南花沢のハナノキ ― 主幹を失っても咲き続ける御神木

平成22年(2010年)8月4日、滋賀県東近江市南花沢町に立つ一本のハナノキの主幹が倒れた。落雷などの影響で内部が空洞化し、長く樹勢の衰えに苦しんでいた幹である。市は土壌を改良し、南側の幹に支柱を添えて回復に努めていたが、腐朽の進行は止まらなかった。それでもこの木は枯れなかった。残った西側の枝から新しい芽と枝が伸び、倒壊の翌春には、また多くの花を咲かせている。倒れた主幹は、いま八幡神社の拝殿のかたわらに注連縄を張られて安置されている。

これが南花沢のハナノキである。大正10年(1921年)3月3日に国の天然記念物に指定された。八幡神社の境内に生育し、同社の神木でもある。国が個体として天然記念物に指定したハナノキは全国に三株あるが、そのなかでこの木は、ハナノキの分布として日本で最も西に位置するという特徴を持つ。

本来の自生地から遠く離れた木

ハナノキ(学名 Acer pycnanthum)はカエデ科の落葉樹で、本来の分布域は東に偏る。長野・岐阜・愛知の三県、おもに木曽川流域の湿地周辺に自生する樹種である。南花沢のハナノキも、約600メートル離れた北花沢のハナノキも、この自生域からは外れた場所に立っている。両木とも自然に生えたものではなく、人の手で他所から移植されたと考えられている。

では、なぜこの地にあるのか。それを説く伝承が古くから残されている。湖東三山のひとつ百済寺を開基したとされる聖徳太子が、寺の建立にあたって当地を訪れ、仏法の繁栄を祈願した。そのとき御供えの箸を二本、南北それぞれの花沢の地に一本ずつ突き刺したところ、両方とも根づいて大きな木に育った ― という。地元では、花沢という地名そのものがこの二本のハナノキに由来すると伝えられている。

箸の真偽はともかく、この木が指定よりはるか以前から知られていたことは確かである。享保19年(1734年)に成った地誌『近江輿地志略』は、南花沢村の「花の樹」を北花沢村の一株とあわせて取り上げ、春秋の彼岸に花を咲かせる異樹として記している。江戸時代にはすでに、書き留めるに値する木だったのである。

指定の理由と価値

指定にあたっての調査では、この木は目通りの幹囲がおよそ3.6メートル、上部は二本の大きな枝に分かれ、幹は健全で生育も盛んと記録された。北花沢のハナノキとともに、古くから著名な巨樹として並び称されている。大きさ・古さ・希少性のそろったこの木は、名木・巨樹・老樹を対象とする指定基準のもとで保護されることになった。

樹齢の見積もりは資料によって幅があり、250年以上とするものから、およそ450年とするものまである。木の生長にともない、後年の計測ではより大きな幹囲が記録された。20世紀後半にはハナノキとして日本最大の巨樹とみなされ、平成2年(1990年)には、その年に開かれた国際花と緑の博覧会にあわせて選定された「新・日本名木100選」のひとつに選ばれている。この木の価値は寸法だけにあるのではない。本来の自生地から遠く運ばれ、神木として敬う地域の人々によって何世紀も生かされてきた、その歩みそのものにある。

見どころ

「花の木」というその名のとおり、ハナノキは4月の初めに花をつける。葉に先立って、葉のない枝いっぱいに小さな紅色の花が群がり、樹冠全体が深い赤に染まる。見頃は短い。花の盛りはおよそ一週間にとどまるため、訪れる時期の見きわめが肝心になる。なお、ハナノキは雄花と雌花を別々の木につける雌雄異株で、南花沢の木は雄株にあたる。樹勢が衰えたとき、岐阜から雌の苗木が取り寄せられて近くに補植されたのは、このためである。

秋には、緑から赤、そして黄へと移ろう紅葉が、ゆるやかな第二の見どころとなる。だが、訪れる人の心に残るのは、季節の色よりも倒れた主幹そのものかもしれない。拝殿のわきに据えられ、注連縄を張られた巨大な空洞の幹は、この木がかつて達した大きさと、どれほどの手当てをもってしても防ぎきれなかった老いの両方を、目の前に示している。その傍らで、いまは丈を低くした生きた木が、残った枝から先へと育っている。

神社の境内は開かれていて静かであり、木は一年を通じていつでも、料金もかからず見ることができる。入口に門があるわけでも、開門時間が決まっているわけでもない。ここは今も使われている村の鎮守であり、訪れる人にはただ、その場への敬意が求められる。

周辺の見どころ

あわせて訪ねたいのは、伝承のもう一本である。北花沢のハナノキは、国道307号を北北東へ少し進んだところ、約600メートルの距離に立っている。こちらも同じ大正10年の同じ日に国の天然記念物に指定された木で、二本を見て初めて、箸の伝承が語る話は完結する。

東へ約3キロメートルの地には、伝承の核となる百済寺がある。湖東三山と総称される三つの古刹のひとつで、いずれも秋の紅葉で知られる。ハナノキとこれらの寺をめぐる行程は、湖東の山あいで一日を過ごす計画として無理がない。南花沢のハナノキの隣には小さな農村公園があり、聖徳太子の像が置かれている。村がその木と地名の両方を負う人物への、ささやかな敬意のしるしである。

この木は鉄道の路線から離れた田園のなかにある。最も分かりやすいのは車での来訪で、名神高速道路の八日市インターチェンジから約10分、農村公園のわきに駐車場が用意されている。公共交通の場合は、湖国バスの「中里」バス停から徒歩およそ15分である。

Q&A

Q花が見られるのはいつ頃ですか。
A紅色の花は例年4月の初め頃に開き、盛りは一週間ほどです。年により気候で前後するため、特別に出かける前には現地の開花状況を確かめることをお勧めします。11月下旬には紅葉という別の見どころがあります。
Qもとの主幹はどうなったのですか。
A空洞化していた主幹が腐朽し、平成22年(2010年)8月4日に倒壊しました。木は西側の枝からの新しい生長によって生き続けており、倒れた主幹は拝殿のわきに注連縄を張って保存されています。
Q拝観料や開門時間はありますか。
Aありません。木は村の鎮守の開かれた境内にあり、いつでも自由に見ることができます。神社は現在も使われているため、参拝される際は節度ある振る舞いをお願いします。
Q北花沢のハナノキも同じ行程で見られますか。
Aご覧になれますし、ぜひお勧めします。北花沢のハナノキは国道307号沿いに約600メートルの距離にあり、大正10年の同じ日に国の天然記念物に指定されています。
Q車を使わずに行くにはどうすればよいですか。
A最も便利なのは湖国バスの「中里」バス停で、現地まで徒歩約15分です。周辺は田園地帯のため、多くの方には車での来訪のほうが分かりやすく、百済寺への足を延ばすこともできます。

基本データ

名称南花沢のハナノキ(みなみはなざわのハナノキ)
所在地滋賀県東近江市南花沢町546(八幡神社境内)
指定区分天然記念物
指定年月日大正10年(1921年)3月3日
樹種ハナノキ(Acer pycnanthum、カエデ科の落葉樹)。雄株。
記録された大きさ指定時の調査で目通り幹囲およそ3.6メートル。平成7年(1995年)の計測では地上1.3メートルでの幹囲約5.2メートル。樹齢は250年以上から約450年まで諸説あり。
備考空洞化していた主幹は平成22年(2010年)8月4日に倒壊し、拝殿わきに保存。木は新しい生長により存続している。
アクセス名神高速道路・八日市ICから車で約10分。湖国バス「中里」バス停から徒歩約15分。駐車場あり。
拝観無料。開かれた神社境内で、開門時間の定めなし。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)― 南花沢のハナノキ
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1555
文化遺産オンライン(国立情報学研究所)― 南花沢のハナノキ
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/162991
ウィキペディア(日本語)― 南花沢のハナノキ
https://ja.wikipedia.org/wiki/南花沢のハナノキ
滋賀県観光情報 公式観光サイト ― 南花沢と北花沢のハナノキ
https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/1672/
東近江市観光協会 東近江観光ナビ ― 北花沢と南花沢のハナノキ
https://www.higashiomi.net/media/miru/a182

最終更新日: 2026.05.25