地下から現れた平安の経箱

大正十三年(一九二四年)十月、比叡山の横川で如法堂を建て直す基礎工事の最中に、土の中から一つの銅筒が掘り出された。横川は延暦寺の三塔のうち最も北に位置する区域で、慈覚大師円仁が開いた地として知られる。その銅筒に納められていたのが、この金銅経箱である。縦二七・一センチ、横一二・一センチ、高さ八・三センチという小ぶりな箱で、蓋の中央には「妙法蓮華経」の五字が籠字(双鉤体)で記されていた。現在は京都国立博物館に収められている。

平安時代の貴族社会には、経典を書写して地中に埋める営みが広がっていた。仏の教えがやがて衰える末法の世が来るという危機感のもと、写経を筒や箱に納めて山などに埋め、遠い未来に現れる弥勒の世まで経を残そうとしたのである。

この経箱の背景には二人の人物がいる。横川での写経は、病に伏した円仁が法華経を書写し、如法堂内の小塔に納めたことに始まる。それから二百年ほど後の長元四年(一〇三一年)、横川首楞厳院の僧覚超らが新たに銅筒を造り、円仁以来の経を堂の裏手へ改めて埋納しようとした。その折、上東門院も自ら法華経を書写し、結縁のためにこの経箱へ納めて筒の内に籠められたと伝えられる。納経の際の願文も、経箱とともに残されている。

国宝に指定された理由

上東門院とは、藤原道長の娘で一条天皇の中宮となり、二代の天皇の母ともなった藤原彰子(九八八〜一〇七四)の院号である。摂関政治の頂点にあった一族の中心人物が自ら筆を執った写経を納めた点で、この経箱は当時の宮廷文化と直接に結びついている。願文が残ることによって、製作の年代が長元四年と確かめられる意味も大きい。

工芸品としての完成度も高い。文化庁は発掘から間もない大正十五年(一九二六年)四月十九日にこれを重要文化財に指定し、昭和二十七年(一九五二年)三月二十九日には国宝とした。確かな年代、皇室に連なる施主、洗練された金工の技、そして納入品と願文がともに残るという条件を兼ね備えた埋経の遺品は、数えるほどしかない。

細部に宿る意匠

小さな箱だが、見るほどに細工の密度に気づく。蓋はゆるやかに盛り上がり(甲盛)、胴はわずかに張り出して、平板にならない量感を与えている。蓋と身の合わせ目には覆輪がめぐらされ、差し込み式の小金具が一種の錠の役を果たす。

文様は箱のほぼ全面に及ぶ。蓋表の中央では、長方形の区画の中に法華経の経題が籠字で表され、輪郭線の内側に地金がのぞく。題字の周囲には宝相華唐草、すなわち実在しない花を組み合わせた唐草文がめぐる。身では上方に同じ唐草を、下方に格挟間と呼ばれる区画文様を配する。蓋裏と内底には、僧が供養に撒く散華が線刻で描かれている。

色彩も意匠の一部である。外面には鍍銀を、題字の区画内や底の裏には鍍金を施し、文様には金と銀を併用した。光の向きによって金と銀が互いを引き立て合う作りで、華やかというよりも落ち着いた趣をたたえる。土に埋めるために作られた器にふさわしい仕上げといえる。

経箱を見る、そして横川へ

経箱が収められている京都国立博物館は、東山区の三十三間堂の向かいに位置し、清水寺へも歩いて行ける距離にある。傷みやすい金銅の国宝であるため常時公開されているわけではなく、展示は時期によって入れ替わる。訪ねる前に展覧会の予定を確認しておきたい。館の平常展示には、彰子の父である藤原道長が奈良の山中に埋めた金銅経筒(国宝)も収められており、両者がそろえば父と娘の埋経をあわせて見ることができる。

経箱の故地をたどるなら、出土地の横川を訪ねるのもよい。横川は延暦寺の最北にあり、東塔地域からシャトルバスで十五分ほどで着く。昭和四十六年(一九七一年)に再建された朱塗りの横川中堂は、舞台造りの構えが水に浮かぶ舟を思わせる。近くには写経の伝統が始まった地に立つ根本如法塔があり、円仁以来の如法写経は今も毎年営まれている。

Q&A

Qこの経箱はどのようなものですか。
A平安時代に作られた金銅製の小箱で、書写した法華経を納めて土中に埋めるための器です。大きさは縦約二七センチほどで、大正十三年に比叡山横川から出土しました。
Q上東門院とは誰ですか。
A藤原道長の娘で、一条天皇の中宮、そして二代の天皇の母となった藤原彰子のことです。晩年に上東門院と称しました。長元四年に自ら法華経を書写し、この経箱に納めて埋納したと伝えられます。
Qなぜ経典を地中に埋めたのですか。
A当時の人々は、仏の教えが衰える末法の世が訪れると考えていました。写経を筒や箱に封じて埋めるのは、未来に現れる弥勒の世まで経を残し、施主の功徳を積むための行いでした。
Qいつ訪れても実物を見られますか。
A必ずしも見られるとは限りません。光に弱い金銅製のため、公開は特定の時期に限られます。展示室は展覧会の合間に閉室することもあるので、京都国立博物館の予定を事前に確かめてください。
Q今の比叡山とのつながりはありますか。
Aあります。出土地の横川は円仁が法華経を最初に書写した場所で、横川中堂や根本如法塔を訪ねることができます。堂の名の由来となった如法写経も、現在まで続けられています。

基本データ

名称金銅経箱〈叡山横川如法堂埋納〉
指定区分国宝(工芸品)
時代平安時代
員数一合
寸法縦二七・一センチ、横一二・一センチ、高さ八・三センチ
出土大正十三年(一九二四年)十月、比叡山横川如法堂跡
重要文化財指定大正十五年(一九二六年)四月十九日
国宝指定昭和二十七年(一九五二年)三月二十九日
所有者延暦寺(滋賀県大津市)
所蔵京都国立博物館(京都府京都市東山区茶屋町五二七)
公開状況展示替えあり。観覧の可否は博物館の展示予定で要確認

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/336
文化遺産オンライン(国立文化財機構)
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/177962
天台宗 慈覚大師円仁
https://www.tendai.or.jp/daihoue/profile/jikaku.html
比叡山延暦寺 横川
https://www.hieizan.or.jp/keidai/yokawa
京都国立博物館
https://www.kyohaku.go.jp/jp/

最終更新日: 2026.06.08