国司交替を律した平安初期の法令

延暦22年(803)、新設まもない監査機関の官人たちが、桓武天皇に一巻の法令を撰進した。地方行政でもっとも紛争を生みやすい場面、すなわち国司が後任へ職務を引き継ぐ手続きを、全41条にまとめたものである。延暦年間に成ったことから、後世これを延暦交替式と呼ぶ。滋賀県大津市の石山寺に残る写本はその早い時期の一本であり、昭和28年(1953)に国宝へ指定された。

正式には撰定交替式といい、諸国司交替式の名でも知られる。主題は地味に響くが、内実は重い。都から赴任した国司は、租税の稲や武器、官印、帳簿を管理する。任期が終われば、それらをひとつ残らず後任へ引き渡し、不足があれば事情を説明しなければならない。米や帳尻をめぐる争いは絶えず、決着がつかなければ帰京後の昇進が長く滞ることもあった。

勘解由使と解由状

延暦16年(797)ごろ、朝廷はこうした引き継ぎを監督する勘解由使を置いた。前任国司の会計を点検し、帳尻が合えば解由状という証明書を発給する役所である。この一通がなければ、官人は任期を正式に締めくくれなかった。勘解由使には明確な文書基準が要る。そこで長官の菅野真道は、秋篠安人らとともに関係する先例を一巻に集成した。

この法令が日本古代の法書のなかでも異色なのは、典拠をそのまま示す点にある。規定を一様な文体に書き改めず、令の条文、勅、太政官符、省符、明法曹司の解などを原文のまま引用して並べている。どの役所がどの指示を出したのかが、条文をたどるだけで見えてくる。史料としての価値は、この透明さに負うところが大きい。

延暦交替式は、三つの交替式の最初にあたる。次の貞観交替式は9世紀後半に成り、対象を在京の内官にまで広げた。さらに延喜21年(921)には延喜交替式が編まれた。いずれも原本の全文は早くに失われており、石山寺本はその最初の延暦交替式を知るうえで欠かせない一本である。

紙の裏に重なるもうひとつの世界

この巻をいっそう際立たせるのは、紙の裏面に記された文字である。10世紀のある時期、用済みとなった紙が裏返され、悉曇の手本として再利用された。悉曇とは、梵語の音を写すためのインド系の文字で、読経や修法に用いられる。裏面の表題は南天竺悉曇十八章といい、僧・淳祐(しゅんにゅう、890〜953)の自筆と考えられている。

淳祐は石山寺の第三代座主で、寺を学問の場として中興した人物とされる。学者政治家として名高い菅原道真の孫にあたり、悉曇を専門として経典の書写と蒐集に努め、石山寺の学僧としての名声を高めた。古くなって用を終えた文書は、格好の料紙となる。淳祐が自らの聖教を大切にしたために、表に書かれた世俗の法令文がはからずも残された。石山寺の国宝には、こうして残された例がほかにもある。越中国の正税帳の断簡や延喜八年の戸籍残巻、史記や漢書といった古写本が、いずれも裏面に仏教の文章を載せて現存する。

淳祐の筆跡には、ひとつの言い伝えがある。延喜21年(921)、師の観賢に従って高野山奥院の弘法大師廟に参じた折、大師の御衣に触れた淳祐の手に芳香が移り、いつまでも消えなかった。その手で書いた聖教にも香りがうつったとして、彼の遺した経典群は薫聖教(においのしょうぎょう)と総称される。この巻の裏面も淳祐自筆の一つに数えられるが、国宝としては薫聖教とは別に、延暦交替式の名で指定されている。

石山寺を訪ねる

石山寺は、琵琶湖から瀬田川が流れ出る西岸、大津市の山腹に建つ。寺伝では天平19年(747)、聖武天皇の勅願により良弁が開いたとされ、平安時代には宮廷の篤い信仰を集めた。とりわけ貴族の女性たちが石山詣と称して参詣し、寺は数々の古典文学に姿を見せる。紫式部はここに参籠して源氏物語の着想を得たと伝わり、本堂の一隅にはその場所と語り継がれる小部屋が今も残る。

「石山」の名は、境内に露出する硅灰石の巨岩に由来する。天然記念物に指定されたこの岩盤の上に、堂宇が直に建つ。なかでも本堂と、均整のとれた多宝塔は、それぞれが国宝である。多宝塔は日本でも古い時期に属する遺構として知られる。春は梅と桜、秋は紅葉と、四季の花でも親しまれてきた。

延暦交替式そのものを目当てにするなら、一点を心得ておきたい。これほど傷みやすい写本は常設展示されない。寺の宝物館である豊浄殿や、大津市歴史博物館などの特別展で、折にふれて公開されるにとどまる。通常の参拝では境内と国宝建築を巡れるが、巻物を間近にするには、事前に展示の予定を確かめる必要がある。

拝観は午前8時から午後4時30分まで(入山は午後4時まで)、入山料は600円である。京阪石山坂本線の石山寺駅から徒歩約10分、JR石山駅からはバスで石山寺山門前へ出るのが便利で、京都駅からは電車でおよそ30分の道のりとなる。

よくある質問

Q延暦交替式とはどのような文化財ですか。
A延暦22年(803)に成った平安初期の法令で、国司が後任へ職務を引き継ぐ手続きや会計監査、解由状の発給などを定めています。正式名称は撰定交替式といい、石山寺が所蔵する写本が国宝です。
Q行政手続きの文書がなぜ国宝なのですか。
A原本の全文は早くに失われ、石山寺本は現存する最も早い時期の写本のひとつだからです。典拠の文書を原文のまま引用しているため、律令国家が地方をどう統治したかを知る貴重な史料となっています。指定は昭和28年(1953)です。
Q巻物の裏には何が書かれているのですか。
A梵語を写す悉曇の手本「南天竺悉曇十八章」が記され、10世紀の僧・淳祐の自筆と考えられています。古い法令の巻が淳祐の仏教研究の料紙として再利用され、その結果として表面の法令文が残りました。
Q石山寺へ行けば実物を見られますか。
A通常は見られません。特別展のときに限って公開されるため、訪問前に寺の展示予定を確認してください。普段の参拝でも、国宝の本堂と多宝塔、硅灰石の岩盤、紫式部ゆかりの場所などを巡ることができます。
Q石山寺へのアクセスを教えてください。
A滋賀県大津市にあり、京阪石山坂本線の石山寺駅から徒歩約10分です。JR石山駅からはバスで石山寺山門前へ出られます。京都駅からは電車でおよそ30分、拝観時間は午前8時から午後4時30分までです。

基本データ

名称延暦交替式(紙背 南天竺悉曇十八章)
指定区分国宝(書跡・典籍)
指定年月日昭和28年(1953)3月31日
員数1巻
時代平安時代
本文の成立延暦22年(803)、菅野真道ほか撰/全41条
所有者石山寺
所在地滋賀県大津市
公開状況常設展示なし。特別展で随時公開

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「延暦交替式」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/681
大本山 石山寺 公式ホームページ「寺宝・文化財」
https://www.ishiyamadera.or.jp/about/treasure
大本山 石山寺 公式ホームページ「交通案内」
https://www.ishiyamadera.or.jp/access
大本山 石山寺 公式ホームページ「国宝追加指定について」
https://www.ishiyamadera.or.jp/info/news/12208
コトバンク「延暦交替式」(ブリタニカ国際大百科事典)
https://kotobank.jp/word/%E5%BB%B6%E6%9A%A6%E4%BA%A4%E6%9B%BF%E5%BC%8F-38415
ウィキペディア「撰定交替式」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%92%B0%E5%AE%9A%E4%BA%A4%E6%9B%BF%E5%BC%8F

最終更新日: 2026.06.08