一巻の紙に、奈良の写経と平安の修法が同居する
琵琶湖の南端、瀬田川を見下ろす岩山に建つ石山寺に、表と裏で時代も中身もまったく異なる一巻の巻物がある。表面には、中国前漢の歴史家司馬遷が著した『史記』の一部が、奈良時代の日本で書写されている。裏面には、それから時を経た平安時代に、紙を再利用するかたちで真言密教の修法次第が記された。同じ紙の両面に二つの文化が重なって残り、現在は国宝に指定されている。
表面に書かれた『史記』
『史記』は、紀元前一〇〇年ごろに司馬遷がまとめた中国初の本格的な通史である。年代順の一本の記録ではなく、帝王・諸侯・臣下や著名な個人の事跡を軸に編まれた紀伝体をとり、全百三十巻のうち七十巻を列伝が占める。石山寺の本巻は、その列伝二巻分の一部にあたる。
巻第九十六は前漢初期の丞相たちを集めた張丞相列伝で、冒頭に張蒼が置かれる。巻第九十七は酈生陸賈列伝で、漢の創業期に活躍した弁舌の人、酈食其と陸賈を扱う。陸賈は南方の王尉佗(趙佗)を説き伏せ、漢の朝廷への帰順を取りつけた人物である。本巻は所々を欠いているため、正式名称も「残巻」と記されている。
表面の書写は奈良時代、八世紀の日本で行われたとされ、現存する『史記』写本のなかでも最古級に位置づけられる。印刷本の登場はまだ何世紀も先のことで、こうした書物は写字生が一字ずつ書き写すことでしか伝わらなかった。日本の寺院がその受け皿として丁寧に守り続けてきた点も見逃せない。
なぜ国宝なのか
本巻は昭和三十七年(一九六二年)六月二十一日に国宝へ指定された。その価値は古さだけにとどまらない。中国の古典の早い時期の写本は、戦乱や度重なる版の改刻のなかで中国本土ではほとんど失われており、日本の寺院に保たれた書写本のほうが、後世の中国の刊本よりも古い本文の姿に近い読みを残している場合がある。
『史記』の研究者にとって、八世紀の日本人の筆跡は、宋代の刊本が本文を整える以前の状態を知る手がかりとなる。本巻は日本の文化史にとっての一次資料であると同時に、中国の原典研究の材料でもある。
紙の裏側
この巻物を特異なものにしているのは、裏面の存在である。歴史書としては不要になった古い紙を、ある時点で裏返して再び用いた。その裏に一人の僧が「金剛界次第」を書き写している。真言密教の中心的な修法のひとつ、金剛界曼荼羅の儀礼を順を追って記した次第書である。これは唐の不空が著した儀軌をもとにした撰述で、石山寺中興の祖とされる第三代座主淳祐にゆかりが深い。
淳祐(八九〇〜九五三)は、学問の神として祀られる菅原道真の孫にあたる。寺に伝わる話では、延喜二十一年(九二一年)、淳祐は高野山奥の院の弘法大師の御廟を訪ね、大師の御衣に触れたところ、手に芳香が移り、その手で書写した聖教にまで香りが残ったという。それらは今も「薫聖教」「匂いの聖教」と呼ばれている。
役目を終えた中国の歴史書が真言の修法のための反故紙として活かされ、その反故にされた側こそが、巻物全体に最高位の保護をもたらしている。石山寺の蔵品が抱える、静かな逆説のひとつである。
巻物と、それを納める寺
石山寺が所蔵の書跡を公開するのは限られた機会に限られる。公開される場合は、境内の高所に建つ宝物館「豊浄殿」で、春季と秋季の特別展のなかで展示される。巻物は通常、ごく一部を開いて本文の一部分を見せる形をとるため、来訪者が目にできるのは全長ではなく一メートルほどに過ぎない。それでも、八世紀の筆跡そのものに向き合えることに意味がある。
寺そのものも訪れる価値が高い。奈良時代に良弁によって開かれた石山寺は、硅灰石という淡い色の結晶質の岩塊の上に立つ。寺名の由来となったこの岩は、それ自体が天然記念物に指定されている。国宝の本堂と二重の多宝塔が建ち、紫式部が参籠中にここで『源氏物語』を起筆したと伝えられる文学の寺でもある。西国三十三所観音霊場の第十三番札所にもあたる。
アクセスと周辺
石山寺は、琵琶湖の水が瀬田川へ注ぎ出す滋賀県大津市にある。京阪石山寺駅から門前までは徒歩でおよそ十分、JR石山駅からは短いバス路線が同じ参道へ通じている。境内は毎日八時から十六時三十分まで開いているが、豊浄殿は独自の季節ごとの開館日程をとるため、本巻を目当てに訪ねるなら、まず展示の日程を確認しておきたい。日本最大の湖である琵琶湖が近く、西へ電車で少し行けば京都にも出られる。
Q&A
- 訪問すれば実物を見られますか。
- 公開は限られた機会のみです。宝物館「豊浄殿」の特別展で、主に春と秋に展示されます。通年公開ではないため、来訪前に石山寺の展示日程を確認してください。
- 中国の歴史書がなぜ日本の国宝なのですか。
- 本文が八世紀の日本で手書きで写され、現存する『史記』写本のなかでも最古級にあたるためです。中国古典の早い時期の写本は残存例が少なく、本文研究上の価値が高く評価されています。
- 裏面には何が書かれているのですか。
- 真言密教・金剛界曼荼羅の修法次第である「金剛界次第」です。歴史書として不要になった紙を再利用して書かれたもので、僧淳祐にゆかりのある内容とされます。
- 淳祐とはどのような人物ですか。
- 石山寺の第三代座主(八九〇〜九五三)で、菅原道真の孫にあたります。高野山で弘法大師の御衣に触れて手に香りが移ったという逸話から、その筆になる「薫聖教」で知られます。
- 石山寺で他に見るべきものは何ですか。
- 国宝の本堂と多宝塔、寺名の由来となった硅灰石の岩塊、紫式部と『源氏物語』にちなむ境内などです。西国三十三所観音霊場の第十三番札所でもあります。
基本情報
| 名称 | 史記巻第九十六、九十七残巻 |
|---|---|
| 所在地 | 滋賀県大津市・石山寺 |
| 指定区分 | 国宝(書跡・典籍) |
| 指定年月日 | 昭和三十七年(一九六二年)六月二十一日 |
| 員数 | 一巻(巻子装) |
| 時代 | 奈良時代(表面の本文)。裏面の次第書は後世に追記 |
| 所有者 | 石山寺 |
| 特記事項 | 紙背に金剛界次第(金剛界曼荼羅の修法次第)を記す |
| 公開 | 豊浄殿の季節展で随時公開 |
| 拝観時間 | 八時〜十六時三十分(境内) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/757
- 大本山 石山寺 公式ホームページ
- https://www.ishiyamadera.or.jp/
- 石山寺 境内のご案内
- https://www.ishiyamadera.or.jp/guide/precincts
- 石山寺(ウィキペディア)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/石山寺
最終更新日: 2026.06.09