琵琶湖西岸、水を軸につくられた城下町 ― 大溝の水辺景観

JR近江高島駅で降り、東南へ150メートルほど歩くと、野面積みの石垣に囲まれた小高い森が見えてくる。天正6年(1578年)に築かれた大溝城の天守台跡である。城そのものは残っていないが、町割りや家々の間を流れる水路、すぐ南東に広がる葦の茂る内湖を見れば、かつてこの城を中心に成り立っていた町の姿を読み取ることができる。

景観の選定範囲は滋賀県高島市南部の約1,384.1ヘクタールに及ぶ。比良山地と琵琶湖に挟まれた細長い土地で、暮らしのほとんどが水を軸に組み立てられてきた。琵琶湖の広い水面、静かな内湖の乙女ヶ池、旧城下町の井戸と水路、そして西側の山麓から流れ下る湧水である。

湖辺の交通の要衝

城が築かれるはるか以前から、この一帯は人の往来で機能してきた。古代には、都と北国を結ぶ官道のひとつ北陸道が通り、大溝はその三尾駅、そして琵琶湖の湖上交通の主要な湊であった勝野津に比定されている。日本海側と奈良・京都を行き来する人や物資がここを経由し、町は陸路と水路の結節点として育った。

長い往来の歴史は、町の形に痕跡を残している。集落は旧街道沿いに細長く連なる列村の形をとり、その構造は後の変化を経ても受け継がれてきた。明治初期の蒸気船の就航、昭和初期の鉄道の敷設と、大溝を取り巻く交通事情は移り変わったが、街道沿いに伸びる町並みは今も往時の成り立ちを映している。

水城と、その後の藩

天正6年(1578年)、織田信長の甥にあたる織田信澄が、近隣の新庄から拠点を移して大溝城を築いた。特徴は水の使い方にある。琵琶湖から砂州で隔てられた内湖の乙女ヶ池を外堀とし、川と堀を内側の守りとした。このように水に取り込まれた城は水城と呼ばれ、大溝城は「鴻溝城」の別名でも知られる。縄張は明智光秀の手によるとも伝わるが、確かな記録はない。

信澄が城主であった期間は短い。十六世紀末の混乱を経て城地は数人の手を渡り、江戸時代の初めに分部光信が入った。以後、分部家はこの地を陣屋として大溝藩を治め、明治維新で武家の支配が終わるまで十二代続いた。城の軍事的な役割が薄れるとともに、町は静かな藩の拠点へと落ち着いていった。

選定の理由

平成27年(2015年)1月、文化庁は「大溝の水辺景観」を重要文化的景観に選定した。高島市内では3件目の選定にあたる。平成17年(2005年)に新設されたこの区分は、人と環境のかかわりが時間をかけてつくり出した風景を保護するものである。場所をそのまま固定するのではなく、生きた景観を働かせ続けながら変化にも応じていく、動態保存と呼ばれる考え方を目指す。

大溝が選定された根拠は、中・近世に遡る城下町の空間構造が、住民が今も使う水の仕組みとともに残されている点にある。琵琶湖の水、内湖の水、山麓の湧水を巧みに用いて生活と生業を営んできた様子が、城の縄張から各戸の上水道に至るまで、現在の町に見える形で続いている。

訪れたときに見たいもの

まずは城の天守台跡から。石垣は自然石を加工せずに積み上げる野面積みで、隅は石をかみ合わせる算木積みの技法を用いる。城のわずかな遺構のひとつで、荒々しい石肌は南面に日が差す午後に撮ると映える。

天守台から南東へ目を移すと、地形は乙女ヶ池へと下っていく。かつて外堀をなした葦の内湖は今も残り、水面にはマツモやマコモが茂る。これらの水草は古くから畑の肥料や家畜の飼料として刈り取られ、個人所有の地先と共有地が併存し、刈取りの権利は入札で年ごとに決められた。湖辺の集落が共有資源をどう分け合ってきたか、その仕組みをはっきりと読み取れる場所である。

旧城下町では、足元の水に注目したい。江戸時代に遡る上水道の管と水路が、今も湧水や井戸水を各戸に届けている。水源と高低差のない地区では埋設した水道管で家々に配水し、西側の山麓に水源をもつ地区では、タチアガリと呼ばれる小さな分水施設で流れを分けている。乙女ヶ池と琵琶湖の間の砂州にある打下地区では、住民はかつて平時には舟運や漁に従事し、戦時には水軍を編成した。集落の琵琶湖側には高波と浸水を防ぐための石垣が築かれ、その石垣は今も湖岸に連なっている。

町のまわりを歩く

大溝はこぢんまりとしているので、数時間あれば歩いて回れる。分部家の陣屋で唯一現存する建物が、復原された正門の総門である。2024年4月にリニューアルし、案内拠点と小さな展示空間として再開した。約15分のCG映像が、かつての水城の姿を再現している。歴史好きに人気の御城印もここで扱う。近くの高島びれっじには、古い建物を改装した工房やカフェが集まり、湖畔の大溝港や分部神社も徒歩圏内にある。表通りだけでなく水路をたどる時間をとると、この町の組み立て方が見えてくる。歩きやすい靴とカメラを持って出かけたい。

Q&A

Q大溝へはどう行きますか。
AJR湖西線の近江高島駅で下車します。城跡は東南へ徒歩3〜5分ほど、旧城下町はそこから広がっています。琵琶湖西岸は京都から電車で約1時間です。
Q入場料はかかりますか。
A城跡、町並み、水路、乙女ヶ池の岸辺は誰でも自由に歩ける公共の空間で、料金はかかりません。総門の案内拠点は入館無料です。小規模な地域施設は平日に休むこともあるので、開館日は事前にご確認ください。
Q「重要文化的景観」とは何ですか。
A建物や物品ひとつではなく、人が環境とかかわって暮らし働くなかで形づくられた風景を保護する文化財の区分です。風景を使い続けながらその性格を守ることを目指すため、大溝は博物館ではなく今も人の住む町であり続けています。
Q水城の姿は今も見られますか。
A城の建物は残っていませんが、石積みの天守台跡があり、外堀の役割を果たした乙女ヶ池もそのかたわらに残っています。天守台に立って内湖を望むと、守りの仕組みがよくわかります。
Q滞在の目安はどのくらいですか。
A城跡、旧町並み、総門、乙女ヶ池を一周するなら半日ほどが目安です。地元の協議会によるガイドウォークに参加すると、水の仕組みについての解説が加わります。予約しておくとよいでしょう。

基本情報

名称大溝の水辺景観(おおみぞのみずべけいかん)
所在地滋賀県高島市
指定区分重要文化的景観(平成27年〔2015年〕1月26日選定)。日本遺産の構成にも含まれる
選定範囲約1,384.1ヘクタール
時代古代から利用された地に、戦国時代末期(天正6年・1578年)から江戸時代にかけて城下町が整えられた
アクセスJR湖西線・近江高島駅から徒歩約3〜5分
公開屋外は通年。総門の案内拠点は別途開館時間あり

参考文献

大溝の水辺景観 - 文化遺産オンライン(文化庁)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/278396
重要文化的景観「大溝の水辺景観」 - 高島市
https://www.city.takashima.lg.jp/soshiki/kyoikusomubu/bunkazaika/1/1/1327.html
大溝の水辺景観 - 日本遺産ポータルサイト(文化庁)
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/122/
大溝城跡 - 高島市
https://www.city.takashima.lg.jp/soshiki/kyoikusomubu/bunkazaika/1/1/665.html
重要文化的景観拠点施設「大溝陣屋総門」 - びわ湖高島観光ガイド
https://takashima-kanko.jp/spot/2024/04/post_327.html

最終更新日: 2026.05.28