散華を盛る器、神照寺の金銀鍍透彫華籠

琵琶湖の北東、滋賀県長浜市の神照寺に、径およそ二十八・五センチの銅の皿が十六枚収まっている。少し離れて見ると一枚の盤に映るが、近づくと表面は花と蔓の透かしに変わり、地の部分が切り抜かれて向こう側の光が透ける。これが国宝の金銀鍍透彫華籠である。

華籠は、仏教の法会で散華に用いる器をいう。諸仏を供養する際、蓮の花弁をかたどった紙片や生花を撒く所作があり、その花を盛るのが華籠の役目であった。古くは竹を編んだ籠が用いられ、正倉院の伝世品にもその例が見える。神照寺の十六枚は、同じ用途の器を金属で精緻に作り上げた、後の時代の好尚を示す一群といえる。

作りはこうである。銅の円板を皿形に打ち出し、地を切り透かして宝相華唐草文を表す。宝相華は蓮や牡丹、石榴などを理想化して組み合わせた架空の花文で、唐草の先に咲くように配される。内外の両面に鍍金を施し、外面では花弁などの要所にさらに鍍銀を加える。縁には鍍金の覆輪をめぐらし、一枚の全体が金と銀の二色で照り分ける。

国宝に指定された理由

この十六枚は、昭和十二年(一九三七年)五月に重要文化財、昭和二十七年(一九五二年)十一月に国宝へと指定された。指定番号は八十二号である。装飾を凝らした華籠は他にも残るが、意匠と技法の両面でこの一群が最も優れると評価されている。

注目されるのは、複雑さのなかにある節度である。密に展開する唐草文は硬く生硬になりやすいが、鏨の運びはあくまで自在で、細部の仕上げも過度に作り込まない。彫金の遺品のなかでも屈指の優品とされ、日本の金工史における一つの到達点を示す。

文化庁のデータベースは時代を鎌倉とする。一方、博物館の研究では制作年代に幅があるとされ、十六枚は二群に分けられる。古式で出来の優れた五枚は平安時代末、十二世紀ごろにさかのぼると考えられ、残る十一枚は十四世紀の南北朝期に置かれる。一つの図様がおよそ二世紀にわたって繰り返され、変化していった様子がうかがえる。

細部に見る彫金の技

一枚の中心から外へ、文様の流れを追ってみたい。意匠は中央から三方へ放射し、三つの区画が互いに対応する三方相称にまとめられている。外面は単に透かすだけでなく、鋤彫りによって花を地よりわずかに浮かせ、花芯には細い線刻が添えられる。透かしの内側に、もう一段静かな彫りが重ねられている。

次に色の対比に目を向けたい。鍍金は両面に及ぶが、鍍銀は外面の花弁や要所のみに限られる。金と銀が接するところで、花の各部が顔料を用いずに色で分かれる。縁をめぐる鍍金の覆輪が、一枚ごとの輪郭を引き締めている。

裏面を返すと、用い方の名残が見える。底の三カ所に釣鐶が打たれ、組緒を通して総角に結び、先には円頂の八角錐をなす鍍金の露金具が下がる。横一列に吊るされた華籠は、花弁を取り出すたびにわずかに揺れたであろう。

十六枚すべてが常に寺にあるわけではない。うち二枚は京都国立博物館に収まり、この一群は海外の展覧会にも出陳されてきた。特定の一枚を目当てにする場合は、展示替えがあることを見込んでおきたい。

萩の寺、神照寺とその周辺

神照寺は寛平七年(八九五年)、宇多天皇の勅願によって開かれた、長浜で最も古い寺院である。平安から鎌倉にかけては三百を超える堂宇が連なる大寺であったとされるが、たび重なる戦火で規模を縮めた。戦国期には浅井氏が再興し、のちに豊臣秀吉が大規模な修復を行っている。真言宗智山派に属する。

地元では、華籠よりも庭で知られている。境内には二万本ともいわれる萩が群生し、初秋になると赤紫や白の花が参道を覆う。室町幕府の初代将軍足利尊氏が、弟直義との和議の帰路に当寺へ立ち寄り、萩を植えたと伝えられている。寺にはこのほか、半肉彫の千手観音立像など平安から鎌倉期の仏像も残る。

境内はJR長浜駅からおよそ三・五キロ、タクシーか路線バスで神照寺前のバス停まで向かう。車であれば北陸自動車道の長浜インターチェンジから十分ほどで、駐車場もある。長浜の町なかには黒壁スクエアの古い商家の町並みが残り、湖岸からは竹生島へ渡る船も出ている。

寺宝は予約制で公開され、おもに水曜と日曜の午後に拝観できるが、華籠が常時並ぶわけではない。訪ねる際は事前に連絡し、何が出ているかを確かめておくとよい。

Q&A

Q華籠とは何に使う器ですか。
A仏教の法会で散華に用いる器です。諸仏を供養する際に花弁や花弁形の紙片を撒く所作があり、その花を盛るのが華籠です。神照寺のものは、本来は竹で編んだ器を金属で精緻に作り直した華やかな例にあたります。
Q実物を見ることはできますか。
A寺宝は予約制で公開され、おもに水曜と日曜の午後に拝観できます。事前の連絡が必要で、拝観料がかかります。博物館へ貸し出されることもあるため、予約の際に何が展示されるかを確かめてください。
Qいつ頃に作られたものですか。
A文化庁のデータベースは鎌倉時代としています。博物館の研究では二群に分けられ、古式の五枚は平安時代末の十二世紀ごろ、残る十一枚は十四世紀の南北朝期に位置づけられています。
Qなぜ金と銀の両方を使うのですか。
A両面に鍍金を施したうえで、外面の花弁や要所のみに鍍銀を重ねています。金と銀の色の違いによって、顔料を用いずに花の各部を描き分けることができます。
Q神照寺を訪ねるのに良い季節はいつですか。
A萩が咲く初秋がもっとも人気で、寺が萩の寺と呼ばれる所以でもあります。ほかの時期は人出が少なく、庭や堂宇を静かに眺めることができます。

基本情報

名称金銀鍍透彫華籠(きんぎんとすかしぼりけこ)。博物館では金銀鍍宝相華文透彫華籠などとも表記される
指定区分国宝(工芸品)/指定番号八十二号
指定年月日重要文化財 昭和十二年(一九三七年)五月二十五日/国宝 昭和二十七年(一九五二年)十一月二十二日
員数十六枚
時代データベース上は鎌倉時代。古式の五枚は平安時代末、ほかは南北朝期とする見方がある
品質・技法銅の打ち出し、透彫、肉彫り、鍍金および部分的な鍍銀
寸法径約二十八・五センチ、深さ約三・九センチ、露金具長四・二センチ
所有者神照寺(滋賀県長浜市)
拝観寺宝は予約制で公開。うち二枚は京都国立博物館に収蔵

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/370
文化遺産オンライン(国立文化財機構)
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/159295
京都国立博物館 名品紹介
https://www.kyohaku.go.jp/jp/collection/meihin/kin/item06/
長浜市 指定文化財
https://www.city.nagahama.lg.jp/section/bunkazai/sitei/zinsyouzi/kego.html
滋賀県観光情報(びわこビジターズビューロー)
https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/28783/

最終更新日: 2026.06.08