最澄が唐から持ち帰ったものを記した一巻

貞元二十一年(八〇五年)五月十三日、唐の沿岸で帰国の船を待つ一人の僧が、日本へ携えて帰る経典や法具を一点ずつ書き出していった。僧の名は最澄。前年の遣唐使に加わって入唐し、天台山とその周辺の寺々を巡って学んだ成果を、出航を前にして目録の形にまとめたのである。この一巻が、比叡山延暦寺に残る国宝「伝教大師将来目録〈貞元二十一年五月十三日/明州剌史鄭審則跋〉」である。

最澄(七六七〜八二二)は日本天台宗の開祖で、没後に伝教大師の諡号を贈られた。延暦二十三年(八〇四年)、藤原葛野麻呂を大使とする遣唐使船に乗り込み、当時の日本に十分には伝わっていなかった教えを直接学ぶために海を渡った。延暦寺が所蔵するこの巻物は、その渡海の成果を書きとめた記録にあたる。文化庁の国指定文化財等データベースは、本品を平安時代・八〇五年の古文書とし、員数を一巻と記す。

名称に用いられた語にも注意したい。入唐僧が持ち帰った品の目録には「請来」の字を当てるものが多いが、最澄のこの一巻には「将来」の字が用いられている。数年後に空海がまとめた著名な『請来目録』とは、書き出しの一語から性格を異にしているのである。

一巻の目録が国宝に位置づけられる理由

目録と聞くと事務的な書類を想像しがちだが、この一巻が昭和二十六年(一九五一年)に国宝へ指定された理由は、その中身だけにとどまらない。巻中には最澄自身の筆跡が含まれている。確かな最澄の真筆として残る作例はきわめて少なく、その点でこの巻物は、日本宗教史に大きな足跡を残した人物が、自らの事業の出発点に立った瞬間に書き残した自筆資料という意味をもつ。

同時に本品は、仏教がどのように海を越えたかを示す記録でもある。最澄は明州に着き、内陸の台州・天台山に入って道邃のもとで天台の教学と大乗菩薩戒を授かった。弟子の義真は通訳として随行している。帰途の前には越州にも赴き、順暁から密教の一端を受けた。巻に記された経典や法具は、こうした数か月の求法の成果そのものであり、最澄が将来した品は、台州録と越州録を合わせて二三〇部四六〇巻ほどに及ぶとされる。

この巻物を日本の古文書のなかでも特別な存在にしているのは、唐の官の関与が形となって残っている点である。末尾には、指定名称に明州の刺史と記される鄭審則の跋があり、目録の内容を証明して州の官印が押されている。これに遣唐大使藤原葛野麻呂らの連署、遣唐使の印、義真の署名が加わる。結果として本品は、日本に残る唐代の公文書としても貴重で、仏教史の資料であると同時に、行政史・外交史の一次史料としての価値をもっている。

注目したい見どころ

もし展示の機会に立ち会えたなら、文字をゆっくり追ってみたい。最澄の筆は落ち着いて速さを抑えた、修学の人らしい筆致である。それに対して跋文や朱の官印は、まったく性格の異なる筆として目に入る。日本の年号ではなく唐の元号「貞元」で日付が記されている点も、この一巻が大陸の役所を通った文書であることを示している。

署名にも目を向けたい。大使や若き通訳の名が、刺史の証明とともに連なる様子は、国家の使節が実際に取り扱った書類そのものである。千二百年を超えて残ること自体が稀有な性格の品といえる。公開の機会は限られており、延暦寺の宝物館や特別展で姿を見せることがある。二〇二一年から二二年にかけて最澄千二百年の大遠忌を記念して各地を巡回した特別展でも出陳された。

延暦寺と比叡山をめぐる

この目録を所蔵する延暦寺は、延暦七年(七八八年)に最澄が開いた天台宗の総本山である。滋賀と京都の境にそびえる比叡山の山中に堂宇が広がり、東には琵琶湖が谷を満たす。境内は東塔・西塔・横川の三地域に分かれ、合わせて百五十を超える堂塔がある。平成六年(一九九四年)には「古都京都の文化財」の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録された。

多くの参拝者は、滋賀側から日本最長のケーブルカーである坂本ケーブルで山上を目指す。全長およそ二キロを約十一分で結び、車窓には琵琶湖が広がる。京都側からは八瀬から叡山ケーブルが上り、自動車では比叡山ドライブウェイが通じている。ケーブルの麓にあたる坂本の町も訪ねる価値があり、日吉大社や、延暦寺の僧が隠居した里坊の石垣の町並みが残る。

本品は紙の文書であるため常時公開はされていない。巻物そのものを見ることが目的であれば、宝物館の展示予定や特別展の情報を旅程の前に確認しておきたい。たとえ展示されていなくとも、最澄が宗派を築いた場所に立つことは、ガラスケースだけでは得られない背景をこの文書に与えてくれる。

Q&A

Q伝教大師将来目録とは何ですか。
A最澄が八〇五年に唐から日本へ持ち帰った経典・注釈書・法具などを書き上げた巻物です。延暦寺が所蔵し、昭和二十六年(一九五一年)に国宝へ指定されました。
Q最澄とはどのような人物ですか。
A最澄(七六七〜八二二)は伝教大師と諡され、日本天台宗の開祖として比叡山延暦寺を開いた僧です。延暦二十三年の遣唐使に加わって入唐し、この目録はその帰国時に将来した品の記録にあたります。
Q目録がなぜそれほど重要なのですか。
A最澄自身の筆跡を含む点が稀少であり、さらに唐の地方官の跋と官印、遣唐使一行の署名が加わっています。天台宗の根本となる記録であると同時に、日本に残る唐代の公文書としても貴重なためです。
Q延暦寺で実物を見られますか。
A公開は限られています。紙の文書のため通常は収蔵され、宝物館や特別展で折に触れて展示されます。実物の拝観が目的の場合は、事前に公開予定を確認することをおすすめします。
Q延暦寺へはどう行けばよいですか。
A滋賀側からはケーブル坂本駅から坂本ケーブルでケーブル延暦寺駅へ(約十一分)。京都側からは八瀬から叡山ケーブルが利用できます。比叡山ドライブウェイを通って自動車で上ることもできます。

基本情報

名称伝教大師将来目録〈貞元二十一年五月十三日/明州剌史鄭審則跋〉
所在地滋賀県大津市 比叡山延暦寺
指定区分国宝(古文書) 昭和二十六年(一九五一年)六月九日指定
員数一巻
時代・年代平安時代 貞元二十一年(八〇五年)
所有者延暦寺
公開状況常時公開はなし。宝物館や特別展で随時公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/796
比叡山延暦寺 公式サイト
https://www.hieizan.or.jp/
天台宗 祖師先徳鑽仰大法会 伝教大師最澄のご生涯
https://www.tendai.or.jp/daihoue/saicyo/dengyo_01.html
京都国立博物館 特別展「最澄と天台宗のすべて」
https://www.kyohaku.go.jp/jp/exhibitions/special/saicho_2022/
坂本ケーブル アクセス案内
https://sakamoto-cable.jp/access/

最終更新日: 2026.06.09