家を守るために書かれた、ある酒造家の記録

江戸時代の元禄から宝永にかけて、河内国の在郷で一人の酒造家が筆をとった。読み手として想定したのは、まだ見ぬ自分の子孫である。名を壷井五兵衛(1636〜1713)といい、河内屋可正(かわちやかしょう)の号で知られる。広い田畑を持ち、酒造りを営みながら、暇を見つけては書物に向かう人物であった。可正の書き残した記録は、現在は九点が一括して重要文化財に指定されており、近世の上層農民が金銭や家、学問、そして身を保つことについてどう考えていたかを知る手がかりになる。

可正が暮らしたのは、いまの大阪府南河内郡河南町にあたる大ヶ塚の寺内町である。かつて栄えていた近隣の家々が次々と没落していくさまを目のあたりにし、家を傾けないためには何が要るのか、という問いに向き合った。その答えが、数冊におよぶ記録となった。

三代にわたる九点の史料

指定された九点のうち、六点は可正自筆の記録である。中心となるのは、一般に『河内屋可正旧記』と呼ばれる五冊で、可正自身は「大ヶ塚来由記」と題した。大ヶ塚の由来や家々の興亡を書きとめ、そこから引き出した処世の教えを織り込んでいる。いずれも半紙を料紙とする横帳を合綴したもので、丁寧な筆致から、控えとして整えた清書本とみられている。

何を読んだかが、何を書いたかに表れている。『旧記』には、江戸時代前期に広まった出版物の影響が見える。『太平記』の講釈書である『太平記評判秘伝理尽鈔』や、浅井了意が万治二年(1659年)に著した仮名草子『堪忍記』などである。可正は、楠木正成を理想の統治者として繰り返し取り上げた。また、大ヶ塚の歴史を叙述する際、事実を述べたあとに「評に云」と記して自分の考えを添える書き方は、『太平記』の講釈書と通じている。

『旧記』と並行して書かれたのが、一冊の『可正雑記』である。見聞きしたことや読書で得た知識、自身の考えを当座の覚えとして書きとめたもので、折紙綴葉装の冊子になっている。半紙や杉原紙を用いるが、不要になった文書の裏を使った反故紙の丁も多い。和歌をはじめ文芸に関する記述が充実している点に特色がある。

残る三点は、この営みを次の二代へと引き継いだ記録である。可正の子・清左衛門(可晴)と孫の小三郎が書きついだ『河内屋年代記』二冊で、うち一冊は二三七丁におよぶ大部のものである。享保十年(1725年)十月に、父から孫へとこの記録が引き継がれたことが知られる。さらに「壷井家系図」一巻が加わり、誰が何を著したのかを記して、史料全体を結びつけている。

重要文化財に指定された理由

歴史家が用いる近世の記録の多くは、武士の役人や寺院、大きな商家が残したものである。たとえ豊かであっても、農民が個人で書いた詳細な記録はそう多くない。可正自筆の六点は、同じ時代に上層農民が個人で著した記録としては群を抜いて内容が豊かであり、令和二年(2020年)九月三十日に国の重要文化財に指定されたのも、その点が評価されたためである。

その価値は、思想の面にもある。悪を改めて善を修め、家を斉えようとする可正の心構えは、自前の処世の倫理というべきもので、のちに石門心学として体系化される商人道徳とも通じている。民衆思想史の研究では『旧記』が重要な史料として扱われてきた。思想史家の安丸良夫は、日本の近代化に先立って庶民のあいだに広まった自己規律的な理想、いわゆる通俗道徳を論じるなかで、この記録を取り上げている。一人の村の読書人が蔵書をそろえ、読書によって教養を高め、ついには自ら書物を残すにいたった過程が、一家の史料のなかに見てとれる。

大ヶ塚をたずねる

原本は滋賀県内で個人が所蔵しており、常時公開はされていない。そのため、史料そのものを見学することはできない。かわりに訪ねたいのが、可正が暮らし、筆をとった大ヶ塚である。大阪の南東、河南町にあるこの古い寺内町は、いまも当時のおもかげをとどめ、石川を見下ろす台地の上に細い道が続いている。

町の中心にあるのが、地元で大ヶ塚御坊と呼ばれる顕証寺で、元亀年間(1570年代初め)に集落の信仰の核として開かれた。九月のはじめの三日間には、四百年ほどの歴史をもつ八朔市が立ち、かつては奈良や和歌山、滋賀からも人が集まったという。近くの大念寺は、国指定重要文化財の木造十一面観音立像を所蔵している。

可正の文章そのものを読みたい場合は、野村豊・由井喜太郎が編んだ翻刻が手がかりになる。1955年に刊行され、その後も版を重ねたこの本は、『旧記』とその関連史料の基本となる校訂版である。

Q&A

Q原本を見ることはできますか。
Aいいえ。原本は滋賀県内で個人が所蔵しており、公開されていません。内容に触れるには、野村豊・由井喜太郎編の翻刻(1955年)を読むか、可正の暮らした大ヶ塚を訪ねるのがよいでしょう。
Q河内屋可正とはどんな人物ですか。
A本名を壷井五兵衛(1636〜1713)といい、河内国の大ヶ塚村(現在の大阪府河南町)で田畑を持ち酒造業を営んだ上層農民です。河内屋可正は、その号です。
Q指定された九点には何が含まれますか。
A『河内屋可正旧記』五冊と『可正雑記』一冊(可正自筆の六点)、さらに子と孫が書いた『河内屋年代記』二冊と「壷井家系図」一巻の、あわせて九点です。
Q農民の記録がなぜそれほど重視されるのですか。
A江戸時代の農民が個人で書いた詳細な記録は数が少なく、歴史家が使う史料の多くは武士や寺院、大商人が残したものです。可正の記録は一人の上層農民が残したものとしては内容が豊かで、村のなかに読書と自前の倫理が根づいていく様子がわかります。
Q可正ゆかりの場所を訪ねるには。
A大阪府河南町の大ヶ塚寺内町がよいでしょう。中心の顕証寺や、九月はじめの八朔市があります。近くの大念寺には重要文化財の木造十一面観音立像があります。

基本情報

名称河内屋可正関係資料(かわちやかしょうかんけいしりょう)
指定区分重要文化財(歴史資料)/2020年(令和2年)9月30日指定
員数9点
時代江戸時代(17〜18世紀)
作者河内屋可正(壷井五兵衛)および子孫
所在地滋賀県内(個人蔵・非公開)
ゆかりの地大阪府南河内郡河南町大ヶ塚
翻刻野村豊・由井喜太郎編『河内屋可正旧記』(清文堂出版、1955年)

References

文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/00011938
文化遺産オンライン(国立文化財機構)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/597889
コトバンク「河内屋可正」
https://kotobank.jp/word/河内屋可正-1067977
河南町公式サイト「顕証寺」
https://www.town.kanan.osaka.jp/soshiki/machisozobu/norinshokokankoka/gyomuannai/2/2/1096.html
山中浩之「(研究展望)『河内屋可正旧記』の現在」(日本史研究670、2018年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonshikenkyu/670/0/670_35/_article/-char/ja/

最終更新日: 2026.06.14