銘のない花崗岩の塔

寂照寺の境内に立つこの石塔には、刻まれた文字が一つもない。名も、年号も、施主の名も残らない。だから、いつ造られたのかを確かめる手がかりは、塔そのものの姿しかない。無銘で来歴も明らかでないが、各部の形式からは鎌倉時代後期、おおむね一二七五年から一三三二年ごろの作とみられている。

所在地は滋賀県の南東部、鈴鹿山脈の西麓に開けた蒲生郡日野町の蔵王。田畑のなかにある小さな寺院、寂照寺がこの塔を守っている。材は花崗岩。台石から笠石までの高さは約一・二五メートルで、頂部の相輪は後補のため、この寸法には含まれていない。

形式は石造の宝篋印塔である。名は宝篋印陀羅尼経に由来し、この経を納め、あるいは供養するために建てられた塔をこう呼ぶ。方形の基礎の上に塔身、その上に段型の笠、四隅から立ち上がる隅飾、そして相輪を載せるのが基本の構成で、中世の各地で死者の供養塔や造塔供養の塔として数多く造立された。

文字のない石から年代を読む

寂照寺宝篋印塔が重要文化財に指定されたのは、昭和三十六年(一九六一年)三月二十三日。指定の根拠は文献ではなく、石の形そのものにある。なかでも決め手になるのが、笠の四隅の隅飾だ。

この塔の隅飾は一弧で無地、馬の耳のような形をしている。外へ反らずほぼ垂直に立ち、その面は下の軒付の面とそろって、両者がひと続きの平面として彫り出されている。ここが要点である。時代が下ると宝篋印塔の隅飾は次第に外へ開き、装飾も加わっていく。垂直に立ち、軒付と同面で無地という姿は古い形式に属し、この古様こそが本塔を鎌倉時代に位置づけ、貴重とする根拠になっている。

笠は上五段、下二段の段型に積み上げられ、その輪郭は数百年の風雨を経てなお明瞭だ。

こうした細部からの年代判定には限界もあり、解説もそこは率直である。確かな銘があるわけではなく、古い形式をよく残している点においてこの塔は評価されている。

塔の前に立って見るべきところ

まず塔身、中央の方形の石を見たい。四つの面それぞれに、光背の形にくぼめた枠のなかへ仏が一体ずつ低い浮彫で刻まれている。四方仏である。多くの宝篋印塔では四方仏を梵字の種子一文字で表すことが多く、こうして仏の像そのものを彫り出している点は、この塔の見どころの一つになっている。

次に基礎へ目を移す。四側面それぞれに彫りの浅い格狭間が刻まれ、その内に三茎蓮の文様が浮彫にされている。格狭間は重い石の塊に区画と軽みを与えるために石工が用いた装飾で、四面すべてに同じ三茎蓮が配される。

最後に頂部を見ると、ひとつ釣り合いのずれに気づく。相輪は後補で、本来の頂部が失われたのちに姿を整えるべく加えられたものだ。だから古い花崗岩の本体とは、その比例がわずかに離れている。この継ぎ目を見分けることも、石塔を正しく読むことの一部である。

この塔は、はじめから今の場所に立っていたわけではないらしい。地元の記録によれば、もとは東隣の金峯神社の前にあったものを、県道拡幅のため大正三年(一九一四年)に現在の境内へ移したと伝わる。集落の名「蔵王」は吉野の蔵王権現に通じ、寂照寺は吉野からその信仰を勧請した修験の徒によって開かれたと考えられている。いずれも確証のある来歴ではないが、寡黙な花崗岩に、その大きさからは見えてこない長い背景を添えている。

日野をめぐる

日野はゆっくり歩きたい町だ。近江商人のふるさとの一つで、この滋賀の一角から各地へ商いに出た日野商人を生み、戦国の武将・蒲生氏郷もこの地で生まれた。町には今も商家の町並みが残り、近江日野商人館が、彼らが遠国で身代を築いた道のりを伝えている。

町の産土神である馬見岡綿向神社は駅から数キロ離れた位置にあり、塔とあわせて訪ねるとよい。五月二日・三日に行われる春の例祭、日野祭は曳山が町を巡る賑やかな祭礼で、県指定の無形民俗文化財になっている。日野は中世の石造物が集まる土地でもあり、町内の比都佐神社にも国指定の宝篋印塔が立つので、一度の旅で複数を見て回ることもできる。

寂照寺へ行くには少し算段がいる。最寄りは近江鉄道の日野駅だが、駅は町の西の外れにあり、見どころは東側に広がっている。駅からは近江バスや町のコミュニティバスを乗り継いで歩くか、駅近くで自転車を借りる手もあるが、寺へ直接向かう便はなく、車が最も楽だ。塔は寺務所の真向かいに立つ。駐車の場所はあり、見学の前に寺へ一声かけたい。

Q&A

Q塔は自由に見学できますか。
A見学できます。塔は寂照寺の境内、寺務所の真向かいに立っており、間近で見ることができます。寺務所が塔に面しているため、見学の前に一声かけるのが礼儀にかないます。車を停める場所もあります。
Q銘がないのに、なぜ鎌倉時代とわかるのですか。
A文字ではなく形式からの判断です。笠の隅飾がほぼ垂直に立ち、軒付と同面で彫られている点は古い形式で、時代が下ると隅飾は外へ開き装飾も加わります。この古様に、基礎や塔身の彫りもあわせて、十三世紀後半から十四世紀前半の作と位置づけられています。
Q塔身に彫られているのは何ですか。
A四方仏です。四面それぞれに、光背の形にくぼめた枠のなかへ仏が一体ずつ浮彫にされています。宝篋印塔では四方仏を梵字の種子で表す例が多く、像として彫り出されている点がこの塔の特色の一つです。
Q頂部だけ様子が違って見えるのはなぜですか。
A相輪が後補だからです。もとの頂部は失われ、姿を整えるために後から載せられたため、下の古い花崗岩とは比例がそろっていません。約一・二五メートルという高さは笠石までを測った数値で、相輪は含みません。
Q公共交通で寂照寺へ行くには。
A最寄りは近江鉄道の日野駅です。駅から北畑口方面の近江バス、または日野町のコミュニティバスを利用して残りを歩くか、駅近くでレンタサイクルを借ります。便数は多くなく、車のほうがはるかに簡単なので、バス利用なら事前に時刻を確認してください。

基本情報

名称寂照寺宝篋印塔(じゃくしょうじほうきょういんとう)
所在地滋賀県蒲生郡日野町大字蔵王
指定区分重要文化財(建造物)/昭和三十六年(一九六一年)三月二十三日指定
時代鎌倉時代後期(一二七五〜一三三二年)
構造・形式石造宝篋印塔、花崗岩製
員数一基
高さ約一・二五メートル(台石から笠石まで。相輪は後補)
所有者寂照寺
アクセス近江鉄道日野駅から近江バスまたはコミュニティバスと徒歩、もしくは駅周辺でレンタサイクル。車での来訪が最も実用的。塔は寺務所の真向かいに立ち、駐車場所あり。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)/寂照寺宝篋印塔
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/1490
文化遺産オンライン(国立文化財機構)/寂照寺宝篋印塔
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/200419
日野町文化財保存活用地域計画(資料編・町指定等文化財一覧)
https://www.town.shiga-hino.lg.jp/cmsfiles/contents/0000008/8039/hino-bunkazaikeikaku_20.pdf
日野観光協会/馬見岡綿向神社・周辺案内
https://hino-kanko.jp/sight/umamioka/

最終更新日: 2026.06.03