別れの香を焚いて――開山の初七日に読まれた一幅

寂室元光は、自らの死後について明快な言葉を残していた。寄進された土地は領主に返し、堂宇は土地の長老に譲り、修行僧はおのおの山を下りよ。お釈迦さまの教えを守って、それぞれの場所で修行を続けよ――。自分を慕う寺がこの地に残ることを、開山その人は望んでいなかった。

それでも弟子たちは山を去らなかった。貞治六年(1367)九月八日、師の没から七日を数えるその日、彼らは初七日の法要を営む。香炉の煙が立ちのぼるなかで読み上げられた香語を書きとめた一幅が、いまも永源寺に伝わっている。悲しみに暮れた人々が、それでも永源寺を残そうと心を定めた、その瞬間を伝える最も古い記録のひとつである。

香語という記録

香語(こうご)は、禅の葬儀や忌日の法要で、導師が香を手向けながら口にする短い語である。教えを説き明かすためのものではない。亡き師の悟境と、師資のあいだに結ばれた縁を、凝縮した一句に込める。声に出されたその言葉は、煙とともに一度きりで消えてゆく。誰かが書きとめなければ、後には残らない。

この一幅は、その消えゆく言葉を留めた。紙本墨書、貞治六年九月八日の年記をもち、開山寂室元光の初七日に手向けられた香語を伝える。員数は一幅と簡素で、国の指定区分は書跡ではなく古文書――筆者の名や書の巧拙ではなく、永源寺草創の事実を伝える記録としての価値が認められている。何が書かれたかではなく、いつ・誰のために営まれたかを、この紙は語っている。

弔われた人――寂室元光

寂室元光(1290〜1367)は美作国、いまの岡山県真庭市の生まれである。十代で出家し、鎌倉の約翁徳倹に学んだ。約翁は、光が山河を照らす夢を見た翌日に元光と出会い、その名を与えたと伝わる。元応二年(1320)、三十一歳で元(中国)に渡り、天目山に隠棲する中峰明本のもとで、定住せず山中に一生を送る幻住の禅を受けた。「寂室」の号も、中峰から授かったものである。

帰国後の三十余年、寂室はあえて名利を遠ざけた。朝廷と足利将軍家は、京の天龍寺、鎌倉の建長寺といった最高位の住持に再三招いたが、そのつど固辞している。生涯、黒衣の一平僧として通した。折々に詠んだ漢詩や手紙はのちに『寂室録』にまとめられ、その枯淡の境地は五山文学にも影を落とした。

七十一歳でようやく一所に腰を据えたのは、近江守護の六角氏頼(佐々木氏頼)が雷渓の地を寄進し、康安元年(1361)に寺を建てたときである。これが永源寺となった。貞治六年九月一日、寂室は七十八歳で示寂する。遺誡は弟子たちに解散を命じたが、もし人々が強く望むなら修行の道場として残してよい、とも書き添えていた。弟子たちは、その後の一句に従った。

一連の文書のなかの一幅

初七日香語は、孤立した遺品ではない。「開山忌関係文書」として一括指定された一群の一点であり、文書全体が、開山を慕いつづけた歳月の記録になっている。九月二日付の祭文に始まり、八日の香語が続く。康暦元年(1379)――寂室の塑像が造られたのと同じ年――の十三回忌法語へ、さらに応永六年(1399)の三十三回忌の語へと連なる。

順に読めば、日でなく年を単位として積み重ねられた追慕の軌跡が見えてくる。寂室の没後、弥天・松嶺・霊仲・越渓の四人の高弟が山を護り、師の禅風を伝えた。これらの文書は、その営みが紙の上に残した痕跡である。初七日香語が重要文化財に指定されたのは昭和十一年(1936)五月六日、いまも永源寺の所蔵である。

永源寺を訪ねる

一幅そのものは傷みやすい古文書で、ふだんの拝観で目にできるものではない。こうした文書が公開されるのは、開山六五〇年遠諱にあわせて書画が並んだ平成二十八年(2016)の展観のような、特別な機会に限られる。それでも訪ねる価値があるのは、弟子たちが守り抜いた場所そのものにある。

永源寺は、琵琶湖の東、東近江市の山あいに、愛知川を見おろして建つ。臨済宗永源寺派の大本山で、秋の紅葉は県内随一とされ、石段の参道とまわりの斜面がモミジに埋もれる。開山堂「大寂塔」には、老いた顔の深い皺まで刻んだ塑造寂室和尚坐像――これも重要文化財――が安置されている。毎年十月一日には開山忌が営まれる。1367年の一幅が書きとめたあの法要が、いまも生きて続いている。

Q&A

Q実物の香語は拝観できますか。
A通常は公開されていません。傷みやすい古文書として寺に収蔵され、特別展などの機会にのみ展示されます。拝観でふれられるのは、開山堂と、重要文化財の塑造寂室和尚坐像などです。
Q「香語」とはどのようなものですか。
A禅の葬儀や忌日に、導師が香を手向けながら唱える短い語です。亡き師の悟境と、師資の縁を一句に込めます。この一幅は、開山の初七日(貞治六年)に手向けられた香語を伝えています。
Q紅葉の見頃はいつですか。
A例年十一月の中旬から下旬で、谷全体が紅や金に染まります。開山忌は十月一日に営まれ、こちらは静かな趣があります。
Q寂室元光とはどんな人物ですか。
A永源寺の開山(1290〜1367)です。元に渡って修行し、帰国後は名利を避けて諸国を行脚しました。天龍寺や建長寺への招きも固辞しつづけた禅僧として知られます。
Q永源寺へのアクセスは。
A近江鉄道の八日市駅から近江鉄道バス(永源寺方面)で約三十五分、永源寺前で下車します。車なら名神高速道路の八日市インターチェンジから約二十分です。

基本情報

名称紙本墨書永源寺開山初七日香語(貞治六年九月八日)
ふりがなしほんぼくしょえいげんじかいさんしょなのかこうご
指定区分重要文化財(昭和十一年〈1936〉五月六日指定)/種別:古文書/「開山忌関係文書」一括指定の一点
員数・形状一幅、紙本墨書
時代南北朝時代・貞治六年(1367)
所有者・所在地永源寺(滋賀県東近江市永源寺高野町41)
開山寂室元光(正燈国師、1290〜1367)
公開状況通常非公開。特別展等の機会にのみ公開

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース(本資料の詳細)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/9328
臨済宗永源寺派 大本山 永源寺「開山寂室禅師」
https://eigenji-t.jp/kaizan/
ウィキペディア「永源寺」
https://ja.wikipedia.org/wiki/永源寺
びわ湖ビジターズビューロー(滋賀県観光情報)「永源寺」
https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/1243/
滋賀県立琵琶湖文化館「第九話 塑造寂室元光像」
http://www.biwakobunkakan.jp/monogatari/monogatari009.html

最終更新日: 2026.06.20