帝国が滅びても残った、九世紀のパスポート

大中九年(八五五)三月、唐の越州の役所が、一人の外国人僧に旅の許可証を交付し、紙の上に官印を押しました。この許可証を発した大唐帝国は、その後まもなく滅亡し、多くの公文書を失います。ところが、この一枚の紙は失われませんでした。現在は滋賀県大津市、琵琶湖を見下ろす山あいの古刹・園城寺(三井寺)に、国宝「智証大師関係文書典籍」の一部として収められています。

許可証を携えていたのは、円珍(八一四〜八九一)という僧です。讃岐国、いまの香川県に生まれ、十五歳で比叡山に登って初代天台座主・義真の門に入りました。仁寿三年(八五三)には当時の最高水準の仏法を求めて唐に渡り、およそ五年を中国で過ごして天安三年(八五九)に帰国します。没後に「智証大師」の諡号を贈られ、第五代天台座主として、また園城寺を総本山とする天台寺門宗の祖師として仰がれてきました。

その名を冠する国宝は、一点の品ではありません。九十三通の古文書を五十一巻・二帖・一夾に仕立てたもので、これに文書典籍目録六通(三巻)が附として加わります。円珍自筆の書もあれば、唐の役人や日本の朝廷の書記、その学法を証明した僧たちが記したものもあります。これらが一つにまとまることで、円珍という人物を知るうえでの根本史料となっています。

なぜ国宝に指定されたのか

この文書群は昭和三十八年(一九六三)に国宝へ指定され、令和五年(二〇二三)にはさらに文書が追加されました。その価値は、希少さと、語りうる事実の広さの二点に支えられています。

希少さは具体的です。文書のうち二通は「過所(かしょ)」と呼ばれる、唐が国内の通行を管理するために発給した許可証にあたります。本来は大量に作られた事務的な紙片で、保存されることはほとんどありませんでした。二十世紀に入ってトルファンなどで断片が発掘された例はありますが、世代から世代へ途切れることなく伝世してきた原本としては、円珍が持ち帰った二通だけが世界に現存します。

事実の広さは内容に表れています。過所には、交付した役所、旅行者と従者の姓名・年齢・身分、携行品、旅の目的までが書き込まれ、署名と官印で裏づけられています。円珍の過所を読み解くと、彼が唐をどう移動したかだけでなく、関所や渡し場を越える外国人を国家がどのように把握していたかまで分かります。文書群はさらに、求めた経典の目録、伝授を受けた証となる印信、僧位に関わる日本側の公文書を加えており、二つの国のあいだの一度の文化交流を、これほど細かく裏づける史料はそう多くありません。

令和五年(二〇二三)、この史料群は東京国立博物館の関連資料と合わせて、九世紀における日本と中国の文化交流の記録として、ユネスコ「世界の記憶」に登録されました。園城寺と同館による共同申請によるものです。

見どころ

一通目の過所は、大中九年(八五五)三月十九日に越州都督府が交付したもので、寸法は縦三〇・九センチ、横四四・〇センチ。円珍が越州の開元寺を発って都や霊地へ向かい、再び戻る旅程を認め、道中の関津の役人に通行を妨げないよう求める内容です。二通目は同年十一月に発せられ、地方の役所ではなく中央官庁の尚書省が、帰路のために交付しました。

いずれの紙の前に立っても、細部に人の気配が残っています。千年前の書記の筆づかい、朱の官印の押された位置、海を二度渡った紙の傷んだ繊維。美術品としてではなく、実務のために作られた紙であること、そこにこそ意味があります。

原本は傷みやすいため、公開は折にふれての交替展示にとどまります。文書群の一部は、境内の小さな博物館である三井寺文化財収蔵庫で展示されています。特定の文書、とりわけ過所を目当てに訪れる場合は、出かける前に現在の展示内容を確かめておくとよいでしょう。

園城寺をめぐる

この寺は、文書を別にしても半日を充てる値打ちがあります。本堂にあたる金堂はそれ自体が国宝で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第十四番札所です。近江八景の「三井の晩鐘」に数えられる鐘は、金堂近くの鐘楼に掛かっています。広く知られる「三井寺」の名は、天智・天武・持統の三天皇の産湯に用いられたとされる境内の霊泉に由来し、その水はいまも小さな祠の中で湧き続けています。

木立の斜面は春になるとおよそ千本の桜で満ち、花の季節には夜間のライトアップも行われ、秋には紅葉に変わります。園城寺は琵琶湖からほど近い大津の街際にあり、京都からの日帰りにも向いています。

交通は、京阪石山坂本線の三井寺駅から徒歩七〜十分ほど、あるいはJR大津駅・大津京駅から京阪バスで「三井寺」下車が便利です。入山料は大人六〇〇円で、生徒・児童には割引があります。文化財収蔵庫は別料金です。拝観時間はおおむね午前九時から午後四時三十分までで、受付は閉門前に終わります。

よくある質問

Q訪問すれば過所の原本を見られますか。
A確実とは言えません。過所は文書群の中でもとくに傷みやすく、公開は折にふれての交替展示に限られます。三井寺文化財収蔵庫では文書の一部が入れ替えで展示されますので、特定の品が目当てであれば、出かける前に現在の展示を確認することをおすすめします。
Q過所とは何ですか。
A唐の法令にもとづいて発給された通行許可証で、はたらきとしては現代の旅券や査証に近いものです。所持者と一行の姓名、年齢、携行品、旅の経路と目的を記し、関所の役人が通行を認められるよう、署名と官印が添えられていました。
Qなぜユネスコ「世界の記憶」に登録されたのですか。
A九世紀における日本と中国の文化交流の記録として、令和五年(二〇二三)に登録されました。現存する二通の過所は他に例がなく、文書群全体が、一人の僧の留学と両国の交わりを細部まで裏づけているためです。
Q京都から園城寺へはどう行きますか。
A大津は京都から電車で東へすぐの距離です。最も分かりやすいのは京阪石山坂本線で三井寺駅まで行き、そこから徒歩七〜十分ほど歩く経路です。JR大津駅・大津京駅から京阪バスを使い、寺の近くで降りる方法もあります。
Q園城寺で他に見ておきたいものは何ですか。
A国宝の金堂、西国札所の観音堂、名高い晩鐘、寺の通称のもととなった霊泉が、いずれも境内にあります。春の桜は琵琶湖周辺でも指折りです。

基本情報

名称智証大師関係文書典籍(九十三通)/附 文書典籍目録(六通)
所在地滋賀県大津市 園城寺(三井寺)
所有者園城寺
種別古文書
指定区分国宝(昭和三十八年〔一九六三〕七月一日指定、令和五年〔二〇二三〕六月二十七日追加)
員数九十三通(五十一巻・二帖・一夾)/附 文書典籍目録 六通(三巻)
関係する人物円珍(智証大師、八一四〜八九一)
ユネスコ「世界の記憶」令和五年(二〇二三)登録、東京国立博物館の所蔵資料とともに
公開三井寺文化財収蔵庫で一部を交替展示。原本は折にふれての公開

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/795
三井寺(園城寺) ユネスコ「世界の記憶」登録ページ
https://miidera1200.jp/unesco/
智証大師円珍 関係文書典籍(特設サイト)
https://miidera-museum.jp/unesco/
文部科学省 ユネスコ「世界の記憶」登録決定について
https://www.mext.go.jp/unesco/006/1373633_00022.htm
三井寺(園城寺) 参拝案内
https://miidera1200.jp/information/

最終更新日: 2026.06.08