猪俣の百八燈 ― 堂前山の尾根に並ぶ百八の火
八月十五日の夜、埼玉県美里町と寄居町の境にある堂前山という小さな丘の尾根に、一筋の火の列があらわれる。光のもとは、稜線に沿って築かれた百八基の塚で、その一つ一つに灯がともされている。火をつけるのは地元の子どもと若者たちで、準備から最後の点火まで、行事のすべてを自分たちの手で進めていく。これが、猪俣地区に四百年以上受け継がれてきた盆行事、猪俣の百八燈である。
盆に百八の火を焚く行事は各地にある。ただし猪俣のやり方には、ほかではほとんど見られない特徴があり、それがこの行事を国の重要無形民俗文化財に押し上げた理由でもある。
武蔵武士・猪俣小平六範綱の記憶
火は、猪俣小平六範綱という武士をしのぶために灯される。範綱は平安時代の末から鎌倉時代の初めにかけて生きた人物で、武蔵国で勢力をふるった武蔵七党のひとつ、猪俣党の頭領であった。始祖の時範から数えて五代目の宗家にあたり、剛勇をうたわれたことから小平六と呼ばれた。
範綱は早くから源氏に従い、保元の乱、平治の乱で戦った。寿永三年(一一八四年)の一ノ谷の合戦では源義経のもとで奮戦し、平家の猛将・越中前司盛俊を討ち取って名をあげている。さらに壇ノ浦にも転戦し、建久三年(一一九二年)に没した。その墓は、丘のふもとにある高台院の一隅に、一族の墓とともに残されている。
行事の起こりについては、その後の苦しい時代が語り継がれている。範綱の没後およそ四百年を経て、猪俣一族は豊臣秀吉によって滅ぼされ、この地を離散した。やがて小野満開という行者が範綱の守り本尊を背負って村に戻り、盆のたびに丘の上で火を焚いて散り散りになった一族の霊を弔ったという。これが今の百八燈のはじまりと伝わる。文献に裏づけられた由来というより、地元に語り継がれてきた言い伝えであり、行事そのものが、その記憶の確かさを示している。
なぜ国の文化財に指定されたのか
盆に百八の火を焚く行事は、全国に数多くある。百八という数は、仏教でいう百八の煩悩に通じる。新盆を迎えた家で百八把の松明を焚くもの、村が共同で山や河原に火を焚いて精霊を送るものなど、形はさまざまだ。そのなかで猪俣を際立たせているのが、塚の存在である。
猪俣では、松明を立てて焚くのではなく、尾根に百八基の塚を築き、その上で火を焚く。文化庁は昭和六十二年(一九八七年)一月八日、猪俣の百八燈を重要無形民俗文化財に指定した。日本人の基盤的な生活文化の特色をよく示す典型例というのが指定の理由である。指定があらためて注目したのは二つの点だ。ひとつは、祖先の霊が塚に立ち返り集まるという塚信仰の姿をよく残していること。もうひとつは、行事の一切が子どもと若者の手で営まれ、盆行事のなかに祖霊信仰がどのように受け継がれてきたかを見て取れることである。
丘と塚、そして当日の夜
百八基の塚は、堂前山の稜線に一列に並ぶ。多くは高さ約一メートル、直径三十〜四十センチほどの控えめな規模である。両端の二基は留塚と呼ばれ、ひとまわり大きく築かれる。中央の二基はさらに大きく、五重塚と呼ばれて高さ二〜二・五メートル、直径七十センチほどになる。晴れた日には、尾根から北に赤城山、西に浅間山を望むことができる。
猪俣の百八燈は、子どもたちのものである。地区の満六歳から満十八歳までの男子およそ五十名が子ども組と若衆組に分かれ、行事のすべてを担う。十八歳の親方が全体を率い、十七歳の次親方が補佐し、前年の親方が後見役として一歩引いた立場から目を配る。大人は運営に口を出さない。十五日までの数週間、子どもたちは道をつくり、草を刈り、燃料となる松根を掘り、範綱の墓を清め、塚を築き、燈明器をこしらえる。
当日の作業は未明に始まる。芝を切ってきて百八の塚を築き直し、それぞれに燈明器を据える。燈明器には急須が用いられ、油を注ぎ、真綿をよった燈心を取りつける。中央の五重塚、両端の留塚、そして範綱の墓のそばにある御公方塚には、火を強く長く保つために松根が加えられる。
夕刻六時、高台院の境内で寄せ太鼓が鳴る。一同がそろうと、まず範綱の墓に燈明がともされ、笛と太鼓の拍子に合わせて提灯行列が堂前山へと向かう。尾根の百八の灯が次々と点されると同時に、仕掛花火が打ち上がる。やがて子どもたちは一列に並び、自分たちが築いた塚の火を見つめる。その光景は、彼らの故郷の原風景となっていく。
訪れる前に
行事は毎年八月十五日に行われ、高台院での集合は午後六時三十分ごろからである。荒天の場合は翌日に順延される。高台院を訪れた人は提灯行列に加わり、子どもたちが塚に火を灯す様子を間近で見学できる。料金は無料である。
注意したい点がひとつある。年によっては関係者とその家族のみで行われる場合があるため、遠方から出かける際は、美里町教育委員会や地元の観光協会にあらかじめ確認しておきたい。堂前山の道は舗装されていない山道で、歩きやすい靴が望ましい。帰り道は暗いので、懐中電灯を持参すると安心だ。
高台院は美里町猪俣一五七五にある。車であれば関越自動車道の花園インターチェンジから約十五分、寄居スマートインターチェンジ(ETC車のみ)からは約十分。鉄道では、JR八高線の用土駅から徒歩二十〜三十分、松久駅からは徒歩約三十分である。
猪俣のまわりを歩く
美里町は農の町で、夜の火を待つ前に昼の風景を眺めておくとよい。町はブルーベリーの産地として知られ、六月から八月下旬にかけては、万葉の里と呼ばれる美里農産物直売所で地元産の果実や野菜が並ぶ。行事の会場からおよそ一キロと近く、立ち寄りやすい。春には、近くの円良田地区の山林にカタクリの群生地が広がり、三月下旬から四月上旬の開花期にはハイキングの人々でにぎわう。
美里を含む児玉地域には、古い社や古墳、静かな農道が点在している。ゆったりとした土地の時間の流れは、人をしのぶことから生まれた行事の趣とよく重なる。
Q&A
- 猪俣の百八燈はいつ、どこで行われますか。
- 毎年八月十五日に、埼玉県美里町の猪俣地区で行われます。午後六時三十分ごろに高台院に集合し、その後、百八基の塚が築かれた堂前山の尾根へ移動します。荒天の場合は翌日に順延されます。
- 見学することはできますか。
- 多くの年は、高台院からの提灯行列に加わり、点火の様子を間近で無料見学できます。ただし年によっては関係者とその家族のみで行われる場合があるため、美里町教育委員会や観光協会への事前確認をおすすめします。
- なぜ百八の火なのですか。
- 百八という数は各地の盆行事に広く見られ、仏教でいう百八の煩悩に通じます。猪俣の特徴は、単に百八の火を焚くのではなく、百八基の塚を築いてその上で火を焚く点にあり、霊が塚に集まるという塚信仰と結びついています。
- 行事は誰が執り行うのですか。
- 地区の満六歳から満十八歳までの子どもと若者およそ五十名が、資金集めから道づくり、塚築き、点火まですべてを担います。十八歳の親方が率い、十七歳の次親方と前年の親方が支えます。大人は運営に関与しません。
- 公共交通機関での行き方を教えてください。
- 最寄りはJR八高線の用土駅で、高台院まで徒歩二十〜三十分です。同じ八高線の松久駅からは徒歩約三十分。車の場合は関越自動車道の花園インターチェンジから約十五分です。
基本情報
| 名称 | 猪俣の百八燈(いのまたのひゃくはっとう) |
|---|---|
| 所在地 | 埼玉県児玉郡美里町大字猪俣地内/高台院(猪俣一五七五)および堂前山の尾根 |
| 指定区分 | 重要無形民俗文化財(風俗慣習/年中行事) |
| 指定年月日 | 昭和六十二年(一九八七年)一月八日 |
| 規模 | 尾根に築かれた百八基の塚。両端の留塚、中央の五重塚(高さ二〜二・五メートル)はとくに大きい |
| 開催 | 毎年八月十五日、午後六時三十分ごろ集合。荒天時は翌日に順延 |
| 保護団体 | 猪俣の百八灯保存会/地区の満六歳〜十八歳の青少年 |
| 料金 | 無料(年により関係者・家族のみの開催あり。事前確認を推奨) |
| アクセス | JR八高線・用土駅から徒歩二十〜三十分/関越自動車道・花園ICから車で約十五分 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「猪俣の百八燈」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/39
- 美里町公式サイト「猪俣の百八燈」
- https://www.town.saitama-misato.lg.jp/0000000713.html
- 美里町観光協会「猪俣の百八燈」
- https://www.misato-kanko.com/event/937/
- ちょこたび埼玉(埼玉観光情報)「猪俣の百八燈」
- https://chocotabi-saitama.jp/spot/19056/
最終更新日: 2026.05.22