中国で失われた字書、その本来の姿を残す唐代写本

巻物を繰っていくと、一つの漢字が二度あらわれる。はじめに親字が大きく書かれ、続いて小さな文字の列が、その字の音と意味を細かく注していく。ここに記されているのは字書、それも飛び抜けて古い字書の一節である。

書名を『玉篇』という。中国南朝の梁で、学者の顧野王(こやおう、519〜581年)が543年に編んだ漢字字典である。本来は全30巻、9千字を超える漢字を収め、一字ずつを部首によって分類していた。この部首分類の方式は、後漢の『説文解字』が立てた540部の体系を受け継いだものにあたる。

石山寺に残るのは、その第廿七巻の後半部分である。ただし巻物の文字そのものは梁代のものではない。数百年を下った唐の時代に書き写され、海を渡って日本へもたらされた写本である。この巻が収めるのは、糸偏(糸部)と索の部に属する漢字、すなわち糸・縄・織物にかかわる字である。糸部はこの巻で始まるのではなく、京都の高山寺が所蔵する巻第廿七の前半から続いている。前半と後半はもともと一つながりの巻物であり、後の世に二つに分かたれた。

中国の写本が日本の国宝である理由

『玉篇』が特異なのは、顧野王が編んだそのままの形が、現在は存在しない点にある。1013年、北宋の陳彭年らが字書を改編し、引用や詳しい注の多くを削った短い版『大広益会玉篇』をまとめた。中国で受け継がれたのはこの簡略版であり、顧野王の手になる豊富な引用を備えた原形は、本国では散逸した。

その原形が残ったのが日本であった。僧や使者によってもたらされた唐代の写本が、詳細な注を備えた本来の姿をとどめている。学界がこれを「原本玉篇」と呼んで区別するのは、後の簡略版と峻別するためである。この原本系の写本のうち4件が国宝に指定されている。東京の早稲田大学が蔵する巻第九、伊勢神宮に伝わる完本の巻第廿二、そして高山寺と石山寺に分蔵される巻第廿七の前半・後半がそれである。

価値は希少さだけにとどまらない。顧野王の注は先行する古典や注釈書を数多く引用しており、その出典のなかには後世にことごとく失われた書も少なくない。読み込めば、この字書は今では他に伝わらない文章を抱え込んだ貴重な資料となる。中国語の歴史をたどる研究にとっても、千年以上前に消えた典籍を復元する作業にとっても、これらの巻は一次資料である。文化庁がこの巻を国宝に指定したのは1952年(昭和27年)3月29日であった。

料紙の裏面にも手がかりが残る。日本に渡来した後、10世紀前半に、ある書き手がその空白の裏を使って密教の経典類を書写した。国の文化財データベースはこの紙背の文を「如意輪陀羅尼経」と記録し、石山寺は裏面の書写を、如意輪観音にかかわる六種の次第・注釈である「護摩科文六種」とする。いずれにせよ密教関係の書写であり、石山寺の本尊たる如意輪観音そのものへとこの巻を結びつける。同時に年代も定まる。この書写が行われた時点で、字書はすでに日本へ渡り、なお分割されない一巻であった。

見られるのか、何に注目するか

巻物そのものを前にしたいと願う向きには、率直に伝えておきたい。実物が公開されることはまずない。公開の記録は事実上見あたらず、千年を経た脆い紙の写本を暗所で保管する以上、それは当然のことである。

寺が開くのは、春と秋の「石山寺と紫式部」展の会期にあわせた宝物館「豊浄殿」である。展示は入れ替えられ、寺は経典・聖教類の厚い所蔵から品を選び出す。その蔵の豊かさゆえに、石山寺は古くから「近江の正倉院」とも呼ばれてきた。2025年には、この巻の裏面にあたる護摩科文六種が公開された。字書そのものに行き当たるのは稀な幸運だが、展示の場こそ、その機会がありうる唯一の場所である。

もし原本系の『玉篇』や良質な複製を目にする折があれば、本稿の冒頭で触れた二段構えの体裁を探してほしい。太く記された親字、その下に連なる音義の細字である。筆致にも目を向けたい。唐の写経生たちと地続きの、規律ある写本文化の手である。石山寺本の糸部の連なりは、別種の「糸」として、この後半を京都の前半へとつないでいる。

石山寺とその周辺

この巻が伝わるのは、国内でも屈指の趣ある寺である。石山寺は、琵琶湖が南へ流れ出る瀬田川の右岸、大津市に位置する。東寺真言宗の大本山であり、奈良時代、伝承では747年(天平19年)に、聖武天皇の発願を受けて良弁が開いたとされる。本尊は如意輪観音で、秘仏として33年に一度のみ開扉される。

「石山」の名は文字どおりである。滋賀県最古の木造建築であり国宝の本堂は、硅灰石(けいかいせき)と呼ばれる淡い結晶質の巨大な岩盤の上に直に建つ。この岩は珍しさゆえに天然記念物に指定されている。本堂の上手には、同じく国宝で日本最古とされる多宝塔が立ち、建久5年(1194年)に源頼朝が寄進したと伝えられる。多くの参拝者を惹きつけるのは文学との縁であろう。紫式部はこの地で『源氏物語』を起筆したと伝わり、川面に映る秋の月の眺めは近江八景「石山秋月」として知られた。

京都からの便はよい。新快速でJR石山駅まで約13分、そこからバスで山門前まで短い距離である。京阪石山坂本線なら石山寺駅で降り、境内まで徒歩でおよそ10〜15分を要する。寺の庭は春の梅と桜、晩秋の鮮やかな紅葉で知られ、紅葉の季節には夜間の斜面が灯りに浮かぶ。

Q&A

Q実物の巻物を見ることはできますか。
Aまず難しいとお考えください。この写本には公開の記録が事実上なく、保存のため収蔵されています。ただし宝物館「豊浄殿」では春と秋の展示会期に寺宝が入れ替えで公開され、2025年にはこの巻の裏面が展示されました。関連するものに出会う機会としては、この展示が最も可能性があります。
Q『玉篇』とはどのような書物で、なぜ重要なのですか。
A543年に編まれた漢字字典で、漢字を部首ごとに並べ、各字の音と意味を注したものです。中国では原形が失われ、唐代の写本が日本にのみ残りました。注に引かれた多くの典籍が後世に失われたため、この字書は他に伝わらない文章を保つ資料となっています。
Qほかの現存部分はどこにありますか。
A4件が国宝です。巻第九は東京の早稲田大学、完本の巻第廿二は伊勢神宮にあり、巻第廿七は前半を京都の高山寺、後半を本稿で扱う石山寺が所蔵します。巻第廿七の前半と後半は、もとは一巻の巻物でした。
Q石山寺へはどう行けばよいですか。
A京都からはJR新快速で石山駅まで約13分、そこから江若バスや京阪バスでおよそ10分、「石山寺山門前」で下車します。あるいは京阪石山坂本線で石山寺駅まで行き、山門まで徒歩約10〜15分です。
Q宝物館はいつ開いていますか。
A豊浄殿が開くのは「石山寺と紫式部」展の会期のみで、春季は3月中旬から6月末、秋季は9月から11月にかけてです。入館は午前10時から午後4時ごろ(最終入館は午後3時45分)。境内自体は午前8時から拝観でき、最終入山は午後4時ごろです。会期は年により変わるため、訪問前に公式サイトをご確認ください。

基本情報

名称玉篇巻第廿七〈後半〉(ぎょくへんまきだいにじゅうなな)
指定区分国宝(書跡・典籍)
国宝指定年月日1952年(昭和27年)3月29日
指定番号00076
員数1巻
国・時代中国・唐時代(写本)。本文は543年・梁の顧野王が編纂
収載内容糸部・索の部に属する漢字。糸部は高山寺所蔵の前半から続く
紙背10世紀前半に書写された密教の文(データベースは如意輪陀羅尼経と記録、石山寺は護摩科文六種とする)
所有者石山寺
所在地滋賀県大津市

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)「玉篇巻第廿七〈後半〉」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/617
大本山 石山寺 公式ホームページ(寺宝・文化財)
https://www.ishiyamadera.or.jp/about/treasure
世界遺産 栂尾山 高山寺 公式ホームページ(国宝・玉篇巻第廿七ほか)
https://kosanji.com/about/national_treasure/
e国宝(国立文化財機構)「玉篇巻第九残巻」原本玉篇の解説
https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=101353
滋賀県観光情報 公式観光サイト(石山寺)
https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/94/

最終更新日: 2026.06.09