあり、棟高は今より2メートルほど高かったとされます。現在の姿は、画家が住みながら作り替えた結果です。
- 吉岡堅二の作品はどこで見られますか。
- 東大和市郷土博物館の2階常設展示室に吉岡堅二コーナーがあり、図録やポストカードも扱っています。公開日には主屋内でも作品が展示され、過去の公開では郷土博物館との間でシャトルバスが運行されました。
基本データ
| 名称 | 旧吉岡家住宅主屋兼アトリエ(きゅうよしおかけじゅうたくしゅおくけんあとりえ) |
|---|---|
| 所在地 | 東京都東大和市清水三丁目779-1他 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録年月日 | 平成29年5月2日(第86回登録)/登録番号 13-0375 |
| 登録基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
| 員数 | 1棟 |
| 年代 | 明治中期(1883~1897年)/昭和37年増築 |
| 構造及び形式等 | 木造平屋建、瓦葺、建築面積208平方メートル(解説文では木造平屋一部二階建、切妻造桟瓦葺) |
| 所有者 | 東大和市 |
| アクセス | 西武多摩湖線 武蔵大和駅から徒歩約5分/ちょこバス「清水観音堂(郷土美術園)」下車徒歩1分 |
| 公開状況 | 常時非公開。春(5月頃)と秋(10月頃)の年2回特別公開、入場無料 |
| 問い合わせ | 東大和市郷土博物館 電話 042-567-4800 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース「旧吉岡家住宅主屋兼アトリエ」(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011481
- 文化遺産オンライン「旧吉岡家住宅主屋兼アトリエ」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/222537
- 国登録有形文化財 旧吉岡家住宅(東大和市公式ホームページ)
- https://www.city.higashiyamato.lg.jp/bunkasports/museum/1006099/1006100.html
- 旧吉岡家住宅(国登録有形文化財)|東大和の博物館・文化財情報
- https://higashiyamato.net/ecomuseum/yukeibunkazai
- 吉岡堅二と(仮称)東大和郷土美術園|東大和の博物館・文化財情報
- https://higashiyamato.net/ecomuseum/artist_yoshioka
最終更新日: 2026.07.15